試行
身代金目的?
ありえない話ではないと思ったが、金目的で誘拐するのなら、普通は子供を狙うのがセオリーじゃないだろうか。金銭目的で大学生を……しかもこんなに大人数を一度に攫ったりするものか……?
「ねぇ、智ちゃん。裕香さんも、どう思います……?」
声をかけられた池田と中嶋は顔を見合わせ、それから朝倉に助けを求めた。
「朝倉君、どう思う?」
朝倉はちらりと視線を上げ、それから首を横に振った。
「今どき、大学生を捕まえて身代金を要求するなんて、そんな危険なことをする奴がいるかな。……僕たちの誰かが、どこかの御曹司とでも言うならともかく」
その言葉に、今井が弾かれたように顔を上げる。
「おい、誰かいるんじゃないか? 実は、実家が大金持ちだっていう奴」
おれたちは一斉に顔を見合わせた。
……いや、それはねぇだろう……ないよな?
案の定、全員が首を横に振った。
「おい、今さら隠すなよ? 別に取って食おうって訳じゃねぇんだから」
その言い方が妙に道化じみて聞こえて、思わず乾いた笑いが込み上げる。
「おい矢吹。何がおかしいんだよ」
それを目ざとく見つけて、今井が憤慨した顔でおれを睨んできた。
「人が真剣に話してるってのに、その態度は何だよ? えぇ?」
……あぁ、くそ。
おれは内心で舌打ちした。単に、誰かに八つ当たりしたくて、おれに絡んできたと直感したからだ。
とっさに言い返してやりたくなったが、さすがにそれはまずいと思った。
それくらいの分別はおれにだってある。
それで、どうにかこうにか頭を下げる。
「いえ、スミマセン。ただ、この中の誰かが御曹司っていうのは、さすがにないんじゃないかって……」
我ながら直球過ぎる言い訳に、今井はおれを睨みつけてきた。
「それぐらい、俺にだって分かってるんだよ。分かってて、聞いてやってるんだ」
はぁ……?
その言い方にむかつくものを覚えながらも、おれは奴を見上げた。
「考えてもみろよ。金目当てじゃないってんなら、俺たちを閉じ込めた理由は何なんだよ? 殺すために閉じ込めたとでもいう気か?」
……殺す?
その言葉に、女性陣がびくりと肩を震わせる。
きっと誰しもの脳裏を掠めていたことだが、敢えて口にするのを避けてきた言葉だった。
思わず押し黙ったおれたちに、今井は大げさに肩をすくめてみせた。
「何だよ、お前らも本当はそう思ってたんだろ? これはおれ達の誰かを、どこかのボンボンと間違えた大馬鹿野郎の仕業か、そうでなけりゃ、ゲーム感覚の誘拐だろうってな」
今井はここぞとばかりに身を乗り出してくる。
「そうさ。金目当てじゃないってんなら、これはきっと、ゲームと現実の区別がつかなくなったイカレ野郎の仕業だろ。んで、そういう奴の最終目的と言やぁ、相場は決まってる。……おれたちを殺して楽しむことってわけだ」
……何言ってんだ、こいつ。
いくらなんでも、荒唐無稽すぎる。
ゲームのやりすぎはお前だろ。
急速に不快感がこみ上げ、思わず今井を睨みつけそうになって、おれは慌てて目を瞑った。
いけねぇ、気をつけろ……。
幾度となく経験したこの感覚。
ばか、落ち着け……。こんなの、たいしたことじゃねぇだろ……?
そのとき、静かな声が耳に届いた。
「それは違うんじゃないかな」
朝倉だった。
「違うって、何が」
「断言はできないけど。今すぐに僕たちをどうこうしようという気はないと思う」
自説をあっさりと否定され、今井が苛立ったように問い返す。
「何でだよ? なぜそんなことが言える? 単に、お前がそう思いたいだけじゃないのか?」
攻撃的な口調にも、朝倉は動じる様子がなかった。
「今すぐ殺すつもりなら、わざわざこんなところに閉じ込めたりするかな。閉じ込めただけで、拘束するわけでもなし。多分、今は様子見といったところなんだろう」
その言葉に、おれは朝倉を見返した。
「……様子見?」
「そう。恐らく、オレたちの動向を見ている――」
言いながら、朝倉はちらりと窓を振り仰ぐ。
「何のために?」
中嶋が尋ねたが、朝倉はこれには返答しなかった。
「じゃあ何だ? お前は一体どうしろってんだよ? 何か動きがあるまで、大人しくここで待ってろっていうのか?」
今井が、拗ねた子供のような声を出した。
「おれは腹が減ったんだよ。ちくしょう、殺す気じゃないってんなら、メシぐらいだせよ!」
メシって、お前……。
呆れ返ったとき、水野がはっとしたように顔を上げた。
「そうだ、食事」
言って、池田の服を引っ張る。
「ねぇ、智ちゃん。待っていれば、そのうち誰かが食事をもって現れるんじゃない?」
「え、と、それはそう……、――あぁ!」
池田の声に、朝倉も微かに笑みを浮かべた。
「そうだね、その時にもう少し情報を得られるかもしれないね」
今井は勢いよく立ち上がった。
「よぉし、決めたぜ!」
……今度は何だよ?
半ばげんなりしながら今井を見上げる。と、
「ドアの前で待ち伏せしてやろうぜ。誰かが入ってきたところを、ふんづかまえて締め上げてやるんだ!」
はぁ?
とっさに、それは無謀だと思った。
……その程度で、どうにかなる相手なのか?
だが、口を開く前に今井がおれを指差してくる。
「おい矢吹と朝倉! お前らも協力しろ!」
は?
冗談じゃないと思った。
なんで、こんな野郎の言うことをきかなきゃいけない?
それに、もしこの窓が監視用のものだったらどうする気なんだろう。おれ達の行動は筒抜けだって、本当に分かってるんだろうな、こいつ……。
到底、今井の案に乗る気にはなれなかった。だが、朝倉はあっさりと頷く。
「いいよ、わかった」
おれはぎょっとした。
おい、本気か?
けど、朝倉の目を見て納得する。
目が白けている。単に、反論するだけ馬鹿らしいと判断したんだろう。
こうなったときの朝倉は、途方もなく冷たくなることをおれは知っていた。
ったく、仕方がねぇか……。
女性陣の不安げな視線の中、おれたちは入口に一番近いベッドに陣取った。といっても、ベッドに浅く腰掛けただけだったが。
すると案の定、今度は全員でドアの前に貼り付くべきだと喚いてくる。
お前な……。
苛立つおれに気づいたのか、
「相手はいつ現れるか分からないだろう? ずっと気を張っていたら身が持たないよ」
朝倉がすかさずフォローしてくれる。その言葉に、今井は渋々不満を飲み込んだようだった。
とはいえ、じっと待つなど、やはり今井の性分には合わなかったらしい。今井はドアとベッドの間を何度も行き来し、小一時間も経たない内にドアを蹴り付け始めた。
半ば予想していたことだが、おれは内心で溜息をついた。
いい加減にしろよ……。てめぇ、仮にも先輩だろうが。
そう言ってやりたいのを辛うじて堪える。
だが、当の今井は、まるで気にしちゃいないらしい。苛々した表情で朝倉を睨んだ。
「一体いつまで待たせる気だよ? おい、朝倉! 何かいい手はないのかよ!」
それまでずっと考え込む風情だった朝倉は、今井の言葉に顔を上げる。
「ご自慢の頭脳も、ここでは何の役にも立たないってか?」
……おい。
言われた当人でなくとも、思わずむっとするような言い草だった。
だが、口を開きかけたおれの肩を、朝倉にそっと押し戻される。
「そうだね、じゃあ、試してみようか?」
今井はきょとんと朝倉を見返した。
「試すって何を?」
朝倉はちらりと天井を見上げ、それから窓を指差した。
「あれをシーツで覆ってみるんだ。こちらの様子が分からなくなったら、何か動きがあるかもしれないだろう?」
……なるほど。
おれは頷いた。
そうすれば、あれが本当に監視用の窓なのかも確かめられるしな。
今井は一瞬惚けていたが、すぐに「そうか!」と手を叩いた。
「ちくしょう、何ですぐに思いつかなかったんだろう! くそっ、見てろよ。向こうの奴ら、泡食ってんじゃねぇぞ」
当座とはいえ、明確な目的ができたせいだろう。今井は俄然勢いづき、シーツを持って窓に向かった。
「おい中嶋! 池田と水野、3人で窓を覆ってくれ。俺たちはドアの傍に控えているからよ」
中嶋と池田は顔を見合わせ、朝倉にそっと伺うような視線を送る。けど、それでも朝倉が何も言わないのを見てとると、不承不承立ち上がった。
露骨に不安そうな水野の背中をなだめる様に叩き、池田と中嶋は指示通りにシーツを広げる。
それを見ながら、朝倉がそっとおれに囁いた。
「涼司。天井の換気口に気をつけろ」
意味が分からず朝倉を見返すと、幾分蒼ざめた顔が口早に理由を告げた。
「何か変だと思ったら、息を止めるんだ。……もしかしたら、ガスが使われるかもしれない」
……ガス? ガスだって?
惚けた顔をしているだろうおれに、朝倉は皮肉げな笑みを浮かべた。
「そんなことをしても、大して意味は無いだろうけどね。……でも、時間を稼げば、何か分かるかもしれない」
時間って……。
意味をとりかねて、おれは朝倉を見返した。
それからようやく、朝倉が言わんとしていることに気づく。
……そうか。
あの大窓が監視用なら、換気口はガスの流入経路。朝倉はきっと、始めからそう疑っていたんだろう。おれ達が何か妙な真似をすれば、またあのガスを使うのではないかと懸念していた。
だから、おれたちには黙っていた。他にいい手はないかを、今までずっと考えていた。
それが結局、おれたちにこんな真似をさせたということは――、
「他に打つ手はねぇか」
朝倉はおれを振り返り、それから自嘲めいた笑みを浮かべた。
「正直、途方にくれてるよ」
……。
朝倉が弱音を吐くのを、おれは初めて聞いた気がした。
その後の顛末は、見事なほど朝倉の予想通りだった。
換気口から微かに音が漏れたと思った途端、皆が次々と倒れていく。
おれと朝倉は息を止め、しばらくはベッドに倒れ込んだ振りをしていた。
早く、早く姿を見せろ……!
そう心の中で念じて入口を睨んだが、扉はウンでもスンでもなかった。
……ちくしょう、もう保たねぇ……!
耐え切れずに息をした瞬間、ひどい眩暈に襲われた。
何だか、無性に腹が立った。誰かに、いい様にあしらわれている気がして吐き気がした。
……ちきしょう……朝倉……は……。
視界が歪む。意識を保とうとすると、頭が割れそうに痛んだ。
ふと、自分の体が誰かに運ばれているような感覚を覚える。
……ぁ……?
抵抗しようとしたが、体がまるで言うことをきかなかった。
せめて顔だけでも拝んでやろうと無理やり瞼をこじ開けると、いくつもの霞んだ人影が映った。
『……こい……めお……』
『……く……て……』
断片的な言葉が耳に入ったが、何かの意味を成す前に、霧散するように消えていく。泥のような眠気が、おれを引きずり込んでいく。
この……くそったれ………が………
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