39.僕とカルトの境界線

 駅を出れば風景は見違えていた。

 駅を出れば広く寂しいロータリーが広がり、遠方には山の連なりが見える。


 肌寒い空気を胃に吸い込んだ。空気の味が違う、という言い回しは陳腐かもしれない。

 ただ、どちらが良い悪いではないが、確かに違いはあるかもしれない。

 吸いなれた地元や東京の空気の方が僕にはあっているように思えた。


 これからまた一時間ほどの時間がかかる。

 駅前にある個人経営の喫茶店に入店し、昼食を摂る。

 ナポリタンとコーヒーのセットという、いかにもノスタルジックなセットだった。


 もちろん僕個人が懐かしいなどと思うわけでは無い。

 しかし、こうした産物について必ずつけられる枕詞は『懐かしの』とか『古き良き』となる。


 いわば脊髄反射的な修飾だった。


 しかし、この店はノスタルジーの産物としてこの料理を作っているのではないだろうと思う。店主は老齢の男性だった。

 内装を見てもそれなりの時間が刻まれていることが分かる。

 彼らは彼らの営みとしてこの料理を提供している。


 味付けは普通だった。ナポリタンというものの味の善し悪しが分かるほど食べているわけでは無いので何とも言い難いが。


 あるいは僕の精神がナポリタンとコーヒーを賞味するほどの余裕が無いだけかもしれない。


 コーヒーを飲みながら、今度は沙也加が置かれているだろう状況……そして自分が対決しなければならないだろうものについて考えた。


 『ちよとずのつどひ』なる組織。

 インターネット上で公開されているだけの情報を見ると、彼らは久元文書なるものを信奉し、そこに記される神代文字の正当性と効能を説く団体のように見える。


 ただ、どうやら宗教法人ではないようだった。

 認可が下りていないのか、そもそも宗教になろうという意識が無いのかは分からない。本拠地は御殿場市内にあるビルとなっている。


 大久元文書という単語をスマートフォンで検索する。

 ヒットするのはこの宗教染みた組織、あるいはシンパのブログやTwitterしかない。

 WIKIPEDIAやコトバンクと言った辞書辞典類には引っかからないので、やはりそう歴史のある文書ではないようだった。いわゆる偽書のようだ。


 偽書、というジャンルについて僕が知っていることは少ない。

 沙也加と会話をするなかで話題に上ることはあった。


 カタカムナ、東日本外三群誌……そう言えば、シオン議定書が話題に上ったこともあった。あれも偽書のひとつだろう。


 定義づけるなら、時代や書き手を偽った歴史書の体裁を持った書物、ということになるらしい。

 沙也加の部屋で見つけた書籍の電子版を読むとそうした解説がほとんどだった。


 偽書、というラベリングにおいて、本当のことが書かれているかは大事なことではない。


 例えば、邪馬台国の位置は九州である、という記録を残した卑弥呼著の書物とされるものがあるとする。


 この本を筆跡鑑定や語彙の分析などにかけた結果、西暦100年代の記録でも卑弥呼の著作でも無いということが明らかになったとしよう。


 そうなるとこれは偽書となる。


 だが、のちになって資料や遺跡の発見から邪馬台国が九州にあることが確定したとする。

 するとこの書物は真実の一端を写し取った書物と扱われるようになるかもしれない。

 それでも、この書物は偽書のままだ。

 これを作った人間は、作者と時代を偽って描いたのだから。


 『ちよろずのつどひ』が主張する大久元文書について記事を読んでみる。





 1999年、主査者である南良冥(旧姓)は現代国学者として各地を放浪していました。現代国学とは江戸時代以来の国学の復権と新たな日本を発見する営みであり、活動です。大久は書紀・古事記の研究の傍ら、各地の神社を巡り、その由来や言い伝えを採取する活動を続けていました。

 しかし研究を進めるにつれ、日本書紀・古事記に記される記録に限界を感じるようになりました。このどちらもが、時の権力者によって編纂された文書です。またいずれも当時の国際言語であった漢字を用いた書記体系でもあります。

 しかし、それではおかしいのです。邪馬台国の例を持ち出すまでも無く、日本書紀・古事記が編纂された時代以前から日本列島の国家体制は存在していました。その間、国家の運営や商工業のやり取りがなされた証拠も考古学的な発見で裏付けられています。また、日本の言葉は大和言葉であり、中国語とは違う言語体系でもあります。そうなると必然、記紀神話以前にも何らかの記録が残っていなければおかしい。

 そうした着眼点から南良は様々な古文書・史料を読み解き、各地の神社を渡り歩き、古代の日本の正体を明らかにする使命とともに研究を続けていました。

 そんなある時、とある神社の神主から『近年、廃社となってしまったが古代以来の文書を現代にいたるまで保持し続けていた神社がある』という話を聞き、早速調査を始めました。

 その調査によって道程されたのが大久元神社です。

 に存在したこの神社の神主の子孫の許可をいただき、特別に代々続く古文書を調査することが出来ました。この古文書こそ大久元文書です。

 前1000巻にも及ぶ長大なこの文書群はそのすべてが漢字とは異なる文字体系で書かれており、また劣化も激しい状態にありました。

 南良は大久元神社を管理していた大久家に婿入りし、また理解のあった大久元家の子女の後押しも受けて、この文書の保存と公開の事業に踏み切りました。


 現在、我々はこの大久元文書のPDFファイル化及び書籍刊行のため活動中です。皆様におかれましたは寸志の助力をお願いいたします。

 大久元文書で復元が完了した巻について講義と言う形で皆様に分かりやすく公表する活動を行っています。日本の真の伝統を次代に残していきましょう!





 大久元文字


 大久元文書は漢字以前に存在した大久元文字を用いて書かれた文書です。

 大久家の蔵に約1000巻が蔵されています。

 この大久元文字は時間の循環を文字として表しています。不変のものなど無い、すべてのものは流れていく―――こうした日本的な四季の移ろい、そうした感性をも表すものです。

 大久元文字は○と十字と×字の組み合わせによって構成されます。

 完成した円形から、右、下、左、上の順に半円を描く。

 これはそれぞれ A I U E O の音に移ろっていくのと同時に、半円の欠落と以降をも表しているのです。完成し、欠落し、再び完成する。この循環こそが大久元の思想の根幹となっています。

 漢字やアルファベットと言った書記体系における文字との違いがここにあります。包囲文字にしろ表音文字にしろ、書かれた時点で文字と言うものは完結してしまいます。意味と音が固定されてしまうのです。ここには西洋や中国における文明観が読み取れます。即ち、自然を人間に合わせて改変する、自然を従わせようとする思想です。

 しかし、日本古来の文明においては違いました。自然の流転と循環に任せる。その流れの中に人間も入れてもらい、恩恵に預かる。こうした、謙虚な心こそが日本の文明間オン特徴なのです。






 不安な気持ちが胸を占めていった。

 何故不安なのか。

 それは仮定に仮定を重ねて、現実から遊離していくような浮遊感かもしれない。


 それは、僕が他人事で批判できるようなものではなかった。


 もしあの湖に恐竜の生き残りがいたら、アメリカ政府と宇宙人の間に密約があったら、新世界秩序を推進する闇の勢力がいたら、人類は宇宙人が作ったのだとしたら……


 そういう『もし』の積み重ねを楽しむことは僕もしていることだった。

 そういう世界であってくれたら、と願うこともあった。

 僕が楽しんでいる他のオカルトと、ちよとずのつどひの記事との間に違いがあるのだろうか。おそらく、存在しない。


 だからこそ、不安になる。

 薄皮一枚しかない違いが、どこにあるか分からない。

 いつ僕が彼らと同じ場所に行くのかも分からない。


 電車は静かに線路の上を走っていった。

 座席には僕以外の人間は中年男性が一名だけ、向かいに座っているだけだった。

 僕が分からないと思っているもの。

 不安に思っているもの。


 そのどちらにも、安易に答えを出してくれる者は存在しない。


 ……とりあえず、ここまで来た。

 だから、行ってみるしかない、と自分に言い聞かせた。

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