虚構の現実
ふと目を覚ますと、妙に視界がぼやけていた。おまけに、やけに眩しいときた。
もう……昼か?
なんだか、頭が重い。
今日はバイト、ある日だっけ……。
ぼうっとしたまま身体を起こそうとした途端、猛烈な頭痛に襲われた。まるで金属バットか何かで、頭を殴られたみたいだった。
……っ!!
「……じくん、涼司君! 気がついた?」
この声、まさか……。
視界が少しずつ鮮明になっていく。
眩しすぎる蛍光灯に、真っ白な壁、おれを覗き込んでくる幾つもの顔。
あぁ……。
おれは呻いた。
こっちの方が現実か――
*****
差し出される朝倉の肩を借り、ベッドに腰掛けながら、おれは尋ねた。
「……状況は?」
聞かなくとも答えは分かっていた。この雰囲気を見れば、否が応でも想像はつく。それでも、訊かずにはいられなかった。
「何か変化は?」
「ない」
淡々と朝倉が応じる。
「目を覚ました順序も、おおよそ同じだ」
「順序……?」
朝倉は、どこか自虐的な笑みを浮かべた。
「涼司ほどではないにしろ、僕と池田さんも目覚めるのが遅いらしくてね。他の3人に較べて、1時間程のずれがあるそうだ」
ずれ……。
「目覚めた後の体調も良くない。他の3人は、まだほとんど不調は感じていないらしいのにだ。……おまけに」
朝倉は自分の腕を捲り上げた。怪訝に思って見ていると、朝倉は歪んだ笑みを浮かべた。
「見ろ。何かを注射された痕だ」
……注射?
慌てて自分の袖を捲り上げると、そこには、朝倉のそれよりはっきりとした痕跡が残っていた。青黒く腫上がった腕。
ぞっとした。
「この痕は全員にあった。恐らく、体の不調とも無縁ではないんだろう」
全員……って。
見回すと、誰の顔にも不安の色が滲んでいた。
「ちきしょう!」
突然、今井が叫ぶ。
「何も変わらなかったじゃねぇか! いや、かえって状況は悪化してる。おい朝倉! お前、何考えてあんな真似――」
「今井」
おれは口を挟んだ。もう、敬称をつけてやる気もなかった。
「朝倉だって万能じゃない。分からからないものは分からないんだ。人のせいにするな」
今井は一瞬、呆気にとられた様子で、それからみるみる顔を真っ赤にした。
「お前、何様のつもり……!」
おれもいい加減、今井の言動には飽き飽きしていた。
……不安なのは、お前だけじゃねぇんだよ。
おれの態度が癇に障ったんだろう。今井がおれの胸倉を掴み上げてくる。
ちり、と胸が疼いた。
「今井! 涼司も止めろ!」
そのときだった。
「喧嘩は止めなさい!」
突然、大窓の向こうが透けて見えた。
そこにずらりと並んでいたのは、総勢で6、7名くらいの白衣の男達だった。
*****
何だ、こいつら……?
「不安を与えてすまなかったね」
始めに口を開いたのは、口髭を蓄えた初老の男だった。この中で、一番の年長者に見えた。
「お前ら……誰だよ!」
裏返った今井の声に、淡々と男が応じる。
「我々は医者だ」
……医者?
男たちは、白衣を身にまとっていた。医師だと言われれば、確かにそうかもしれないと思わせる。
けど……。
どこか得体の知れないものを感じて、おれはそいつらを睨んだ。
まるで、タイミングを計ったように現れた男たち。
医者だって……?
「手荒な対応を許してほしい。突然のことで、さぞ混乱したことだろう」
同情するような笑み。
何だろう、苛々する……。
「どういうことでしょう」
朝倉の問いに、男たちのは真剣な顔で告げる。
「結論から言おう。君たちは」
ここで一旦言葉を区切り、初老の男はおれ達の顔を見渡した。
「未知のウイルスに感染したのだ」
……は?
「……仰る意味が分かりかねますが」
朝倉の声に口髭の男は頷いて、隅に控えていた男に合図を送る。それを受けて、パソコンの前に座っていた男がキーボードに手を走らせた。
と、大窓の一部に画像が映し出される。緑に覆われた山々。恐らく、航空写真だろう。
「これが何だと――」
言いかける今井を遮り、
「見たまえ。ここは、君たちが宿泊していた一帯だ」
言って、沈鬱な表情になる。
「実は、この地域には某国のテロリストが潜伏していてね。幸い、奴らはすぐ殲滅されたが。問題は、奴らが生物兵器を保有しており、それが流出したということだ」
「……何言ってんだ?」
それは今井か、おれの呟きだったのか。
「君たちは、その未知のウイルスに感染した恐れがあるのだよ。そのために、ここに隔離されたんだ。分かるかね?」
おれたちは顔を見合わせた。
分かるか、だって……?
余りに非現実的な説明に、到底、頭がついていかない。
「そんなニュース、聞いたこともねぇ……。いい加減なこと言ってんじゃねぇぞ!」
次第に声が上ずっていく今井に、口髭の男は肩をすくめた。
「これは国家間の戦争をも引き起こしかねない、極めて繊細な問題なのだよ。情報を伏せるのは当然のことだと思うがね」
……戦争? ……って、おい、ここは現代の日本だろ……?
「もし、その話が本当だとしても」
中嶋だった。
「あの辺りは、立ち入り禁止にすらなっていなかったわ。それほど危険な状態なら、どうして人の出入りを禁じなかったの? 規制して当然でしょう……!」
次第に甲高くなっていく中嶋の声に、男達は顔を見合わせる。パソコンの前に座った男も、口元に手をやるのが見えた。
おれは思わず、目を見張った。そいつが、ほくそ笑んだように見えたからだ。
見間違いか……?
「君の言う通り、これは不幸な事故なのだよ」
初老の男が答える。
「テロリストが殲滅された後、規制は速やかに解除された。不用意に規制し続ければ、それだけ怪しむ者が出るからね。これは一般人に、という意味ではなく、その道のプロに、と言う意味だが。とにかく、これ以上、争いの火種を残しておきたくなかったのだよ。……しかし、それが裏目に出てしまった」
言って、おれたちの顔を見回す。
「後になってウイルスの流出が判明したんだ。すぐさま、立ち入り規制が行われたよ。同時に、立ち入った者への隔離命令が出された。そして」
男は同情するような目を向けた。
「……運悪くそれに該当したのが、君たちだったというわけだ」
おれ達は沈黙した。
そんな話を、信じろだって……?
「君達にとっては、さぞ突拍子もない話に思えるだろう。だが、これが現実なんだ」
現実? 現実だと……?
「証拠は? 私達が感染しているという証拠でもあるんですか!」
搾り出すような中嶋の問いに、初老の男は『気持ちは分かるよ』とでも言いたげな顔をした。
「もちろん、君たち全員が感染しているという確証はない。だが、君たちの中には、既に身に覚えのない不調を感じている者もいるのではないかね?」
おれは息を飲んだ。
これが感染の証拠だっていうのか?
信じられない。信じられるわけがなかった。
……いや、信じたくない……だけなのか……?
「家族に……家族に連絡を取らせて下さい!」
叫ぶような池田の声に、おれははっと我に返った。
そうだ、とにかく家に連絡を……!
「すまないが、それはできない」
「どうして!」
おれが叫ぶより早く、水野が叫んだ。
「どうしてできないの?! そんなの、おかしいでしょう! 大体、親にはなんて言ってあるのよ? 私たちが帰らなきゃ、心配するじゃない……!」
「その点は心配いらない」
脇にいた中肉中背の男が、短く答える。
「ご家族には連絡済みだ」
「だったら、どうして会えないの……!」
口髭の男が、聞き分けのない子供をあやすような口ぶりで応じた。
「分かってもらえないかな。これは国家間の戦争をも引き起こしかねない、高度に政治的な問題なんだよ。そう簡単に、人の出入りを許すわけにはいかないんだ」
「そんなの、単なる人権侵害じゃない……!」
池田の声に、口髭の男はため息をついた。
小太りの中年男が、後を継ぐように吐き捨てる。
「全く……。はっきり言われなければ分からないのか? 君たちが感染したのは、未知のウイルスなんだ。ワクチンも存在しない。どんな症状を引き起こすかもわからない。そんな危険なものがある場所にご家族を呼んで、感染を広げる気か?
我々だって危険を冒してここにいるんだ。少しは、我々の身にもなってくれないかな!」
何だよ、それ……!
無茶苦茶だと思うのに、上手く言い返すことができない。
「それで? あなた方は今、何をしているんです?」
朝倉が、無機質な声で尋ねた。
「僕等を隔離して、様子を見ているだけですか? ……それとも」
言って、朝倉は口の端を歪めた。
「僕等が死ぬまで様子を見て、データをとろうというわけですか」
……っ!
口髭の男が、ため息をついた。
「……いいかね? 我々にケンカを売らないでもらいたい。我々としても、最善を尽くしているんだよ。注射の痕を見ただろう? 我々はでき得る限りの知力をもって、全力で君たちの治療にあたっているんだ」
朝倉は笑った。おれだけが知っている、見事なほど上っ面の笑いだった。
「……では、ガスで僕等を眠らせた訳については?」
「我々まで感染することを防ぐためだよ。何も知らない君たちに不用意に抵抗されれば、こちらまで感染する恐れがあるからね。それを防ぐためだ」
「なるほど」
朝倉は微笑んだ。……だが、目が全然笑っていない。
「もう一つお聞きしたいのですが。このウイルスは、一体どのような感染経路を辿るもの何です?」
髭の男は難しい顔をした。
「まだ結論は出ていない。血液感染の疑いもあるし、接触感染……最悪、空気感染ということもあり得る。だからこそ、君たちはそこに隔離されているのだ」
「ち、ちょっと待てよ……」
上ずった声を上げたのは、今井だった。
「じゃあ何か? もし感染していない奴がいても、ここにいたら、いずれは全員、感染しちまうってことじゃねぇのかよ……?」
男達は顔を見合わせる。そこに薄笑いを見た気がして、おれは目を疑った。
何なんだ、こいつら……。
「おい! どうなんだよ! 感染の証拠は体の不調だって言ってたよな。じゃあ、どこも悪くない奴は!? 感染なんかしてないんじゃねぇのかよ!」
男達の一人が、手元のクリップボードを見ながら応えた。
「君……今井君だったね。なるほど、確かに君には、体調不良の兆しが見られないようだ」
「そう! そうなんだよ! おれはまだ、感染なんかしてねぇんだよ! だから、今すぐここから出してくれ!」
今井……。
おれは、何かしら苦い思いで今井を見つめた。
「なあ、早く――!」
髭の男が口を開く。
「落ち着きたまえ。確かに君は、まだ感染していない可能性もある。君だけでなく、中嶋君と水野君、彼女達にも体調不良の兆しは見られないようだ」
「だったら……!」
「だが、単なる潜伏期間かもしれないだろう? すまないが、もう君たちをそこから出すわけにはいかないんだ」
今井は絶句した。
「じゃあ、いつ! いつになったら出られるんだよ!」
髭の男は、ため息をついた。
「我々にケンカを売らないでもらいたいと言ったはずだ。現在、我々は総力を挙げて実態の調査に取り組んでいる。ウイルスの正体が判明し、ワクチンが開発されたなら、君たちも自由になれるだろう」
「そんな……!」
「これ以上、伝えるべきことは何もない。今日はこれで失礼する」
そう言って男達は背を向ける。
待てよ……!!
だが、その前に声を上げたのは、朝倉だった。
「嘘ですね」
「……嘘?」
男達は一斉に振り返った。
「……どういう意味かな」
朝倉は冷たい笑みを浮かべた。
「未知のウイルスですって? そんなのは嘘でしょう」
唖然とするおれ達の前で、朝倉はおれに視線を移した。
「涼司。お前になら分かるはずだ」
え……?
朝倉が低い声で問う。
「涼司。お前、気を失う前に何を見た?」
何……って……。
脳裏に蘇るのは、黒い人影ばかりだった。
……いや、待てよ……。
おれはこめかみを抑えた
そうだ、あいつら……あの格好は……?
弾かれる様に朝倉の顔を見返すと、朝倉は強く頷いた。
「分かるように説明してくれないかな?」
髭の男が苛立ったように問いかける。朝倉に促され、おれは頷いた。
こいつら、少し揺さぶってやる――
「なぁ、あんた達。ウイルスの感染経路は分からないって言ってたよな?」
「その通りだが?」
――この嘘つきめ。
「だったら、お前ら、何で素手でおれたちに触れていたんだ?」
はっと息を飲む気配がして、おれは確信を深めた。
あの時に見た黒い人影。あれは決して、保護衣などに身を包んだ姿じゃなかった。
「おれは、はっきり見たんだぜ? 本気で接触感染や空気感染を疑っているのなら、そんなふざけた真似するはずがねぇだろう!」
多少のハッタリも含まれていたが、男たちは目に見えて動揺した。何と切り返したものか迷っている様子が、手に取るように分かる。正直、拍子抜けするほどだった。
はっ、安直すぎだろ……!
そのとき、笑い声が響いた。この場にひどく不釣合いな笑い声。
嫌悪感を覚えながら視線を動かすと、一人の男がニヤニヤと笑いながら立ち上がるところだった。
今までパソコンの前に座っていた男。
40~50代くらいだろうか。肩口まで伸びた髪はざっくりと後ろに束ねられ、見るからに鬱陶しい前髪からは陰湿な光が覗いている。
「朝倉君、だったかな。君、鋭いねぇ」
何かを言いかける口髭の男を手で下がらせ、男がおれ達の前に立つ。
この男が前に出てきただけで、その場の雰囲気が一変した。
こいつが本当の責任者ってわけか。
「いいねぇ。君のような人材は、ぜひ我々の手伝いをして欲しいがねぇ」
まるで舌なめずりでもしそうな顔。見ているだけで胃がむかむかした。
「ご託はいいから、さっさと本当のことを言いやがれ……!」
男はおれに視線を投げ、そして顔を歪ませた。口元が哄笑の形に釣りあがる。
「本当に聞きたいのか? 真実はいつも残酷だと言うじゃないか。我々はせめて、君たちの心労を減らそうとしていたんだがねぇ……」
こいつ……!
この男と話していると眩暈がする。神経を逆撫でされる気がして、
あぁくそっ、抑えろ……!
おれの視界を遮るように朝倉が立ちはだかった。
「ぜひ、その真実とやらをお聞きしたいのですが?」
そいつは、嫌な笑いを浮かべた。
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