第3話 世界一美味い食べ物

浮浪者生活をしていた時分の首藤盛重にとって、世界一美味い食べ物といえば月2回の炊き出しで振る舞われるカレーライスだった。勿論それ以外の料理も有り難かったが、カレーライスは元々の好物であることもあってかより有り難かった。

ウォンジュンの家で暮らしてからは、ウォンジュンの母親が漬けた白菜キムチが世界一美味い食べ物に切り替わってしまった。市販の白菜キムチに比べて旨味が強く白米が進むのだ。




しかし時々炊き出しのカレーの味が恋しくなることがある。困窮した状況にあったからこその味とはわかりつつも舌が求めてしまう。

そういうわけで、盛重は郵便局の非番日に材料を買い揃え、炊き出しのカレーを再現してみることにした。材料はジャガイモ、人参、玉ねぎに豚コマ肉とかなりシンプルで、カレールーは何かわからないのでポピュラーな物を使うことにした。浮浪者時代の記憶を呼び覚ましながら、これらを調理する。

まず野菜はかなり大ぶりに切っていた。玉ねぎすら柳の葉と見間違いそうな程の大きさで甘みをよく感じられた。対して豚コマ肉は小さかったが、そのぶん塊にならず食べやすかった。ルーは水分が多くてユルかったハズ。記憶と現物を照合しながら調理を進めていく。

そうして思い描いた通りの形が出来上がった時、盛重は心躍らせながら味見をして、それから首を捻った。


─こうも感動が無くなるもんかね。


頭に浮かんだ感想がそれだった。カレー自体はよくできているし、確実に炊き出しの味を再現できている。それに当時ほどの感動は無いことぐらい想像ついていた。それにしても、こんなに空虚な気持ちになるものかと盛重は鍋の前に立ち尽くし煩悶した。

そこへ、玄関の扉が開く音と共に「あーっ!」というけたたましい声が響いてきた。


「ちょっと!俺のモリシゲが!俺の為にご飯を作ってくれてる!カッコいいモリシゲ〜!」


盛重の身体に抱きつく声の主─ウォンジュン。この男も出会った当初から大きく変わってしまったものだと盛重は呆れ笑いを浮かべる。


「ジュニ、これは俺の為に作ってんだよ」


「どうせ2人で食べるだろ?」


「まあね。ホラよそうから退いて。ていうかテーブル立てて」


えーとぶーたれるウォンジュンを振り払うと盛重は2人分のカレーライスをよそい、ウォンジュンが立てた折り畳みテーブルの上まで運んだ。


「えらい大きな玉ねぎだね…」


カレー皿から玉ねぎを1つ掬い取り、顔をしかめてウォンジュンが言う。

コイツ、玉ねぎ苦手だったのか。完璧な外見を持った彼にも欠点があることに謎の感動を覚えつつ、盛重は「美味いじゃん」と返した。


「苦手でも大丈夫だよ。トロトロに煮込まれて食感もわかんねーし。ほら食べて」


「えー…」


ウォンジュンは一度掬った玉ねぎをルーの中に沈めると、大量のルーと共に掬い出し口に入れ、パッと目を見開いた。


「食べれる〜!」


「良かったね」


「美味しい〜!」


はしゃぎながらカレーライスを食べ進めるウォンジュンを眺めつつ自分も食べ始めたが、間もなく目の前で繰り広げられ始めた光景に目を疑った。


「お前カレーにキムチ乗せる奴は初めて見たぞ…!」


ウォンジュンがスプーンで掬ったカレーの上に乗せられた真っ赤なキムチを指し、盛重はドスの効いた声で指摘した。


「日本人だって福神漬やらラッキョウやら乗せるじゃん」


「そうだけど」


「似たようなもんだよ。レッツトライ」


大きめに切られた白菜キムチが盛重のカレーにドンと乗せられる。

自身の培ってきた常識の範疇を超えた物体を前にして、スプーンを持つ手が躊躇いで震える。しかしせっかく勧めてくれたわけだし、食べてみないわけには。

盛重はキムチの乗せられたカレーを恐る恐る口に運び、咀嚼して、飲み込んだ。


「…美味いわ」


「やったー!」


キムチを添えたカレーライスが、現段階で盛重にとって世界一美味い食べ物となった。

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