第9話 キス
追っかけの女性からクォン・ウォンジュンを救った日以来、彼は首藤盛重に対し毎日のようにキスを迫るようになった。
毎朝、盛重と別れる前は見送りついでに「ポッポして」とせがみ、家で盛重が何らかの家事をしている時は背後から忍び寄って首筋に吸いつき、盛重がベッドを背もたれにして床に座り真向かいのTVを見ている時は、自分も隣に座って盛重の身体に抱きつき口を近づける。
盛重は当初ウォンジュンのキス攻撃に対し口を塞ぐとか上下から口唇を摘むとかして拒否を示していたが、あまりにも毎日続くので折れてしまい、頬にだけはキスしてやるようになった。美しいウォンジュンの顔が相手なら、まあできなくもないかなどと考えて。
ある夜、盛重が夜勤の為に夜の10時に帰宅すると、無人のワンルームに軽快な鼻歌が響いていた。歌声はバスルームから発せられているようで、ウォンジュンが風呂に入っているんだろうと思った盛重は、ウォンジュンが出てこないうちにユニフォームを洗濯機に入れようと、バスルームへ続く洗面所の扉を開けた。直後、目の前に広がる白いモヤとその奥に突っ立つ細長いシルエット。
「アレ、モリシゲじゃん。おかえり」
盛重が洗面所に入ったのと同じタイミングで、ウォンジュンがバスルームから出てきていた。熱めの湯舟に浸かってのぼせたのか色白の端正な顔を紅潮させ、とろんとした目つきで盛重を見ている。その様の艶っぽいのに盛重は心の臓を射抜かれるような衝撃を覚え、手に持っていたユニフォームをその辺に放り投げて、空いた両手でウォンジュンの頬を挟み込んだ。ウォンジュンの顔がグッと近くなる。
ウォンジュンは何が起こったのかと2〜3度瞬きをして盛重を見つめていたが、やがて何かを悟ったように、そして待ち受けるように目を閉じた。
これを受け入れだと理解した盛重はすかさずウォンジュンの口唇にかぶりつき、両手を彼の頬から背中へと回し抱きすくめた。呼応するが如くウォンジュンも盛重の身体に縋りつき舌を絡める。ウォンジュンの身体にまとわりついていた水滴が盛重のトレーナーを濡らしたが、盛重はお構い無しにウォンジュンにむしゃぶりつく。
そうしてお互いを求め合ううちに身体がよろけ、目の前に洗面台が現れた途端、鏡を見た盛重がサッとウォンジュンから顔を離した。盛重の目には、顔面に赤黒い痣のある醜い化け物が美しいものを汚す様子が映っていた。盛重はウォンジュンを自身から剥がすと「ごめん」とだけ呟いてから洗面所を出ていった。
衝動に任せていきすぎた真似をしてしまった。ワンルームのほぼ半分を占めるベッドの脇、冷たいフローリングの上に座り込み、盛重は直前に起こした行動を恥じた。
ウォンジュンの優しさに浸りすぎて忘れかけていたのを、鏡が思い出させてくれた。こんなに醜い生き物がウォンジュンに触れてはならないのだ。
早くここを出ていかないと、今度こそウォンジュンを汚してしまう。そう思った盛重が持てる荷物を全てまとめようと鞄を手に取りかけたところで、着替えを終えたウォンジュンが洗面所から出てきた。ウォンジュンは盛重が取ろうとしていた鞄を遠くへ放り投げ、唖然とする盛重の足を開きその間に座り込んだ。盛重とウォンジュンの顔が再び近くなる。
「おい鞄」
「さっきの続きするよ」
「いや鞄」
「モリシゲったらいい所でやめちゃうんだから。ほらチューしよチュー」
盛重の言葉を遮るが如く口唇を突き出しキスを求めるウォンジュンに、盛重は「しないよ」と返して顔を背ける。
「なんで?」
「やっぱり俺がジュニにそういうことしちゃ駄目だ」
「それこそなんで?」
ウォンジュンが幼さの残る丸い目で真っ直ぐに盛重を見つめて問う。その瞳に映る自分の顔が更に醜く感じられて、盛重はウォンジュンに戻しかけていた視線を再び背けて「汚いから」と返した。
「汚いんだよ。絵面というか…せっかくジュニ綺麗なのに、俺がキスとかそういうことしたら、汚れる感じがして」
だってこれよ。そう言って盛重が自身の顔の痣を指す。
直後、盛重の視界がウォンジュンの手に塞がれ、口唇に温かいものが当たり、ヌルリとしたものが口内に忍び込んできた。
駄目だって言ってるのに。盛重はウォンジュンを剥がそうと肩を叩いたり押したりして抵抗を試みたがウォンジュンは離れず、もがいているうちに2人揃って床に倒れ込んでしまった。
「…だから駄目だって」
向かい合わせに寝転んで自分を見つめるウォンジュンに、盛重は静かに訴える。その目に涙をうっすらと溜めて。
対してウォンジュンは優しい笑みを浮かべ「駄目なこと無いよ」と囁きながら、細い指で盛重の頬をなぞった。
「モリシゲ、俺のこと好きでしょ」
「…好きだよ。好きだけど…いや、好きだからこそ、汚したら駄目だと思う」
「汚してないよ。俺がモリシゲのこと好きなの、前からずっとアピールしてたでしょ?好きな人にキスされて汚されたなんて思わないよ」
「でも俺、こんな顔…」
「かっこいいよ。その痣はモリシゲのものだから俺の主観で色々言ったらいけないと思うけど、でもかっこいいよ。ねえ、俺にはモリシゲの"好き"をそのままぶつけてよ。せっかく両想いなんだから恋人らしいこと沢山しようよ」
「ジュニ…泣いていい?」
「もう半泣きじゃん」
ウォンジュンが自身の胸に盛重の頭を引き寄せる。盛重は「違うわ」と言い返してウォンジュンの胸に顔をうずめたが、その声は少しだけ震えていた。
同じ日の深夜、薄暗い部屋のほぼ半分を占めるキングサイズベッドの上で、想い合う2人は攻防戦を繰り広げていた。
「駄目!駄目!今日は駄目!マジで!アウト!」
「なんで!?恋人らしいことしようっつったのジュニよ!?」
手足をジタバタと暴れさせて叫ぶウォンジュンを無理矢理組み敷いた状態で、盛重は数時間前にウォンジュンの放った言葉を持ち出して問い質す。
「ゴム無いから!駄目!」
「孕まないだろ!」
「そうじゃねえ!」
いつになく荒い口調でウォンジュンが叫んだ。
「尻はもともと"入れる"とこじゃなくて"出す"とこなの!本来出す専門なの!食べ物が腐り腐った成れの果てを出す専門なの!だから変な菌とかいっぱいついてんの!そこに生のイチモツ入れたら病気になるし最悪死ぬの!だから尻は洗わなきゃいけないしゴムも着けなきゃいけないの!今日はどっちも無いから駄目!」
あっでも入れないでスリスリするだけなら良いよ。一通り捲し立てた後にウォンジュンがそう付け加えて頬を赤らめたが、盛重はウォンジュンの口から『イチモツ』などという日本語が飛び出した衝撃に「どこで覚えたんだ」と硬直してスリスリどころではなくなっていた。
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