第7話 お互いの過去
「モリシゲ、嫌じゃなかったら教えてほしい。いつから自分の痣が嫌だと思うようになった?」
そんな切り出しでクォン・ウォンジュンから痣について問われた時、腹筋運動に励んでいた首藤盛重は答えに困り、上体を中途半端に起こしたまま固まってしまった。
「な、なんで」
「気になったからだよ。生まれつきの痣について調べてたら、当事者の間でも個性と捉えるかコンプレックスと捉えるかみたいなのが分かれてて、そういえばモリシゲもちょくちょく痣を気にしてる節があるなぁと思って」
嫌だったら大丈夫、と最後に付け加えたのち、洗濯機が脱水の終了を報せる音が響いてきたのでウォンジュンは洗面所に行ってしまった。
1人になった盛重は床に寝そべり、ウォンジュンにどこまで話すべきかと自身の半生を回想した。
思い出せる限りで1番古い記憶─3歳頃に母親がしばしば放っていた言葉は、まず盛重が背負い続けているコンプレックスの土台を築くには十分な残酷さを持っていただろうと盛重は思う。
当時、盛重は病院で痣を消す為のレーザー治療を受けていた。子供だった盛重にこの治療は辛く、また効果も殆ど出ていなかった為に盛重は度々「行きたくない」と不満を漏らしたが、そうすると母親は決まってこう言った。
『顔を綺麗にしないと皆から変な顔って笑われるのよ。それに高いお金払ってんだから、しっかりしてよ』
母親なりに息子が差別されることを心配していたのだろうが、当時の盛重は度々発せられるこの言葉により「俺は変な顔なんだ」と思い込むようになった。
保育園や小学校はコンプレックスと嫉妬を募らせる場所だったが、同時に力に頼ることを覚えた場所でもあった。
同級生達は痣ひとつ無い顔にキラキラとした曇りの無い瞳で、ただ知識欲を満たす為に「どうして顔が赤いの?」と訊いたが、盛重はただ一言「うるせえ」とだけ返した。心無い言葉を吐く人間には拳を振るった。盛重は他の子供に比べて身体が大きく力も強かったので上級生すら敵わなかった。
時々誰かに大怪我をさせてしまい、両親に連れられて相手の家まで謝罪に行かせられることがあった。相手の両親が哀れみの目を向ける中で、自分をけなした相手に頭を下げるのは屈辱でしかなかった。
小学校での屈辱があったからこそ、中学校からは荒れに荒れた。
少しでも顔の痣に言及してくる者がいれば、それが教師だろうが生徒だろうが、また侮蔑だろうが励ましだろうがキレてかかった。特にルックスの良い者からの励ましは格下に見られているようだと怒り狂い、尚且つ相手が男であればその顔面に拳をぶつけた。
お陰で中学1年生の半ばには学校中に名が知れ渡り教師すら恐れる存在になったが、代わりに校内の不良グループから仲間として迎えられた。彼等は盛重をハミダシ者の自分と同一視し、また力の強さを買って喧嘩の戦力にしようと考えた。盛重も自分を受け入れてくれる仲間の存在を喜び、共に喧嘩や飲酒などの非行を重ねては、学校へ謝罪に来た父親を「普段何もしねえくせに、こういう時だけ父親ヅラしやがって」と嘲笑った。
この時、盛重は痣の治療に行かなくなっていた。レーザーを照射される苦痛の割に効果を実感できなかったからだ。母親には治療を促されたが「金をドブに捨てなくて良くなっただろ」と皮肉を浴びせた。
この堕落した中学生が高校になど進学できるハズも無く、中学校卒業後は家を出てアルバイトを始めた。疲れ切っていた両親は盛重が家を出たがっていると知るなり、手切れ金でも寄越すがごとくアパートを契約してやった。
そうして建設現場や工場での仕分け、アダルトビデオ販売店のレジなどアルバイトを転々としながら、盛重は猛勉強し20歳の頃に普通免許を取得した。次は金を貯めて車を買ってやるんだ。そう新たな目標を打ち立て仕事に励んだ。
そんな矢先、盛重はコンビニでのアルバイト中に先輩が放った「痣ぐらいでウジウジしやがって」という発言に怒り狂い罪を犯してしまった。
「モリシゲ」
眼前に迫る美しい顔に気づいて、盛重は我に返った。床に寝そべったまま過ぎ去った過去─決して良いものではない過去に思い馳せながらウォンジュンにどこまで話すべきか頭を悩ませていたら、いつの間にかウォンジュンが盛重の胴に馬乗りになり顔を目一杯近づけていた。視線を逸らせばすぐ横に、洗濯機から取り出されたばかりの湿った衣類がカゴに詰められている。
「嫌じゃなかったらで良いんだよ」
心配そうなウォンジュンに盛重は退くように促しつつ「いや、話す。話さなきゃいけない」と返して姿勢を正し、回想した全てのことを話した。非行や喧嘩の件を話す時はウォンジュンに叱られるかもしれないと躊躇いがちになってしまったが、ウォンジュンは真剣に耳を傾けた。
そして全てを話し終えた後、ウォンジュンは盛重の頭を自身の肩に抱き寄せた。
「悪いことばかりしてるけど、でもお前のつらい気持ちを無視して説教するのは違うね」
「…お前、優しいことばっか言うよな」
「普通だよ」
普通じゃねえし。ウォンジュンの肩に頭を預けたまま、盛重は肩を震わせた。目頭がじんわりと熱くなるのを感じた。
洗濯物を干し終えた後、盛重は腕立て伏せに励みながら、スマホをいじるウォンジュンに対しずっと抱いていた疑問をぶつけてみた。
「ジュニってゲイなん?」
ウォンジュンは何食わぬ顔で「うん」と答える。
「ハッテン場だからと思ってお前に声かけた時点でお察しでしょ?」
「じゃあそれに気づいた時期っていつ?」
スマホをいじっていたウォンジュンの手が止まる。
あ、マズイことを訊いたかもしれない。焦る盛重を前に、ウォンジュンはしばらく静止した後、言いにくそうにこう言った。
「お前ほど重い過去は無い」
「それに越したこと無いよ」
ならまあ、とウォンジュンが明かしたのは、中学生になってから筋肉の発達した男子を見ると目のやり場に困るようになってしまったという話だった。ウォンジュンはそこで自身がゲイである可能性をうっすらと感じたそうだが、高校生になってから憧れていた男の先輩にカノジョができたと知った時、腹の底から先輩とカノジョに対する憎しみと羨望が湧き上がってきたことでハッキリと自覚したらしい。
それでもウォンジュンは気持ちを押し込め、ヘテロの男子と同じように過ごしてきたという。
「中学は韓国で高校は日本だったけど、どっちもゲイへの風当たりは強いからね。平和に生きる為の戦略だよ」
そう言ってウォンジュンは笑ったが、盛重は人への好意を当たり前に主張できない環境で育った過去を果たして「重くない」と言えるのか、と思い悩みながら腕立て伏せを中断し、ウォンジュンの肩に寄りかかった。ウォンジュンは「汗の臭いやば」と鼻を摘んだ。
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