不穏な目覚め


 目を覚ますと、筋肉の引きつるような、灼けるような感覚に襲われた。

 ……いつっ……!


 一瞬、こむら返りでも起こしたのかと思って、すぐそれは見当違いだと気づく。

 ……熱い、いや、冷てぇ……?


 まるで氷を握ったときのように、ただ痛いという感覚が脳をつつきまわした。

 ……何だよ、これ……?


 目を凝らすと、ただ一面が真っ白だった。

 ……は?


矢吹やぶき!」


 突然の声に心臓が跳ねる。けど、そちらを振り向こうとした途端、まるでコンクリートの塊か何かで、頭をぶん殴られた気がした。

 

『だい……!? ねぇ……!』

『おい、どう……』

『目を……けど、ひどく……る……!』


 何人もの声を聞いた気がするのに、そのどれもがひどく遠い。


「……か? おい、……!!」

涼司りょうじ!」


 名前を呼ばれても、答えることなんかできやしない。

 ただひたすら耐えていると、ようやく痛みが収まってくる。

 

 それでようやく瞼をこじ開けると、視界に飛び込んできたのは漆黒の糸、じゃなくてストレートの髪で。


「あ……、中嶋……?」


 目の前にいたのは、幼馴染の中嶋裕香ゆうかだった。長く伸ばしたストレートの髪を耳の後ろにかき上げながら、彼女はほっと安堵したような表情を浮かべた。


「涼司君、よかった……」


 長い睫にうっすらと涙が滲んで見えて、おれは慌てて言葉を探した。


「中嶋、だよな。お前――」


 何でこんなところに、と続けようとして、


「池田……? それに水野まで……?」


 憮然とした顔つきの二人の女子。池田智子ともこに水野結衣ゆい。二人とも大学のクラスメイトだった。


 池田はショートカットの髪に快活な笑顔がトレードマークの、学科内でもけっこう人気のある奴だ。おれも話したことはあるが、サバサバしていて気持ちのいい奴だった。


 一方の水野は、まだ幼さの残る顔に、緩くウェーブのかかった髪がよく似合う、一部で熱狂的ファンを生み出しているような奴だった、けど……。


 ……何で、こいつらがここに?

 思い出せない。上手く記憶が繋がらなかった。


 ……ったく、何がどうなってんだよ。

 今だに重い頭を忌々しく思いながら体を起こそうとしたとき、再び激痛が走った。


『涼……っ!』

『矢吹っ』


 気付くと、おれは頭をシーツにこすり付けていた。どうやら起き上がろうとして、そのままベッドに突っ伏してしまったらしい。


「大丈夫……? 苦しい……?」


 ふと気づくと、誰かが背中をさすってくれていた。思わず目頭が熱くなって、慌てて歯を食いしばる。

 な、これくらいで……!


 とにかく顔だけでも上げようと思ったが、頭を動かすと、冗談抜きで吐きそうになる。

 一体、何だってんだよ……。


 言い様のない不安が込み上げてきたが、おれは今度こそ気合いで上半身を引き起こした。

 と、目の前には、ひどく蒼白な顔をした中嶋や水野がいて。池田も、不安げな表情を浮かべている。

 

 ……いや、ちょっと。


 注目を浴びて悪い気はしない、なんてことのあるはずもなくて、こうも不安げだと、むしろすこぶる居心地が悪い。

 ていうか、勘弁しろ。

 

 それでおれは、無理矢理、笑顔を浮かべて見せた。


「悪ぃ、もう大丈夫だ」


 本当は、大丈夫なんかじゃなかった。どうしてこんなに苦しいのか、自分でも訳が分からない。

 けど、怯える彼女たちを前にしたら、本音なんか言えねぇだろう?

 と、思ったわけなんだが――


「嘘つき!」


 水野に叫ばれ、おれはどきりとして彼女を見上げた。


「全然、大丈夫そうに見えないもの!」


 水野が、まるで噛み付くような顔でおれを睨んでいた。普段、可愛らしい印象の強い水野だけに、こんなに取り乱した姿は意外だった。


「結衣ちゃん! 落ち着いて。ね?」


 言って、池田が水野の肩を叩く。それから、おれを振り返って頷いてみせた。

 意味が分からず池田を見返すと、彼女は苛立った顔でもう一度強く頷いてくる。


 いや、そんな顔されても。……あー、あぁ。


 ようやく池田が何を言いたいのか分かった気がする。それで、今度はゆっくりと噛み砕くように言ってみた。


「水野。本当にもう、大丈夫だから」

「……本当? 本当に大丈夫?」


 すがる様に聞き直され、おれは一瞬言葉に詰まった。

 おれのことが心配、というより、何か別のことが心配で心配で堪らない、といった風に見えた。

 けど、おれは今度こそ何でもない素振りで頷く。


「ああ、本当にもう、何ともねぇから」


「大丈夫だって。ね? ほら、矢吹も平気そうにしているじゃない」


 池田がすかさず取りなしてくる。

 実際、頭痛や吐き気は治まってきていた。いつの間にか、悪寒もほとんどしなくなっている。

 水野はおれと池田を交互に見つめ、それからようやく表情を緩めた。


「うん、そうだね。……よかった」


 ……よかった?

 水野の呟きに、少しだけ顔が引きつってしまう。

 ……よくは、ねぇんだけどな。


 相変わらず、何が何だかさっぱり訳が分からない。

 そろそろ、誰かおれにも分かるように説明してくれねぇかな……。


 そんな気分で口を開きかけて、そのとき初めて、他にも人影があることに気付いた。


「……朝倉?」


 朝倉克己かつみ。高校時代からの友人で、……多分、おれが唯一、親友と呼べる奴だった。

 いつも通り、小さなメガネの奥から理知的な光が覗いている。けど――


「お前までいたのか?」


 思わず口をついて出た言葉に、朝倉は少しだけ呆れたような顔をした。


「もしかして、気付いていなかったのか?」

「え? いや、まぁ……」


 朝倉は苦笑するような笑みを浮かべた。


「でも、安心した。本当にもう大丈夫みたいだな」


 いつもと変わらぬ朝倉の声。おれもなんとなくほっとして、同じように笑みを返した。


「まあな」


 中嶋も安堵したように息をつく。振り仰ぐと、池田も大仰なため息をついていた。


「まったく、あんまり心配かけないでよね。心臓に悪いんだから」


 ……いや、そんなこと言われてもな。

 口にこそ出さなかったものの、その思いは顔に出ていたらしい。朝倉の苦笑するような気配が伝わってきた。


「まあ、涼司だけ全然目を覚まさなかったからね。その上、ようやく起きたと思ったら、これだろ? 心配するなと言う方が無理かな」


 ……おれだけ?

 なんだかまた不安になってくる。


「それ、どういう意味――」


 言いかけたとき、すぐ脇から、にゅっと顔を覗かせた野郎がいた。


「おい矢吹。俺もいるってこと、ちゃんと分かってるか?」


 ひょろりとした体格に茶色の長髪。


「あ、今井さん?」


 そこにいたのは、学年としては一年先輩にあたる今井康介こうすけだった。おれは浪人、今井は現役だから、年齢としては同じだったが。


 ……って、何で今井まで? 

 いや待てよ、このメンバーってことは……。


 だけど、この場所には全く心当たりがなかった。


「一体、何がどうなってるんです?」


 一応、敬語で問いかけると、今井はお手上げのポーズをしてみせた。


「そりゃ、おれが聞きてぇよ」


 もう少し分かるように説明してほしくて今井を見上げたが、奴にはそれ以上話す気がないようだった。


 ……まぁ、ハナから期待しちゃいなかったけど。

 おれは内心で溜息をつきながら、朝倉に視線を戻した。


「なあ。ここ、病院なんだろ?」


 すでに、視界ははっきりとしていた。

 おれが今いる場所は、天井の高い、やけにがらんとした空間だった。そこに10人分のベッドが2列、等間隔に配置されている。いかにもがっしりとした造りのパイプベッドに、真っ白なシーツ、真っ白な壁。何もかもが真っ白で落ち着かなかった。

 白くないものといえば、壁にはめ込まれた大窓だけだ。黒光りするそれは、この空間には何だか異質で、圧倒的な存在感を誇示していて、それだけに不気味だった。

 でも、少なくとも清潔だった。病院のように思えた。他に思い当たる場所がなかった。


 けど、おれの問いに朝倉は複雑な表情を浮かべた。


「どうだろう、そうかもしれないけど」

「そうかも?」


 朝倉の顔が曇る。


「分からないんだ。目が覚めたらここにいて。……病院のようにも見えるけど、それにしては変だ」

「変?」


 朝倉が暗い表情で答える。


「ドアが開かない」


 おれは朝倉を見上げた。


「……開かないって、そこのドアがか?」


 おれは、奥に見えるドアを指差した。スライド式の真っ白な1枚扉。取っ手は見当たらなかった。


「もう何度も試したんだ。でも開かない。窓も開きそうな気配がない」


 おれにもようやく、事態の異常さが飲み込めてきた。


「つまり……」

「僕たちは、閉じ込められている」


 ……。


 目を覚ましたときに感じた、妙な空気を思い出す。ひどく不安げで、まるで焦ったような表情。

 そうか、だから……。


 黙って見上げたおれに、朝倉は了解したように頷いた。この辺りの意志の疎通は早い。高校からの付き合いのせいかもしれなかった。


「僕たちは、涼司よりずっと前に目を覚ましたんだ。多分、数時間は早いだろう。それから、ずっとこの部屋を調べていた」


 朝倉はいったん言葉を切り、微かに顔を歪める。


「でも、何も見つからないんだ。この部屋にはベッド以外に何もない。医療設備なんか見当たらない。ただ、完全な密室だ」

「あぁ、奥にトイレはあったぜ」


 横から今井が口を挟む。朝倉は頷いた。


「そう、水洗トイレが1つ。でも、それだけだ。時計もない。だから、今が何時なのかも分からない」


 ……時計?

 言われて、おれは自分の手首を見る。そこに嵌めたはずの腕時計はなかった。


「涼司。お前、僕たちがここに来る前のことを覚えているか?」


 ……ここに来る前?

 いや、分かんねぇよ。だから、それを聞きたい――


 言いかけて、その瞬間、脳裏を過ぎったもの。


 ――あぁそうか、そうだった。


おれ達は信州のコテージにいたんだ。そこで、ただ飲み会をしていた、はずだったのに――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る