40.僕とスキンヘッドの男と本拠地
御殿場駅からタクシーに乗って目的地まで行くことにする。運転手に施設名を告げると、怪訝な表情をした。
天気は快晴だった。どこからでも富士山が見えた。その威容は、確かに素晴らしいものだった。絵画のモデルや信仰の対象となるのもうなずける。
……だからなのだろうか、と思った。つまり、大久元文書を奉ずるちよろずのつどひがこの土地にビルを持っていることと、富士山が見える場所であることには何らかの因果関係があるのではないか。
道中、色々な寺社が通り過ぎていく。
基本的には真言宗や日蓮宗の寺であるという看板が掲げられているが、新興宗派として知られる組織の名前が掲げられるものも時折目に付いた。
「あの」
僕がこれからいくこの施設について、何か知っていることはあるか、と運転手に問いかけた。彼はやはり妙な顔をしてから、「知らずにいくんですか?」と逆に問い返してきた。その口調は、目的地になんらかの曰くがあることを感じさせた。
僕は知っている、と答えた。そこに行くのは一種の取材みたいなもので、別に彼らの一員ではない。できれば話が聞きたい……というようなことを言った。
「お客さん、ライターか何か?シンパの方とかじゃなくて?」
違う、と言うと運転手は警戒を残しつつも「参ったもんだよ、あそこは」と話を続けた。
「一種のインチキ商売だよ。マルチでこそないかも知れないけど、変な宗教とそう変わりが無いように思えるね。変な文字が刻まれた円盤売りつけたり、有機栽培の野菜がどうとか、あとは一本1000円くらいするペットボトルの水とか売ったりさ。夜な夜な変な呪文唱えてるって話も聞いたことあるよ」
運転手が語る彼らの様子はおおむね新興宗教やコミューンと呼ばれる組織が行うもののイメージとそう変わりが無かった。
いろは歌を変形させたような呪文を夜中に大声で輪唱するのがちょっとした問題になっているらしかった。
「別に何を売ってもいいし、何を信じてもいいけどさ。近所迷惑はやめてほしいもんだよね」
そうですね、と答えると、運転手は気を良くしたのか他の話も始めた。曰く知り合いのおばさんにハマってしまった人がいる、そこに入り浸るようになってから家庭も半崩壊状態である、ちょっと前までじいさんばあさんばかりだったが最近は若者も増えてきた……
話しているうちに、道は寂しくなっていった。
建物と建物の空白が増えた。
スーパー、コンビニ、バイクショップ。プラモ屋と言った店が20m置きくらいに離れて点在しているようだった。
その隙間から、富士山がのぞき込むように現れる。
停車したのは目的地から少し離れたところだった。
運転手はあまり関わり合いになりたくないようだった。
少し行けば到着だから、と彼は後ろめたそうに言った。
「本当に行くつもり?」
最後に運転手は心配そうに僕にそう尋ねた。
僕はもちろんだ、と答えた。
「まぁだったら良いんですがね。でも本当にいい噂聞かないんで、気を付けてくださいよ」
一体何に気を付ければいいのか、運転手は具体的なことは何も言わなかった。
僕もそれを問わなかった。
僕が代金をクレジットカードで支払うと、車はそそくさと離れていった。
地図アプリのコンパスに従い、目的地の前までたどり着く。
見た目はごく普通のビルだった。言われなければスルーしてしまう程度のものでしかない。
ただ、門に埋め込まれたガラス張りの掲示板には目を引かれた。
極彩色の色調、と、例の文字が円形に配置されたポスターが貼ってあったからだった。
大学で見たものとよく似ている。
どうしようか、と思う。
果たして急な来訪に対応してくれるものなのだろうか。
そんなわけがない。そもそも、気にするべきはそこでは無かった。
来訪が急であるかどうか、なんてことは大した問題ではない。
運転手曰く近所でトラブルや騒音被害を出している怪しげなカルト組織に単体で乗り込もうとしているこの状況自体が問題だった。
僕には何もない。論理も、立場も、戦う方法も何もない。
解決に至るための糸口もない。
ここにたどり着くまで、僕は問題を後回しにしてきた。
初めは行こうと思えば行けるから、と足を運んだ。
途中からはここまできたのだから、と電車の進むに任せた。
たどり着けば何かが起こることを期待してやってきた。
しかし、こうしてたどり着いてしまうと、次にすがるべきものは何かが分からなくなる。
周囲を見回した。黒い車が一台止まっている。
薄暗いフロントガラス越しに、うっすらと運転手の姿が見えた。
スキンヘッドとサングラス。異様な風体に眼が惹かれてしまう。
とても堅気とは思えない。僕の視線に応じるように頭が動いた。
車の扉が開く。
やはりスキンヘッドとサングラスといういかつい見た目をした長身の男だった。
服装はルーズで、黒いTシャツと白いズボンをはいている。
サングラスに遮られて彼の視線は分からない。だが、彼はこちらを見ているようだった。そのまま、僕に向かって歩いてくる。
息が詰まる。頭の中が白くなっていく。心臓がジンジンと血流を送り出す。
「おい」
声の調子は高過ぎず、低すぎない透明感があった。その声が明確な威圧感を持って僕に向けられている。鋭いナイフのような抜き身の恐怖が迫ってくる。
「えっと」
「お前何でここにいるんだよ」
「へ?」
「なんでここにいるのかって聞いてんだよ。おい」
彼はおい、おいと威嚇を続けながら僕を見降ろした。
それに対し、どう答えるべきか、見当が付かなった。
答えるべきなのか、無視するべきなのか。答えていい人間なのか、そうでないのか。
異常事態に対する動揺を何とか抑えながら、頭に残った余白で思考を回す。
ひとつ分かることは、僕はこの男にイニシアチブを握られているということだった。
男は威圧するような見た目と声と喋り方で僕から冷静さと会話のペースを奪おうとしている。実際、奪われている。
「聞いてんのかよ、なぁ」
「逆に聞きたいんですけど」
僕はなるべく冷静に聞こえるように努めながら続けた。
「あなたは一体誰なんですか?」
僕の場違いで唐突な質問に、男は「ああ?」眉をひそめて睨んできた。
初めてやったゲームで出鱈目にボタンを押すかのような質問だったが、少なくとも相手の困惑を引き出すことは出来ているようだった。
「なんで歩いているだけでそんな風に睨まれなきゃいけないんですか。僕はたまたま通りがかっただけです」
周囲に人通りはほとんどない。ここで暴力沙汰になっても誰かが通報してくれる可能性は低そうだった。
僕はポケットの中のスマートフォンを探った。録音アプリの起動と警察への連絡をするためだった。
そうしながらも、にらみ合いは続いていた。僕は相手の出方を伺いながらなるべくサングラスから目を反らさないよう努めた。
意外なことに、引いたのは男の方が先だった。
彼は一言悪態を付くと、周囲を見回し始めた。
何者かの視線を警戒するように首を動かしている。
特に、門の向こうの建築物の方向を特に警戒しているようだった。
「坂田」
男は唐突にそう言った。困惑して「へ?」と困惑の声が漏れ出る。
「だから名前。
「これは、ご丁寧にどうも……」
確かに誰だと問いはしたが、律儀に自己紹介をされたことに、再び会話のペースを奪われた心持だった。
聞いた手前、僕も名乗らなくてはいけないのだろうか。
「ああ、お前は別にいいよ。知ってるから」
その答えに僕はどう答えるべきかが分からなかった。
ハッタリと考えるべきか、それとも本当に僕の個人情報を握られているのか。そう言えば僕は古史研の発表会に顔を出している。もしこの男が『ちよろずのつどひ』と繋がっている存在ならば、僕も彼に顔と名前をられている可能性が出てくる。
「なぁ、いったん車入ろうぜ。ここじゃなんだろ」
そう言うと男は親指で彼が乗っていた黒塗りの車を指さした。言うなり、男はさっさと運転席にまで戻ってしまった。僕が車に乗ることが必然であるかのような言い方だった。
逡巡する。
もしこの男が危うい存在であった場合、僕は逃げられない袋小路に自分から入り込んだことになる。
だが、月並みな格言を用いるなら、虎穴に入らなくては虎の子を得ることはできない……ということにもなる。
展開を動かすには、選択をしなくてはならない。
選択肢は男に従うか、背後の怪しげな組織の建物の前で右往左往するか。
どちらも、危険度で言えばそう違いは無いように思えた。
僕は男の後を追い、車に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます