49.剣と彼女のオカルティズム①
僕は走る。
人の群れをかきわけながら、視線は
後からは怒号が聞こえる。だとするなら好都合だった。なるべく騒ぎになった方が良い。そうなれば、この場所に来ているはずの坂田比良金も僕を見つけやすくなる。
山岸このはから呪いの依り代を奪い取り、坂田と合流してこれを破壊する。
それが沙也加の立てた作戦だった。
今、僕はまたあちら側に行きそうになったが、しかし辛うじて僕の理性は保っている。僕は僕のしたいことを理解している。
僕は、オカルトを自分の世界に引き戻さなければならない。
自分が楽しいと思えるように、沙也加とまた笑い合うために。
そのために、まずは坂田と合流しなくてはならない。
「あ」
だが。
そんな僕の深い納得と目的に向かう意思とは裏腹に、僕は足を絡ませて転んだ。
焦りか、偶然か。あるいは僕の感情か。
赤紫の光は依然としてバレルから漏れている。まだ、この文字の影響が残っているのだろうか。
いずれにせよ、僕は足を止めてしまった。
立ち上がろうとする。間に合わない。後から気配を感じる。おそらく山岸このはだ。沙也加が一緒にいるなら何らかの妨害を加えてくれるかも知れないが、確実では無い。
山岸このはにバレルを取り上げられるよりも前に、坂田に渡さなければ。
「坂田さんっ……!」
声を張り上げる。仰向けに転んだせいで肺は地面に押しつけられている。声は思うように出なかった。
それでも、諦めるわけには行かなかった。繰り返し、坂田の名前を呼ぶ。
だが、それでも声は届かなかった。会場の喧噪が僕の小さな声を掻き消していく。
「……剣」
するべきことを果たせないもどかしさに焦がれる、一瞬のことだった。僕の視界に、見覚えのある剣が転がっているのを見つけた。お守り代わりに沙也加の部屋から持ち出したあの剣だった。
剣とは権力の象徴であり、男性性の象徴である、という分析がなされることがある。だが、本質的にはものを破壊するための刃物だ。
「坂田さんが来れないなら」
この剣で、文字を削るしか無い。せめてもの抵抗でもしない訳には行かない。
沙也加の仕事を終わらせて、一緒にあの日常に帰る。
元通りになるかは分からない。僕の感情か、沙也加の心情が、あの日々とは違うものに変わってしまっているかも知れない。
だけど、僕は帰りたかった。沙也加と一緒に、あのなんてことは無いオカルトを語るだけの日常を、取り戻したかった。
剣を手に取り、鞘を抜く。
刀身は相変わらず、吸い込まれそうな魅力を湛えていた。
(ああ、これは)
そうだ。あの日、沙也加の部屋で感じたこと。あのバレルから漏れる光と同じ。あの文字に惹かれる時の心と同じ。
ならば、この先に待つものはーーーーー
赤い空は相も変わらずにそこにあって、糸と意図の集積は相も変わらずにそこにあるのだった。その意味を僕は知らなかったが、今となっては明らかで、つまり人間とは本来的に繋がり合う代物であることだ。感情とか言葉とか、思想とか意味とか、そういうものによって繋がりあっている。それを人は意図と呼び、僕は糸に
……言葉があふれだしている。
それを僕は自覚している。僕は、夢を見ているのだ。今なら分かる。この剣はそういうものだった。
僕の魂とか精神の器として機能するもの。
それこそ、あの今カンショウと銘の付けられた剣に込められた呪いなのだと思う。
それをなぜ沙也加が持っているのか、どうしてそのようなことになっているのか。……どうしてそんなことが分かるのか。分からないが、分かる。
夢とはそういうものだった。深い真実に到達したような錯覚を与えるのが夢なのだと思う。
視覚はすでに刃の中に、体を離れて鏡のように、僕は剣の中で僕の身体を視ていて、そしてあの文字の刻まれたバレルを視ていて、それはまるで360°周囲をぐるりと回ったパノラマの視界を一度に手に入れたかのようで、ああ、気持ち悪いし気持ちが良いと思う。
はてさて、切らなくちゃ。今の僕は剣なのだ。剣とは切るためのもの。切りたいと思ったから作られたし、切りたいと思ったからここにいるのだった。
しかし、こうしてみるとなおさら滑稽にすぎていると思うのだけど、というのもあのバレルのことで、あれは今の視界においては意図をねじ曲げる糸車のようであり、あるいは織り上げて布にする機織りのようでもあったのだが。あの光は自分を映すものでもあろうかと感じられる、というのだが、それはこの空が赤いことと照応するだろうか、人によって空の色は違うんだから。
……夢の中で、なんとか自我を保とうとすることは難しい。
一瞬でも気を抜けば思考はあふれ出すままにとどまることが無い。
それでも、何とか自分の脳内の言葉たちを
あのバレルを破壊する。そうすることで、山岸このはという人物と文字の繋がりを断つことが出来る。その仮説は正しいのだと思う。
そして、この剣はそれを為すことが出来るはずだった。今の僕はあの呪いと同じ領域にいる。
架空存在とは人間の思考とか精神の産物である、という。
そしてそれに干渉することができるのは、同じく人間の思考と産物のはずだ。
おそらくこの剣は、そのために作られた。
ものに人間の魂を込める。それによって、魂の次元にあるものに干渉することを可能にする。それが、この身体が生まれた意味なのだと思う。
するべきことは分かった。切るべきものも感じ取れた。そして、この身体はそれを為すことが出来る。……だが、この剣は動かなかった。
それも当然の話で、と言うのも剣は所詮道具に過ぎないのであって、ならばひとりでに動くことなど不可能な話なのであるのだが、どうも今の僕は自分を人間であると錯覚してしまう嫌いがあり、動くなんてどだい無理なことをやろうとしてしまう。
動けない。身体と魂との間の繋がりは切れている。
今の僕の身体は、この剣そのものになっている。今の僕は一介の道具に過ぎない。自由意志を持とうとも、それを活かす身体が無い。この身体を、使える人間居ないことにはーーー
「セキくん……?」
円藤沙也加。
そう、沙也加だ。彼女にはそれが出来る。僕を振るうなら、それは彼女であって欲しい。僕の世界を終わらせるのも、続けるのも、彼女に委ねるのが良かろうと思うのだがどうか。
幸いなことに彼女はすぐそこまで来ていた。
彼女は僕の身体と
彼女なら、
しかし彼女には糸が見えない。意図が無いというのではないのだろうけど、それを世界と繋げる回路が見えない。
つまりは彼女に僕の言葉とか意思を伝える方法は無く、彼女も受け取る方法が無いと言うことになって、どこまで言っても彼女と僕はディスコミュニケーションなのだなぁ、と嗤ってしまう。
……ああ、いや。そうじゃなくて。
僕と彼女は決してディスコミュニケーションなどでは無かった。確かにすべてを知ることは出来ないし、すべてを共感することも出来なかった。そもそも、生きている世界だって違った。
だが、でもきっと、これまで言葉だけは積み重ねてきた。
意味の無いこととか、無駄なことの繰り返しではあったが、それでも積み重ねは積み重ねに違いない。
僕の言葉ならば、彼女に届く。彼女の言葉が、僕に届いたのと同じように。
『沙也加』
『手を』
『剣を手に執って、あの文字を。刻まれた文字の上にまとわりつく、あの糸を』
『それを刈れば、呪いは解ける。だからーーーー』
『手を』
声が届いたのか、届かなかったのか。
それは分からない。だが、どちらでも良かった。
円藤沙也加の手が僕を掴む。視界はぐるんと回り回る。
沙也加が僕を構えた。
彼女は僕の意図を正しく受け取った。この刃で持って、糸を断ち切るために。
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