SSSプライド

石黒陣也

プライド

 若い若いといわれてもう三年。もう新米カメラマンという肩書きは擦り切れてもよいはずなのに、周りに未だ新米が現れないせいでまだまだ新米カメラマン扱いをされている。


 今日も今日とて旅番組のロケ。ここから始まってここで撮り続け、早三年だ。


「咲利さん。OKです」


 準備が整い、タレントの咲利真崎さんを呼んだ。


「はぅい」


 年季のある低い声をしつつも、どこかおどけた調子のある声。当然俺より遥かに年上だ。

 数々のグルメ番組で料理を食べては紹介し、そのすばらしさと店の宣伝をしている。 

 この旅番組でも長く共に仕事をこなし続けており、

 今日は咲利さんの引退日でもある。


「じゃあよろしくたのむよー」


 間延びした声で少しおどけているのは、自分の緊張をほぐすためでもあり、周囲の硬い空気を和らげるためでもあると、同じスタッフの先輩たちから何度かきいていた。


 この人は、自分が引退する日…最後の収録日も自分の調子で通るらしい。

 一見は人のよさそうなところに少しばかりの子供っぽさが、しかし身のこなし、細かなしぐさ、声音、そして仕事への熱意は、どこか決して揺るがない鉄芯のような物がある人だった。年季のある目上の人。それが俺の咲利さんへのイメージ。


 尊敬しているといってもいい。


 頭を後ろから軽く叩かれた。振り向いたら、台本を丸めて持っている先輩だった。目線で「ぼやぼやするな」と言っている。

 はっとなってカメラを持ち上げ、準備に入った。


 収録が始まる。店の前で。

 ちょっとぶらついて寄っていこうという調子で始まり、紹介する店の中へ。

 店の奥さんと初めて会ったような言い回しで会話が始まり、朗らかな空気になったところで内装の話をし、食材へのこだわりなども聞いている。


 店の奥さんが口に手を当てて笑っているところを、邪魔にならないようシャッターを切る。咲利さんと笑い合っている全体を取る。

 なんといっても、咲利さんを撮るのはこれで最後になるのだろう。一瞬たりとも逃さない。最高のものを撮ってやる。


「はい、おっけーです」


 チーフが声を上げて撮影がいったん中断される。

 今度は卓を囲んで料理の紹介だ。

 店内にいる俺達以外のスタッフが忙しなく動き、咲利さんは店の奥さんと、やってきた店主と世間話をしている。

 本当に、咲利さんは引退してしまうのか。

 何故なのだろうか? 俺はその理由を知らなかった。


「ぼーっとするなって言ってるだろ新米」

「ああ、すいません」


 もうすでに、新米という言い方が俺へのあだ名のように定着してしまっている。何とかならないかなこの呼び方。


 撮影は滞りなく、いつものように、当たり前のように、自然な流れのように進んでいく。

 その中で、咲利さんが引退するという事だけが、余計にひどく異質に感じられた。

 悲しいことがあるとわかって、どこかから元気に全体が振舞っているような、そんな気配。


「次いきまーす」


 チーフの声で次は料理の撮影だ。


「わあ、おいしそうですね。これは?」

「桜海老の掻き揚げなんですが、枝豆とそれから地元で取れたたまねぎを使っています」

 咲利さんが桜海老のてんぷらに箸を伸ばして口へ運ぶ。

「さっくさく。海老の香りがすごい濃厚……たまねぎもしゃきしゃき。これはおいしい上に『楽しいですね』ははは」


 とても仕事の演技とは思えない幸せな顔。咲利さんは味の表現だけでなく、食べたときのこの幸せな笑みで売れていた。

 タレント活動をする上で、バラエティは自分には似合わずと避けてしまい、たまに俳優としてドラマの脇役に出たりするくらい。それで定着したのが旅番組のロケと料理紹介の番組だった。


「お吸い物の出汁もいーですね~ぇ、鼻から吸い込んだだけで食べてるみたいだ」


 咲利さんが最初、何を目指していたのかは知らない。ひょっとしたら本人自身も漠然としていたのかもしれない。俺は入ってまだ三年目でしかなく、それ以前に咲利さんがどんなことをしていたのかなんて、全く分からないし、知りようがなかった。

 だけどこれだけは分かる。

 咲利さんには、今の仕事にしっかりとしたプライドが……誇りあると。


「はい、おっけーでーす」


 撮影が終了した。

 俺は思い切って、咲利さんに話しかけた。


「お疲れ様です」


「ああ、君か。最近どうだね? やれてるかい?」

「未だに新米新米言われてます」

 咲利さんが笑ってくれた。

「もう三年もやってれば新米も無いだろう」

「そーなんですがねえ」


 咲利さんとは、この旅番組が始まってからの知り合いでもあった。咲利さんのほうが明らかに目上なのにもかかわらず、咲利さんは気さくにいつも話しかけてきたり、話しかけたりと温かい交流ができていた。

「俺がいなくてもしっかりやるんだぞ」

「はい、わかっております。……あの、咲利さん」

「ほいほい?」

「なんで、今回の撮影で引退するんですか?」

 咲利さんが引退する発言は、このロケが決まった直後だった。

「まだ咲利さんは、引退なんて」


 すると、咲利さんは俺の頭に手を置いて、ぐりぐりと撫でてきた。


「いつかはこうなると思っていたんだ。意外と予定よりも長かった。また調子が戻ったら、別の仕事を始めるさ」

「どこか悪かったんですか?」

 仕事を休職するほど、体が悪かったなんて……。

「ああ、まあな」

「必ず治して戻ってきてください。それで次に会う時にはもっと、腕を上げておきますから」

「おう」


 だんだん口数が減っていく咲利さん。本当に顔色が悪くなってきていた。


「なんの、何の病気なんですか?」

「あ、ああ……俺はな」

 少し、咲利さんの肩が揺れた。ふらついた。

「俺は海老アレルギーなんだ」


 ばったり


 咲利さんがそのまま前のめりに倒れ、動かなくなった。

 この人は、仕事に誇りを持っていて、心に芯のある――

「そこまでですか!」

 俺は大急ぎで車へ咲利さんを運び、手配してあったという病院へ向かって走った。

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