第4話 カフェ訪問:純喫茶「もったり」①
「ここが、正木さんのおすすめのカフェ……って天人五衰の隣じゃないですか!」
「昔はこの当たりが商店街だったからね。今は周りにほとんどお店無くなっているみたいだけど」
相葉と連れ立ってカフェ『もったり』の前に立つ。今日は中華料理屋の一件から日曜日を挟んで月曜日。残業の分、強制的に月曜日午前は休みになっているのだ。
そういう訳で二人共スーツではなく私服である。僕は黒いジーンズ(のようにしか見えない化学繊維のパンツ)に細身のグレーで胸元に同色のワンポイント入っているポロシャツだ。一方、相葉は意外と少女趣味なのか、ふわふわと柔らかなロングスカートに半袖のブラウスを合わせている。日差しも強く暑いからなのかベージュのキャスケットを被っている。そういえば、彼女はまだ二十歳だ。服装が若々しくて当然だろう。
「しかし純喫茶『もったり』ですか?まったりではないんですね」
「うん。なんでだろうね?」
そういえば名前の由来を聞いたことがなかったな。
しかし、こんなに早いペースで僕からランチに誘うことになるとは思わなかった。ここに至るまでの経緯は説明しておかないとあらぬ誤解や不名誉を賜りかねない。
◇◇◇
僕はランニング帰りの服装のまま天人五衰に入る。幸いにして汗はもう乾いているので――汗の匂いはあるかもしれないがまあ大丈夫だろう。
「あら、いらっしゃい。二人揃って二日連続なんて、ありがたやありがたや」
花さんがそんなことを言いながらこちらに向かって両手を合わせて拝むようにしてくる。真面目だけど、結構冗談を言う人でもあるのだ。
「ええ、後輩の姿が見えたもので。ランニング帰りで汗かいてますけど、大丈夫ですか?」
多分大丈夫だとは思うものの、念の為確認しておく。
「あなた達しかいないから大丈夫よ。というかウチのことよりも後輩ちゃんに断っておきなさい」
「あ、私は全然気にしませんよ!」
「じゃあ、隣の席、失礼するね」
相葉からOKがでたので、二人連れ立ってカウンターに座る。少し横を見れば、殆ど人通りのない寂れた通りが目に入る。
「正文くんは何にする?」
「そうですね……消化に良い中華粥をいつもの感じで」
「おっけー。もう二十分も悩んでいるけど、アイリちゃんはどうする?」
流石というべきか、もう『ちゃん』付で呼んでいる。相葉は人懐っこい性格で、花さんも愛想が良いので少しの時間で打ち解けたのかもしれない。
「私は……春巻きと餃子の定食を、もちろんいつもの感じで」
「はいはい。じゃあ、ちょっと待ってね……あなた! 中華粥と春巻き餃子定食ねー! 正文くんたちのだから!」
「あいよ!」
厨房の方から張さんの声が響く。
「じゃあ、私も手伝ってくるからごっゆくりー」
そう言って花さんは厨房へ入っていってしまう。残されたのはTシャツにジーンズという実にさっぱりした服装の彼女と運動してます!といった僕だけ。
黙っているような状況でもないので僕は相葉に話しかける。
「それで、二日連続なんてどうしたの?」
まずはここからだろう。有り体に言えば、「あまり美味しくないです」というようなことを言っていたような気がするのだが。
彼女は「あー……」と言いづらそうにしている。相葉にしては珍しい反応だが、急いでいるわけではないので彼女の言葉を待つ。
「まず、昨日はすいませんでした」
ペコリとこちらに向けて頭を下げる。僕に対して謝る必要は全く無いので「いやいや、やめてくれ」と軽く返す。コミュニケーションが達者な人であればここで上手いこと返すのだろうが、あいにく僕はそっけなく返すことしかできない。
「あんな風に言っちゃいましたけど……何だか妙に口に後味が残るというか、不思議な感覚があって、それが気になって、というかまた食べたくなってと言いますか……」
「要するに、やっぱり美味しかったということ?」
「はい……でも何だかその『美味しさ』らしきものを上手く表現できないんです」
少しだけ恥ずかしそうだ。
しかし、彼女から話を聞いて僕には思い当たることがあった。
比較的最近発表されたとある論文である。それは『フードプリンターの発展に伴う言語的変容について』というものだ。
僕は――ある意味での趣味として――食に関係する論文を結構読む(保有している資格の関係で会報を受け取るが、その中にはそういう論文をまとめたものがあるのだ)。
同論文の内容は、専門的には色々記載されているが、要するに『フードプリンターの導入により食の美味しさ――スパイスに由来する複雑な香味、野菜の滋味深さ、肉類の野性味など――を表現する語彙が失われつつあるのではないか』という危惧を示すものだ。確かに、個人食により食の美味しさそのものが個人によって異なっていることや食材への無理解が進展していることを踏まえるとそのような危惧も比較的納得できる。それを踏まえて、相葉の発言を鑑みるに、なんと表現すればいいか分からないということ自体はそこまで変な事態ではない。むしろ、彼女のようにその違和感に気づかない人間が増えているかもしれないことのほうが恐ろしく感じられる。
「まあ何となく美味しいならいいんじゃない。紹介した僕としても悪い気はしないよ」
「うーん、そうかもですけど……なんか奥歯に物が挟まったような気になる感じがあるんですよ。そういうわけで今日もう一回来たとゆーわけなのです」
彼女は不満げに唇を尖らせる。子供っぽい、と思わなくもないが社会人一年目ならこんなもんだし、相葉がやると違和感がない。
「はーい、お待たせ! 春巻き餃子定食と中華粥ね!」
流石に早い。もう花さんが食事を運んできた。
二日連続だけど、気にせず楽しもう。
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