SSS青い猫

石黒陣也

青い猫

 昔父親が、青い猫を拾ってきた。

 毛並みが真っ青いに青いとら模様の入った猫……だったと思う。

 もう昔十年くらいの話、俺がまだ小さかった頃のことだ。

 この話をすると誰もが、その猫は本当に青かったの? と聞き返される。

 本当のところは青かったかどうかなんてどっちでも良かったのだが、その時の事を思い出すと、やはり青い猫だったと思い出に残っている。


 その青い猫は、家に連れてこられたときは、本当に歯が生えてきたばかりの、小さい子猫だった。

 タオルに包まっていて、そのくしゃくしゃタオルの中で小さく縮こまって震えながら、指先を伸ばしてみると『ふー』と小さく鳴いていた。

 小さかった頃の俺は、さらに手を伸ばして、青い猫の鼻先に近づけて――噛み付かせてやった。


 なぜ噛み付かせてやったか?


 それは、漫画にあった事を真似たからだ。

 雑誌漫画の中に、人間よりも小さい怪獣の子供と仲良くなろうとする主人公のシーンがあり、主人公はあえて警戒している子供の怪獣へ、腕を噛み付かせて……たしか「俺はお前を傷つけたりしない、だから好きなだけ噛み付いた後で友達になろうぜ」というような台詞を言い、子供の怪獣の心を開かせた――というのを真似ただけだった。 

 だから子供の頃の俺は、その青い猫に同じ事をして、一番に懐かれるようになった。


 青い猫の名前は『ごんべ』、ただしメスの猫。

 命名した理由は、また別の漫画で記憶喪失の男に名前をつけたときに「名無しのごんべだから、お前の名前はごんべだ!」という漫画のジーンを思い出して、この青い猫をメスなのにも関わらず、ごんべ、という名前にした。

 何せ、小学校の真ん中手前くらいの頃……発想も我ながら子供らしい。


 ごんべとは仲が良かった。

 小学校から帰って来ると、いつも半開きになっている引き戸の反対側に『ごんべ』は隠れていた。

 おそらく、足音などで感づいたのだろう、そしてなぜか、いつも引き戸で自分の身を隠して俺を待っていた。そして俺も毎回やってくる『ごんべ』なだけに毎回分かっていた。

 俺が「ごんべ」とそのときに名前を読んでやると、『ごんべ』はなぜか四つの足と尻尾をまっすぐに伸ばして、ぴょんぴょんと跳ねているのかスキップなのか良く分からないステップを踏んで、隠れていた引き戸から飛び出してくるのだった。

 

 少しだけ、『ごんべ』に文句があるとすれば俺が座ったとき、俺が胡坐をかいたら必ず俺のひざの上に乗ってくることだった。

 そう躾けたわけでは無かったのだが、なぜか座るたびに寄ってきて、足の中で体を丸めるのだ。

 足を組み直したりすると、自分から来たくせに「ぶにゃん」と不機嫌な鳴き声をもらしてまた、組み直した足の上へ乗りなおす『ごんべ』。

 この、一見には猫好きにうらやましがられそうな『ごんべ』の習慣は、やられる側にとっては何気にキツかった。

 胡坐を組んだ足が……必ずしびれる。


 小さい頃住んでいた家には、物置部屋なるものがある。名前の通りに、一室まるまるが物置になっているのだ。

 いつも雨戸が出されていて日の光が入らない、いつも真っ暗な部屋。

 俺は子供の頃にその部屋がとても怖かった。

 しかもその物置部屋の場所は、トイレへと続く廊下にその入り口があった。

 なので、子供の頃は夜にトイレに行くだけでも物置部屋の事を思い出して、怖がりながらトイレへ向かって行き、なるべく音を立てずに早足で戻っていた。


 その物置部屋へ、『ごんべ』が入っていってしまった。

 ほんの少し開いていた戸から、『ごんべ』がするりと小さい体を隙間へ潜り込ませるように消えて、

「ごんべ」

 呼んでみると、物置部屋の黒い光の中で「にゃーん」と返事が。

「もどってこい」

「にゃーん」

 だめだ、声が少しばかり離れている……呼んでもいつものように鳴きながら戻って来る様子が無い。

 この様子だと、いくら呼んでも出てこないだろう。

 ――家には今、誰もいない。

 一人で、この暗い光に満ち溢れている物置部屋に入る……のが怖かった。

 とりあえず、物置部屋の戸を、少し開いたままにしておいて、出てくるのを待とう。

 そう自分の怖さに言い聞かせたんだ。

「もう行くからね、早く出てきなさいね」

「にゃーん」


 結局、『ごんべ』は二度と出てこなかった。

 夜になっても出てこない『ごんべ』。

 そろそろ心配になってきた頃に、ようやく父親が帰ってきた。

 事情を話し、俺の代わりに物置部屋へ入ってつれてきてもらう。

 父親が物置部屋の戸を開けて、中へ入ったら後ろ手に戸を閉めてしまった。

 中からカチッカチッ、と電灯のスイッチ紐を鳴らす音に続いて、ぱちぱちと明かりがつく音――物置部屋から漏れてくる黒い光も消えた。

 そのまま耳を澄ましていると、中で父親がしゃがむ(しゃがんだときの布擦れの音がした)

 しばらくして、鼻でため息をつく父親の声。

 そのまま待っていると、程なくして物置部屋がまた黒い光を取り戻し、父親が戻ってきた。

「ごんべはいなかった」

 戻ってくるなり、父親はそう告げた。

「いなかったの?」

「そうだ……たぶん、ネズミに食べられちゃったんだろう」

「本当に?」

「誰にも言わないで秘密にしておくんだぞ」

 それだけを告げると、作業服を着たままの父親は、

「ちょっとコンビニへ、煙草を買いに行ってくる。菓子も買ってきてやるから、少し留守番してるんだぞ」

 帰ってきたばかりの父親は、来ていた作業服そのままに、また外へ出て行ってしまった。


 父親はその通りに、煙草と菓子袋とジュース缶の入ったコンビニ袋を下げて、ちゃんと戻ってくる。

 俺はごんべの姿を見なくなった――


 小さいながらも勇気を出して何度も物置部屋へ入って、いつしか物置部屋が怖くなくなってしまっても、『ごんべ』の姿はどこにも無かった。

 子供の頃の話で、もう十年近い昔の話。

 『ごんべ』がどこへ行ってしまったのかは……十年近くたっている今は、なんとなく分かっている。


 ――ところで、その猫は本当に青かったのか?

 本当に青かったかどうかは、昔の俺に聞いてくれ。

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SSS青い猫 石黒陣也 @SakaneTaiga

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