SSSコイ
石黒陣也
コイ
恋愛について、大して興味は無かった。
まだ『子供』だった頃から、ずっとそうだ。
友人には多感なやつも、多く恋愛で付き合ったやつも、またそれらを見て語ったり無言だったり、はてはそういった悩みを持っているやつをからかったり、見当違いなアドバイスをして面白がったりしてたのもいた。
だが、俺は全般的に興味がずっと持てなかった。
いつも眺めるだけ。
友人が、知り合いがそういった事をしていても、なんとも思わなかった。
だからなのか、俺はどうやら『無害な人間』という格付けを、いつの間にか手に入れていた。
そして『無害な人間』らしく高校も受験も、無理をせず無難なところへ進み、就職活動も家から少し遠いが、無事に成功をし、特に何の問題もなく実家で暮らしていた。
最近では、流行の呼ばれ方として草食系と呼ばれている。
そんな大して起伏の無い今までを過ごして、
お見合いをすることになった――
「肩がこったね」
「そうですね」
彼女は、そんな俺の軽いジョークをさらっと流して、見合い場の庭で散歩に付き合ってくれた。
この状況を一言で言うと「あとはお若い二人に~」という、いかにもわざとらしい状況だった。
ドラマとかでこういったことをするらしいが、本当にやるとは……
こういう時、実は親父やお袋がどこかで盗み見てるんじゃないのか? と邪推してしまう。
実際には見当たらなかったが。
かこん、とどこかで鹿威しの竹の音が鳴った。
「…………」
恋愛事は、正直苦手だ。
苦い思い出があるわけじゃない。まったくの『未知』だからだ。
自分から未知の領域に入っていくなんて、俺らしくない。そう友人は思うだろう。
何故友人が思うのか?
なぜなら、俺は周りから「きっとお前はお見合い結婚だろうな」とささやかれていたのを知っていた。
俺は、そういった人間であり、周りからもそう思われていて、それはまったく不快に思わない。
むしろ、友人のそういった評価を受け入れ、そういったままでいたい。と昔から思っていた。
にしても、特に話すことが無い……あまり口数が多いほうでもないが……。
「そういえば、恋愛をして結婚した夫婦よりも、実はお見合いで結婚した夫婦のほうが、離婚率は低いんだそうですよ」
突然に、彼女が口を開いた。
「そうなんだ」
相づち。
「お互いに、お互いの事をまったく知らない間柄から始まるから、一緒に暮らしていくうちに知っていって、そうしているうちに結婚してから付き合いが長くなっちゃうんだそうです」
「よく知ってるね」
「本当のところは、経験が無いもので確証はありませんが」
彼女の苦笑。俺も釣られて肩をすくめた。
彼女も、今まで恋愛を言うものをしたことが無いそうだ。
女学校をエスカレーター式に大学まで続いて、いままで話に聞いても、実際にしたことが無いという。
お嬢様らしく箱入りなのだ。
それ故に『機会』が乏しかった……のだと思う。
本当のところは、彼女から聞いただけで真実は分からない。
恋愛でこっぴどくやられてしまった友人曰く、「女性の嘘は嘘に入らない」のだそうだ。
これには、女性の嘘は嘘とわかってもさらっと流して察してやれ、という意味と
それに追求をしてはならない。という意味があるらしい。
本当かどうかは分からない。
何せ、敗走敗北が多い友人からの受け入りだから。
第一こんな綺麗な人が、今まで誰かに好かれたり、好きになったりなんて経験が、まったく無かったって言うほうがおかしいだろう?
俺じゃあるまいし。
「ご恋愛の経験は?」
彼女が聞いてくる。
「いいや、まったく」
「そうですか、お話とかが聞ければ良かったのですが」
やはり、彼女も女の子。恋の話に興味深々なのだろうが、俺にその話はできない。
それに、今まで仮にあったとしても、ここでお見合いをしているってことは、仮にあった昔の恋愛事は敗れ去った話しかできないのではないか。
そこまで察して、聞いてきたわけでもないのだろう。
別段、ここでうまく話がまとまっても、まとまらなくてもどちらでも良かった。
まとまったとしても一緒に住む相手が一人増える程度で、まとまらなければ先延ばしになったってくらいだ。
結婚なんてできなくても、全然かまわない。
「どうかしましたか?」
「いいや、なんでも」
内心の苦笑が、口元に出てしまったらしい。
ふと、近くにあった池に目が行ってしまった。
なぜなら、彼女がそっちを見ていたからだ。
「鯉だね」
「そのようです、綺麗」
池の端に向かって腰を下ろした彼女を追って、池の水面を俺も覗き見る。
色鮮やかな錦鯉が、透明な水面に映っていた。何匹も。
「こいつらは――」
ふと、思ったことを何気なく口に出してしまった。
「外の世界を知らない。こんな囲われた池の中で暮らしていて、大きな海も、長い川も知らない……ここで眺められるために、餌をもらって、ずっとこのままでいるんだろうな……綺麗だけれども、不憫に思う」
どうしてこのような気持ちが曇りそうな言葉を、何気なく言ってしまったのか。
さすがに『俺らしい』発言じゃなかったな。内心で反省する。
だが、本当の事だ。
「本当にそうでしょうか?」
彼女が、水面を見ながら……水面に移る俺を見ながら、言ってきた。
「うん?」
意外な切り替えし。
「この鯉たちは、おそらく生まれてずっと水槽か、そういった場所に大切に育てられて、そしてそのままここに住む事になりました」
淡々と、彼女が水面に映る俺の顔を見ながら――彼女の静かな声。
「この子達は、大きな海も、長い川も……ここより広い場所があることを知りません。そして、そこには外敵がいることも、餌を自分でとらなければならない世界だということも……何も知りません」
「…………」
「本当の世界の広さも、深さも知りません。ですが、その辛さも苦しさも知らない。それを絶対の不幸だと、思えますでしょうか?」
そんな話を頭上でされていても、鯉たちは水面の下で、ゆらゆらと気ままに泳いでいた。
「一番の不幸はおそらく、外の世界には、魅力的なものがたくさんあると知りながら、それでも小さい場所で、ずっと暮らさなければならない事だと、私は思います」
箱入り。機会が無かった。勝ったことも敗れたことも無い――外の世界。
「どうでしょうか?」
はっとなって気がつくと、彼女は水面から目を離し、隣にいる俺の顔を見上げていた。
そして気がついたときにはもう、俺はとっくに彼女の得意げに微笑んだ瞳を見ていた。
「…………」
不意に、足元が浮いた。
揺れたといってもいいかもしれない。
もしくは、急に地面がなくなってしまい、落ちる瞬間を経験したとすれば、その感覚だったのかもしれない。
「私をどうか、外へ連れ出していただけませんか?」
彼女の得意になって微笑む顔は、この先ずっと忘れられないだろう――
SSSコイ 石黒陣也 @SakaneTaiga
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