第110話 最終局

「いや、弟子君が卒業旅行するのは分かるよ。でもね…………」


 妹さんは、大きく息を吸って叫ぶ。





「どうして旅行の目的が、『姉さんの実家に集まって将棋』なの!?」





 妹さんの声が、師匠の家の大部屋に響き渡った。


「えっと……駄目……でしたか?」


「駄目じゃないけどさ! もっとこう……あるでしょ、いろいろと! 観光したり、おいしいもの食べたり!」


 全身を使って僕に訴えかける妹さん。


 妹さんの言っていることも分かる。世間一般の卒業旅行とはそういうものなのだろう。


「でも、僕、大学生になる前に、一度、妹さんと将棋したかったんですよ。まあ、単純に、妹さんに会いたかったっていうのもありますが」


 僕の言葉に、ポカンと口を開ける妹さん。その顔が、みるみる赤みを帯びていく。


「…………ありがと」


 妹さんは、ボソリとそんなことを呟いた。その声は、とても小さくて、かわいらしかった。


「おまたせ」


 師匠が、お盆を持って部屋の中に入ってきた。お盆には、お茶の入ったコップが三つ載せられている。師匠は、それらを、丁寧に傍の机の上に置いた。


「……何かあった?」


 妹さんの顔と僕の顔を交互に見ながら尋ねる師匠。心なしか、その顔は少し不機嫌そうだった。


「な、何でもない。さ、弟子君、将棋しよう!」


 少し慌てた様子で将棋盤の前に座る妹さん。つられて、僕も将棋盤の前に座る。


 妹さんと一緒に、駒を並べる。パチリ、パチリという音が、部屋の中を優しく満たしていく。


 駒を全て並べ終え、一礼をすべく姿勢を正す。


 その時、師匠が僕の横に座り、その顔を僕の耳にゆっくりと近づけた。


「がんばれ」


 はっとして横を見る。目の前には、いつものような穏やかな表情を浮かべる師匠。自分の顔の温度が急激に上昇するのが分かった。


「…………ボコボコニスル」


「えっと……妹さん? 何か物騒な言葉が聞こえた気がしたのですが……」


「キノセイ、キノセイ」


「ひええ」


 目が笑っていないんですが……。


 そんなやり取りをする僕たちを見て、師匠はクスクスと笑っていた。まるで、今この瞬間がとても楽しいとでも言うかのように。

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