エピローグ.僕と彼女の後始末

「そういえばセキくん、日本にはうつほ舟の蛮女と呼ばれる第三種遭遇についての記録が残っているようなのです。これはUFOブームの嚆矢となったアーノルド事件よりも140年遡る事例であり、世界で最古のUFO事件と言われていまして……」


 円藤沙也加は大学で顔を合わせると、いつもの通り与太とも雑学ともとれるオカルト話を僕に吹っかけてきていた。現在の茨城県の海岸で起きたUFOらしき存在との遭遇譚を蕩々と語っていく。


「と、そうなると日本は全世界で最初のUFO国家となるわけです。メリケンとも張り合えるほどの歴史を持っているのですよ」


 結局あの後、僕たちは元の日常へと帰ってきていた。何事も無かったように、何も変わらなかったかのように日々は続いている。


 円藤沙也加はあの脱出の翌日から大学の講義に復帰した。

 大学の講義で二週欠席しても単位を取れなくなる、と言うことは無い。

 三回以上の欠席でEにする、と公言する教授や講師もいるが、これまで真面目に出席してきた沙也加には特に問題が無いようだった。


 その後のこと……つまり『ちよろずのつどひ』についてのことは伝え聞くことしか無い。だが、沙也加は時折、この事件についての続報を折に触れて話題に出していた。


 曰く、依頼者の元へ山岸このはは無事引き渡された、とか。坂田比良金に随分と絞られた、とか。……妹の沙巫すなふに僕と連絡が途絶えたことについての説教を喰らった、とか。


 事件と直接関係のある話では無かったが、沙巫すなふには随分と助けられた。  

 いずれ彼女に礼を言いに行かなくてはならないだろう。


「……そういえば、超古代史研究会の話、聞きましたか?」


 そして今日も、事件の始末の一端について話題を持ってきていた。


「いや……どんな?」

「日文の教授が当局に訴え出たそうなのですよ。学術的に明確に間違いのある主張をする団体であることや、カルト団体の繋がりがある疑いについて追及したそうです」


 そういえば高津のゼミの教授が気炎を吐いていた、と言う言葉を思い出した。同一人物なのかは分からない。ともかく、大学内に動いた人間がいた。


「結果はまだ分かりません。果たして彼らが大学から追い出されるのか、それとも校風たる自由の尊重によって存在し続けるのか……まぁ、そこは大学のさじ加減と言ったところでしょうか」

「……なんだか、やりきれない気持ちだな」


 他人を害する自由など無い。僕はそう思う。この件で……というか、あの団体によって害された人間だってそれなりに居るはずだった。

 少なくとも僕は彼らの用いる異能によって洗脳されたような状況に陥った。金銭被害こそなかったが、しかし山岸このはは高額商品や合宿費用を支払っている。


 しかし、彼らの存在は限りなくグレーゾーンに近い。そして手口の一端に異能というかオカルトが絡んでいるために、彼らを裁く法律は存在しない。


 ……聞いたことがある。人に呪詛や儀式を行ったとして、その後に人が死んだり害されたりしたとして。だとしても法律で裁くことは出来ない。法律はその領域についての話をしない。


 これまでは妥当だと思っていた。だが、こうして怪異や異能が何らかの形で世界に出力されるというのなら、それは。


「物事とはおおむねそんなものです。人間の気持ちとか感情から生み出された物が常に割り切れるなどということも無いんですから。そもそも、そのために私のような存在がいるのですよ」


 沙也加は達観したような物言いをした。

 ……少なくともこの大学に彼らを批判する者がいる。それだけは、救いと感じられた。


 だが、それも大学内だけの話だった。

 円藤沙也加はその後も色々と調べ続けていた。


 『ちよろず』の関係者の中に地方政治に関わる者がいるとか、大久冥おおくめいが新たな刊行物を出してそれが書店の精神世界コーナーに並んでいるということとか、そういう情報を僕に提供し続けた。


 ただ、その話も次第に少なくなっていった。

 『ちよろずのつどひ』や超古代史研究会の構成員たちが僕たちに接触することも無かったし、彼らについて他の依頼が来ることも無かったからだ。


 『ちよろずのつどひ』もその首魁の大久瞑なる人物も、何の支障もなく活動を続けていた。


 決着を付けなくてもいいのか。

 ある日、僕は沙也加に問いかけた。だが、彼女の答えは「なんとも言えません」という、曖昧なものだった。


「結局のところ、私たちは頼まれたものをはらうことが仕事です。頼まれてもいないのにノコノコ出て行く、なんてことはしないのです」

「……そういうもの?」

「そういうものです。この世界からすべての怪異を滅ぼすことは出来ません。そうだな……戦争と同じですよ。無くなるとしたら人間が滅びるときでしょう。人間が生きている限りコミュニティーは出来るし、恐れるものとか信じるものも現れる。今回は、それがたまたま超古代とか神代という世界観とかカルトまがいの団体だったということなのです」


 沙也加の答えは、この事件に対して仕事人としてどう対処するか、ということに終始した。

 沙也加の仕事。これまでずっと行ってきたアルバイト。

 魔を時に退け、時に拝む。そういう在り方を彼女は自明のものとして行っている。


 その合間に、僕と彼女のオカルトに関する会話は行われていた。

 それは今も続いている。


「分からないな」

「何がですか?」


 『ちよろずのつどひ』についてはひとまず納得してもいい。

 別段戦いたい訳じゃ無かったし、彼らの存在が世界を滅ぼしたり僕らを害したりしないのであれば放置しても良いと思う。


 僕が分からないのは沙也加だった。


「……どうして君が矛盾を起こさないのか。君はオカルトのある世界に生きている。だけど実在を懐疑かいぎしたり……それを楽しんで見せもする」


 僕は彼女はあらゆるオカルトを楽しむ側の人間だと思っていた。

 信じるのでも無く、否定するのでも無く。


 だが、彼女が退魔師なる存在だというのなら、それはいびつだと思った。そんないびつな在り方のまま生きている。少なくとも、僕と出会ってから今日まで。


 沙也加は僕の疑問に失笑で返した。


「矛盾を起こしてない……なんてことはありませんよ。矛盾だらけです。私には何も視えない。でも、家族とか、周りの人が言うところに、それは在る。……私の経験に基づくなら、視えないことが正しいことになります。それが一般的な感性とも合致しています。しかし、私の心情を語るのならですね」

「うん」

「在って欲しいし、現れて欲しい。隠されたものがこの世界のどこかにあって……それが私の人生の一部であって欲しいと望んでいます」


 彼女はしかし、それは叶わぬ願いであることを自覚しているようだった。この世界にそれは在る。だけど、自分の前に現れることは無いだろう……と。


「私は退魔師であっても霊能力者ではありません。だけど、そういう中途半端な在り方でしか……その手の矛盾と、一生付き合ってしか、きっと生きていられない」 


 ……やはり、僕と彼女の抱えているものは違っている。

 別のことに悩み、別の在り方をしている。そして、たどり着いた答えも違う。

 真逆とすらいっても良いものだった。


 だが、同時に僕らはどうしようもなく同じ話をしていた。

 同じ言語でしか語れないことを、僕らは悩み続けていた。


 果たして、それが解決する日が来るのか。

 齟齬そごに折り合いを付けられる日が来るのか。

 それとも、来ないままなのか。僕には分からないことだった。きっと、誰にも。


「そうだ。セキくんはどうなんです?」

「僕?」

「ええ」


 何を、と彼女は問わなかった。

 それは彼女の臆病おくびょうさの現れかも知れないし、言語化することでも無いと考えたのかも知れない。あるいは、僕に問いと答えと両方を委ねたのかも知れない。


 あえて、問いを立てるのならそれは。

 オカルトを敬して遠ざけるか、それとも関わり続けるのか、だろうか。


「言ったろ。これからも一緒に居たい。そういう風にしていきたいって」


 案外、答えはすんなりと出てきた。

 彼女が矛盾と付き合い続けるというのなら、僕もそうしてみても良いかもしれない。彼女が戦い続けるというのなら、隣にいても良いかも知れない。

 そういう風に思うことが出来た。


 沙也加は僕の答えを聞くと、にんまりと笑う。

 意味のあるんだか無いんだか分からないいつもの顔だ。

 ……そんな笑い方をするところだろうか。


「この間のあれ、有効でいいんですね?」

「有効も何も」


 今そう言ったし、そう決めた。いずれ決別するかも知れないその日まで、僕は一緒にいても良いかもしれないと思っている。


「じゃあ、結納ゆいのうはいつにします?」

「……は?」

「あ、先に届け出……いえ、それよりセキくんのご両親とご挨拶ですね。まだお会いしてませんし。いつにしましょうか」

「ちょっと待って。何の話?」

「一緒に居るための話です。これからも一緒に、そういう風に……でしょ?」


 いいや、なんというか。

 別にプロポーズのつもりで言った訳じゃ無いんだが。


 ……そういえば「円藤になりませんか?」とかそういう話を振られたことがあったような、無かったような。

 だがあれはどう考えても冗談としか思えない話の流れだった。

 というか、「これからも一緒に」と言う僕の発言がそのアンサーになる、というのもどう考えても話が飛躍ひやくしている。


 だが、沙也加の中では既定路線になっているようで、「円藤赤冶えんどうせきやって姓名判断的にはどうなんですかね」なんて表情を変えずに言い続けている。


 やはり、沙也加と僕の間には埋めがたいギャップがある。

 やはり、彼女のことは分からない。

 彼女の考えていることこそ一番のオカルトだった。

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