修学旅行

里見律

学校アンチの修学旅行実録

私は修学旅行に良いイメージを持っていない。そして中学三年生時に開催された修学旅行は行く前から乗り気ではなかった。集団行動をいつもより求められる場であるし、一人になって心を落ち着かせる時間が一時としないことが私の心を重くさせていた。


 十一月某日の朝、私は広島駅に来ていた。最悪、修学旅行に行かないという選択肢もあったわけだが、修学旅行にいける環境にいる私にとってそれは甘えだと感じたので行くことにしたのだ。そして、行くからには心から楽しんでやろうという気概をもって私は広島駅に立っていた。


 いざみんなの列の中に入ってみると、制服じゃないこともあるのか、いつも教室で感じる息苦しさや圧迫感はなかった。意外と私は修学旅行をこなすことができるのではないか、と心に思い、それを自分に言い聞かせていた。病は気から、というように自分に打ち勝つには心から作り上げていくのが大事だ。


 私たちは新大阪駅についた。クラスのみんなはわくわくどきどきといった表情だ。みんなの心とは真逆に私の心は氷点下の極寒に向かいつつあった。しかし仲良しの友達が話しかけてくれたので何とか心を紛らわすことができた。今考えるとそれは彼女たちの心遣いだったのかもしれない。感謝だ。


私たちは通天閣へといった。ここではかなり楽しめたと思う。一番の要因は串カツがおいしかったことにある。おいしいものを食べれば機嫌がよくなる。そんな単純な自分自身に少しあきれながらも、ここではそんな自分に救われたなと思った。おいしいものが食べられれば人生それでいいのだ。


しかし私たちは集合時間に遅れたらしく、先生二人に怒られた。私はすっかり忘れていたが、修学旅行では集団行動を強いられる上に、それを守れなかったら大人からの叱責が飛ぶのだ。なんということだろう、それが二泊三日昼夜を問わず行われるとは。ただしそれも修学旅行だからだ。社会性と協調性を育むことがこの旅行の目的のひとつだ。確かに、私みたいな協調性のない人物を矯正するのに絶好の機会といえる。


次に行った海遊館では写真を撮りまくった。写真を撮ることは好きなので苦痛ではなかった。カイちゃんとユウちゃんなんて安易な名前だなァと考える余裕もあったくらいだ。


そうして一日目を終えた。


二日目、留学生リーダーの方と京都研修に挑んだ。英語でのコミュニケーションは難しかったが、同時に楽しかった。いつも机の上でインプットの勉強を主にしているのでアウトプットの学習は新鮮だ。また、東寺や祇園に行ってたくさんの写真を撮ったりおいしいうどんとスイーツを食べたことは良い思い出になった。


二日目夕方。ホテルでのポスター発表、写真コンテスト、というハードシュケジュールが組まれていた。そして私はポスターコンテスト後、音をあげた。ずっと人の群れの中にいた為心が苦しくなるのを感じた。無理はしてはならないと思い先生に助けを求めた。すぐ処置してくださったことに感謝の意を表したい。ここで集団の中に押し返されていたら私は狂人になっていたかもしれない。そのくらい追い詰められていた。ホテルの部屋で休養し、私は最終日の三日目に備えた。


三日目。待望の南京町へ。友人と入ったお店は美味で心もおなかもいっぱいといった感じだった。その後満足した私たちは神戸ポートタワーに行った。


青空を赤で突き刺すポートタワーが私たちを迎えた。視界に赤が入ったその時、「見たことがある風景!」と心が躍った。何を隠そう、そこにはかつて私の推しが訪れ、写真を撮っていたのだ!(私はオタクである)私は狂喜乱舞した。(私はオタクである)ひとしきり騒いだ後推しがいた場所に立って写真を撮ったりした。ちゃっかり推しと同じポーズをキメて満面の笑みである。(アイドルのプロポーションには程多いが)その撮った写真を見てまた騒いだ。頑張った私に思いがけないご褒美だった。神様はちゃんと見てくれているのだ。私はただただ嬉しかった。前に記した言葉に訂正を入れたい。おいしいものが食べれて推しがいれば、人生それでいいのだ。

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