第2話 初めての食事会:中華料理店「天人五衰」2/3

「いやあ、まさか正木さんが私と同じマンションに住んでいるとは!」

「偶然もあるもんだね」

相葉はなかなか楽しそうだが、こっちはあまり楽しくなかった。会社の人があまり住んでいないということを主な理由にして今の住処を決めていたので、直属の後輩が同じマンションに住んでいるとか悪夢以外のなにものでもない。もちろん社会人としてそんな気持ちをあからさまに表に出すことはしていないものの、表情を読むのに聡い相葉はきっと僕の感情を読んでいるように思う。彼女が嫌いとか苦手とかそういう気持ちはないが(むしろ好ましい性格の人間だ)、僕自身のパーソナルエリアに知り合いが存在すること自体が好ましくないと感じてしまうのだ。

正直なところ僕の内面が悟られても構うものか、という少々投げやりな気持ちになってしまっていた。ちょっと大人げないけれど、嫌なものは嫌なのだから仕方がない。


「おおー、ここが正木さんおすすめの店ですかー」

キラキラした目でそう言われると若干気恥ずかしいものがあるが、ことここに至っては腹をくくって楽しもう。

「うん。『天人五衰てんにんのごすい』っていう、中華料理店だよ」

いつみても中々に激しい名前である。店主いわく、天人が垢にまみれて臭くなっても汗が吹き出しても天界に戻るのを嫌がるくらいに上手い飯を出す、とかいうのが由来らしい。その名に恥じず、僕が今まで食べた中でもトップクラスの中華料理店だ。

「おおー、私はエビチリ大好きですよ!」

相葉のその言葉に言いたいことがないではないが、楽しそうな彼女に対して水を向けるほど僕は人が。だから曖昧に笑って、「いらっしいませ」と書かれた暖簾をくぐってお店に入る。なお、「いらっしいませ」は誤字だけど誤字ではない。店主がこの店を開くにあたってお師匠さんから選別にもらったが、何故か書き損じがあり、しかし使わないわけにもいかず……ということらしい。

「いらっしゃい! って正文まさふみか。連れがいるとは珍しいじゃねえか」

手にチャーハンと餃子をもった件の店主が出迎えてくれる。どうやら今日は比較的空いているようで、暇な店主がそのまま厨房からテーブルに運んでいるみたいだ。

「こんばんは、ちょうさん。まあ、色々ありまして……先に言っておきますと会社の後輩なので、変な勘ぐりはよしてくださいね」

何か言われる前に釘を指しておく。張さんは良い人だが、やや大雑把でとても豪快というわかりやすい人だ。

「なんでえつまらん。ま、奥の4人席が空いているからそこを使ってくれ」

ニヤリと笑いつつ、料理をもって他のテーブルまで言ってしまう。

やっぱり釘を刺しておいてよかった、と思いつつ何故か一言も発さない相葉を連れて奥の席まで行く。店の中はさほど大きくなく、カウンター八席にいくつかの四人がけ座席があるだけだ。いつもは比較的混んでいるはずなのだが、今日はカウンターに数名だけでかなり空いている。

「いやあー、こういうお店は初めてで、ちょっと緊張しています!」

靴を脱いで席に座るなり相葉はそんなことをいう。適当なことをいっているだけかと思ったが、確かにちょっと緊張している様子だ。今日の会議では全然緊張を見せていなかったのに、こんなところで……と思わなくもないが、これが普通の反応なのかもしれない。

「そっか。はい、メニューね」

「ありがとうございます」

相葉はそう言うと、一心不乱といった様子で真剣にメニューを見つめている。僕からするとなんの変哲もないメニューなのだが、彼女にはもの珍しいのだろう。いまや都内のほとんどのお店で個人端末を通じた注文システムが導入されており、こういったビニールに包まれている昔ながらのメニューなんて中々見かけない。

そうこうしているうちに、張さんの奥さんであるはなさんが水を持ってきてくれる。

「こんばんは、正文くん。注文はもう大丈夫?」

黒のロングヘアーを首のあたりで一つにまとめていて化粧っ気もない。服装からエプロンに至るまで非常に清潔でシワひとつない。そのまま小洒落たカフェの定員でもできそうなくらいだが、「汚れやすい中華料理屋だからこそ服装は清潔に!」という花さんの方針らしい。こういった細かなところに気が利くからこそ、大雑把な張さんと相性がばっちりで、長く夫婦生活を送れているのかもしれない。

「こんばんはです。僕は青椒肉絲定食に餃子をつけてください。もちろん餃子も同じようにいつもの感じで。あと、餃子は二人で分けるので、タレの皿は2つください」

「はいはい。そちらのお嬢さんは?」

真剣な顔でメニューとにらめっこしていた相葉も、その言葉にばっと顔をあげる。

「はい、先輩の後輩で相葉アイリと言いまして、今日は正木さんにお招き頂き……」

「自己紹介じゃなくて、注文はなにか聞いているんだと思うよ」

あと、先輩の後輩って意味は分かるけど変な言葉遣いだよ。

「あっと、失礼しました……えーと、エビチリにしようかと思ったんですが、正木さんのそのというのはなんです?」

ばたばたしているわりには耳ざといな、とつい思ってしまった。どう説明したものかと困っていると、花さんが間に入ってくれた。

「えーっとね、うちのお店ではプリンターで調整した料理も出しているのだけど、普通に調理したものも出しているの」

「え、そうなんですか!」

今日は相葉は驚いてばっかりだが、多分これが今日イチだろう。

外食でも家庭の食事でもフードプリンターで作られるのが普通だ。僕たちの全てが詰まっている個人端末を設置されているデバイスにリンクさせさえすれば自分にとってのベストなものが簡単に食べられるのだ。もちろん、味付けだけでなく栄養素もだ。そんな状況でも外食産業がなくなるということは、少なくとも今の所はない。どこのお店も独自のセッティングを施して、味を調節しているし、個人用のプリンターではできないような非常に作業工程の多い料理も出すことができるからである。

天人五衰でももちろんプリンターを導入しているが、張さんは偏屈なので、こっそりと普通の手料理も出してくれるのである。普通の手料理が違法/違反なんてことは全くないものの、食材の管理や調理の手間などを考えるとプリンターと比べて圧倒的に採算が取りにくいし、正直人気もないと思う。そもそも、相葉のような若い世代では、プリンティングではない料理という発想自体があまりないのだ(相葉と僕は三つしか変わらないけど、僕は例外である)。学校の家庭科の授業でもプリンターの歴史や調整の仕方などを教えることに成り下がってしまっている。調理方法や栄養バランスはおまけだ。そんなもので科なんて片腹痛いが、あくまで僕個人の感想に過ぎず、誰かに押し付ける気は毛頭ない。

「基本的には栄養バランスも考えてくれるプリンターメニューのほうがいいと思うよ」

僕がつまらなそうにそういうと、花さんもうんうんと同意してくれる。別に僕も花さんも、もちろん張さんもプリンター料理を否定するつもりは全くない。便利なものは便利なのだ。だからこそあえてそういったのだが。

「でも、正木さんのいつものっていうのは」

「まあ、僕のいつものは普通の料理だよ。これが食べたいからこそ、ここのお店に通ってるんだ」

この時代にの料理というのが何を指しているのかはとても微妙だ。大半の人はプリンターを使っている以上、それが普通の料理というのが一般の認識なのだろう。それでも、いつもは付和雷同の僕にだって曲げたくない部分は存在する。僕も張さんと同じで偏屈なのだ。

「じゃあ、私もそれにします! エビチリでお願いします!」

正直ちょっと驚いたが、好奇心旺盛な彼女なのだからこの選択も当然なのかもと思い至る。

「おお、お嬢さんは見込みがあるねえ。じゃあ、いつものエビチリ定食、青椒肉絲定食に餃子一皿ね」

ニコリと笑って花さんは厨房に言ってしまう。

それを見送りつつちらりと相葉を見やると、こちらに向かってニヤリと笑ってくる。とても素敵な笑顔だけれど、きっとそれはこの後少しだけ曇ってしまうと思う。そんな予想が覆ればいいのだが、その可能性はきっと高くない。


結論は冒頭のとおりである。



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