第109話 第49局

 金曜日、深夜、大学の休憩スペース。いつものように師匠と将棋を指す。


「師匠、真面目な話、いいですか?」


 僕は、駒を指す手を止め、じっと師匠を見つめる。


「……いいよ」


 先ほどまで、いつものような穏やかな表情を浮かべていた師匠。その表情が、少し引き締まったように見えた。


「師匠が、…………奨励会を止めた理由、…………知りたいです」


 僕の言葉に、大きく目を見開く師匠。


 そんな師匠を見つめながら、僕は言葉を続ける。


「師匠が、他人の事情に深入りすることを良く思っていないのは知ってます。僕も、そんなこと、あんまりしたくないです。…………でも、知りたいんです、師匠のこと。これまで以上に……知りたいんです」


 基本的に、僕たちは、お互いが、お互いの事情に深入りしようとはしない。なぜなら、そんな関係が、とても心地よかったからだ。


 でも、ずっと、僕の中の何かが、叫んでいた。このままでいたくない、師匠のことをもって知りたい……と。それが何かは、よく分からないけれど。


 その叫びは、僕が大学合格を決めた時から、いや、正しくは、大学入試二次試験の一週間前から、抑えようのないほどに大きくなってしまったのだ。


 師匠は、しばらくの間、何も言わなかった。ただ黙って、僕を見つめていた。


 師匠と僕の視線が交じり合う。休憩スペースには、いつもとは異なる雰囲気が漂っていた。


「……分かった」


 師匠の口から出た言葉は、とても短かった。それなのに、とても重かった。


「ありがとうございます」


 そう言って、僕は頭を下げた。


「……でも、代わりに、あなたのことを教えて」


「え?」


「初めて会った時、あなたが泣いてた理由。その他にもいろいろ。……私に、教えて」


 それは、師匠からの交換条件。師匠も、僕と同じ気持ちであったことを示す、そんな言葉。


「……分かりました」


 僕は、ゆっくりと頷いた。


 その日、僕たちは、少しだけ、深い仲になった。

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