第34話 第18.5局 元妹弟子編⑨

「姉さん、私頑張るから!頑張って、絶対に四段になるから!!」


 その言葉を言われた時、私は一体どんな顔をしていたのだろうか。分からない。ただ、心のどこかで、嬉しいと思っている自分がいたことは明らかだった。こんなにも突き放し、傷つけているのに、まだあの子は、私を慕ってくれている。そのことが嬉しくて、でも、あの子を突き放し、傷つけなければならなくて。もうどうすればいいのか分からなかった。何も言えないうちに、あの子に気圧されているうちに、あの子は部屋から出て行ってしまった。


 あの子のことが嫌いなわけではない。嫌いなら、とっくの昔にアドレス帳からあの子の名前を消しているだろう。昔も、そして今も、「姉さん」と私を慕ってくれているあの子を、どうして嫌いになれるだろうか。


 でも、私は、あの子のことを突き放し続けなければならない。傷つけ続けなければならない。あの子が今戦っている場所は、私が逃げた奨励会3段リーグ。私なんかに依存していては、そんな場所で戦っていくなんてできるわけがない。


 いや、問題はそこではない。ただ、私が逃げた理由が、「実力が伴っていなかったから」というものなら、まだ良かった。本当の問題は・・・・・・





「楽しくなかったから」という理由で、私が逃げたことだった。





 私が将棋を指していたのは、ひとえにそれが楽しかったからだ。あの頃の私は、心から将棋を楽しんでいた。ひたすら盤に向かって将棋を指すことはもちろん、相手ととりとめもない話をしながら将棋を指したり、本を読みながら将棋を指したりすることも大好きだった。私の父であり、師匠でもあった人は、後半二つに関しては、渋い顔をしていたが。


 そんな私に転機が訪れたのは、奨励会3段リーグに進んでからだった。あそこの空気に、どうしても私は馴染むことが出来なかった。あそこで行われている将棋は、私の今までの将棋を否定するかのような、殺伐としたものだった。私が勝った時、相手はまるで次の瞬間には発狂してしまうのではないかというくらい苦しそうな顔をしていた。私が負けた時、相手はそらみろ、お前の将棋はダメなんだと言わんばかりの顔をしていた。勝っても負けても苦しくて、苦しくて、苦しかった。


 だから私は、あの場所から逃げたのだ。


 だから私は、あの子に、私という枷を付けるわけにはいかないのだ。

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