第30話 第18.5局 元妹弟子編⑤

「・・・それで、」


 そう言って、コーヒーカップをソーサーに置く。穏やかな音楽が、僕たち二人だけしか客のいない喫茶店に流れている。僕の緊張と不釣り合いなそれは、少々鬱陶しく感じられた。


「師匠の妹弟子さんが、僕に何の用ですか?」


「・・・妹弟子よりは、妹って呼んでほしいかな。」


「・・・・・・師匠の妹さんが、僕に何の用ですか?」


 僕の言葉に対して、彼女は、にこりと微笑んだ。


 彼女と連絡先を交換した翌日、呼び出されたのは大学前の喫茶店であった。お互い自己紹介をして、初めて彼女が師匠の妹弟子であったことを知ったのだ。


「・・・あなたは、姉さんのことをどれだけ知ってる?」


 質問を質問で返される。そのマイペースなところは、師匠に似ているように感じた。


「・・・まあ、元奨励会三段の人、とだけ。」


 それは、師匠と初めて会ったあの日、師匠自身から告げられたことだった。とても驚いたこと、そして、師匠との最初の将棋で、師匠に手も足も出なかったことを思い出す。


「・・・・・・それだけ?」


「はい。」


「・・・・・・本当?」


「・・・何が言いたいんですか?」


 執拗に聞いてくる妹さんに、少しむっとしてしまう。妹さんは、僕の様子を見て、まずいと思ったのだろうか。すっと居住まいを正した。


「いや、ごめん。君は、姉さんがどうして奨励会を辞めたのかも知ってるのかなと思って。」


 彼女は少しがっかりしているように見えた。


「・・・もしかして、あなたも知らないんですか?」


 一度、師匠にその理由を聞いてみたことはあった。しかし、師匠は、何も教えてはくれなかった。ただ、いつもとは違った苦しそうな表情で、無言を貫いていた。その頃からだろうか。僕が、他人の事情に深入りしないように気を付けるようになったのは。


 僕の問いかけに対して、彼女はこくりとうなずいた。妙な沈黙が僕たち二人の間に流れる。その沈黙に耐えかねた僕は、再びコーヒーカップに手を付けた。グビリとコーヒーを飲み干す。何とも言えない苦さが、口の中一杯に広がった。

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