第31話 第18.5局 元妹弟子編⑥

「・・・結局、今日は、師匠がどうして奨励会を辞めたのかが知りたかったから僕を呼んだんですか?」


 妙な沈黙を破り、僕は妹さんに問いかけた。


「あー・・・まあ、それもあるんだけどね。・・・まあ、ちょっと、・・・・・・。」


 急に口ごもる妹さん。だが、数秒後、意を決したようにゆっくりと頷き、答えた。


「・・・あなたに興味が沸いたから。」


 ガタンと大きな音がする。僕が思わず立ち上がってしまったせいで、椅子がバランスを崩して後ろに倒れてしまったのだ。喫茶店のマスターが、何事かとこちらに目を向けたのが視界の端に映った。


「・・・何を勘違いしてるのか知らないけど、愛の告白とかじゃないよ。」


 妹さんは、クスクスと笑いながらそう言った。僕は、椅子を元に戻して座り直す。自分の顔は、今、羞恥で真っ赤になっていることだろう。


「・・・こほん。・・・それで、どういうことですか?」


 取り繕うようにそう言う僕。赤い顔を少しでも隠そうと、再びコーヒーカップに手を付けた。彼女はそんな僕を見て、再度笑みを浮かべたが、すぐに真剣な表情になった。


「姉さんは、私たちの師匠から破門されたんだよ。ある日突然、『二度と将棋はやらない』って言ってね。あれは、冗談を言う顔じゃなかった・・・・・・。」


 彼女は、遠い目をしていた。どんな情景が彼女の頭の中に流れているのか。それを知るすべは僕にはない。


 「でも」と妹さんは続ける。


「・・・・・・昨日、あなたと将棋をする姉さんを見た。」


 妹さんが、どうして深夜の大学に居たのかは知らない。どうして、僕たちのことを探し出すことができたのかは知らない。だが、今は、そんなことは些細な問題のように思えた。


「どんなことがあったのか、私には分からないけど・・・でも、一体どんな人なのかなって思ったの。姉さんと楽しそうに将棋を指しているあなたは。」


 妹さんの目は、真剣に僕を見つめていた。とてもきれいな目だった。嘘、偽りの入る余地などないかのような。


「・・・後、あなたにお礼も言いたかった。」


「お礼?」


 急によく分からないことを言われ、僕は首を傾げた。彼女は続ける。


「私は、将棋をする姉さんが好きだった。だから・・・・・・姉さんを、将棋の世界に戻してくれてありがとう。」


 彼女は深々と頭を下げた。


 彼女の中で、僕という存在がどんどんと高い位置に上っていくのを感じる。ただ、僕はそんなたいそうな人間ではない。師匠に対して何か特別なことをしたわけではないのだから。強いて言えば、将棋を毎週指しているだけだ。


 僕は、彼女に対してどんなことを言えばいいかわからず、ただ、「僕は何もしてませんよ」とだけしか答えることができなかった。

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