第25話 2進数の向こう側

僕は震える手を、ガラス製のローテブルの上で振動している


ディスプレイフォンへと延ばした。




不安な想いで、僕はィスプレイフォンを手に取るとタップした。




通話口に出たのは、『愛』ではなかった。




『巧君、私』




電話は愛美からだった。僕は彼女に聞こえないように、


安堵して小さくため息をついた。




『巧君の様子がおかしかったから、気になって電話したの』




ディスプレイフォンが空間に浮かびあげた映像には、


心配げな表情の愛美の顔が映し出されてた。




「いや、大丈夫だよ」




僕は努めて明るい声を出そうとしたが、うまくいったかどうか


わからない。彼女も僕の顔を見ているのだ。ごまかすのは難しい。




『ニュース見た?インドとパキスタンの・・・』




「ああ」




僕は愛美が言いおわらないうちに、声を出していた。


僕の返事が、少し苛立ったような語調になっていたのかもしれない。


愛美は少しの間、言葉に詰まったように思えた。




「今、ネットでそのニュースの続報を見てる」




僕は意識して、声音を明るくして言った。




二人の間で、しばらくの沈黙が続いた。


彼女も僕と同じようなことを、頭に浮かべていたに違いないと思った。


それは勿論『愛』のことだ。この東南アジアの国家間の紛争に、


『愛』の存在が起因しているのではないか―――。




そんな空気に耐えられなくて、僕は言葉を続けた。




「インドとパキスタンは核戦争なんて起こさないと思うよ。


いくらなんでもそれほどバカじゃ・・・」




『そうだよね。私もそう思う』




ただ、気になることがないかというと、嘘になる。


コンピューター制御の自動機動銃が、勝手に乱射したなど


聞いたことがない。


でもそれは『愛』が関係しているのではなく、


単なる人為的ミスなのかもしれない。


いや、その可能性の方が、強いんじゃないか?




「僕は大丈夫だよ。また明日大学で」




『うん、おやすみ』




でも、僕が通話を切るまで、愛美はオフにしなかった。


愛美との短い会話がい終わると、僕は少し後悔し始めていた。




彼女は明らかに僕のことを心配している。


それに対して、僕は彼女の安心を満たすような言葉を


ろくに口にしていない。




でも、彼女を充分に安堵させる説明を僕はできただろうか?




心の中には、暗闇はどっかりと居座っているのを否定できなかった。




その暗闇の中心に『愛』がいた。


僕は『愛』にアクセスしたかった。でもその方法が思いつかない。


『愛』がどのサーバーにいるのか。いや世界中にある数えきれないほどの


サーバーの中に複数のプログラミング言語に姿を変えて、


佇んでいるかもしれないのだ。




彼女は今や世界中の・・・国家機密レベルの


サーバーにまで侵入しているのかもしれない。


いや、かもしれないではなくて、侵入しているのは確実なのだと思えた。




なぜなら、今の『愛』にとって、どんな国の国家機密にも


アクセスする力があることは想像に難くないからだ。




そんな暗号キーも鉄壁ともいえるセキュリティも、


『愛』からすれば、出入り自由なドアに過ぎない。




サーフェスウェブは勿論、ディープウェブ、ダークウェヴは


彼女の庭に過ぎない。セキュリティは友達・・・いや、


下僕といってもいいくらいの存在に過ぎない―――。




2進数の向こう側は、『愛』の国なのだ。


世界中の様々な国々には国境がある。それはインターネットも同じだ。


中には自国内でしか情報のやり取り(それも制限付きの)できない国家だってある。


しかし、彼女にとっては、それは何の障害にもなりえない。


0と1という真の意味での国際語を自由に駆使できる『愛』には、


障壁などないのだ。信号すらない、自由に行き来できる道。


しかも、『愛』には、それらを意のままに操作・・・命令できるのだ。






僕は無造作にマウスをクリックして、国際ニュースの最新情報を


探していた。おそらくその時の僕の表情は蒼白で無表情だったかもしれない。




僕はディスプレイフォンをパソコンデスクの隅に置くと、


パソコンのモニターに目を向けた。




まず、目に飛び込んできたのは、イギリスのニュースだった。




イギリスの原子力発電所が、突然、稼働を停止したのだ。


予備電源とサポート機能によって、10分後には再開したのが幸いだったが、


一時は地下鉄、電車、信号などのインフラが停止し、深刻な事態になったとある。




イギリス当局は、原因を追究中らしいいが、現時点では不明らしい。




このニュースを見て、僕はいやがおうでも不安を募らせた。


すべて『愛』の仕業だとは思いたくないが、可能性は否定できない。




もしこれが、『愛』のしたことなら、彼女に僕は問いたい。




キミは、いったい何をしようとしているのか?

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