38.僕と剣の考察

 電車の車内で、重い短剣をもてあそんだ。


 確かにそこにある重量感が手から腕にかけて感じられる。


 その感触が、僕に何かしらの勇気を与えてくれるように思える。

 あるべきものがあるような感触。


 まるで、円藤沙也加の欠落を埋めてくれるような。


 沙巫すなふに「この剣を持って行ってもいいか」と尋ねたところ「いいですけど……」と承諾してくれた。


 同時に妙な顔もされていた。悪趣味な人、というような表情だったと思う。


 もしかしたら、何か曰く付きのアイテムなのかもしれない。

 そもそも、僕にとってはすでに曰くが付いてる。


 トリガーは鞘を抜くこと。トリップとも悪夢ともつかないあの光景が再び襲ってきそうな恐怖と期待がもたげた。


 円藤沙也加はこの短剣について、僕に何も語らなかった。

 明らかに僕が勝手に触ったというのに、その事実を指摘することは無かった。

 まるで、そんなものは無かったかのように扱った。

 その事実は、逆説的にこの短剣に何らかの価値があることを示しているように思う。


 それがどういうたぐいの意味なのか、そこまでは分からない。

 不思議なことに、出発する前後の心もとなさは消えていた。この剣が手元にあるからだった。


 剣、というものは東西を問わず古来から力の象徴である。

 古代王権においては当地の象徴として銅剣が作られたというし、時代が下れば日本刀が神社に奉納されることもある。

 朝廷や天皇から下賜される刀剣が宝物として残るケースもあったらしい。


 あるいはフロイト風に言えば男根の象徴ということになるらしい。

 なんでもかんでも性的なものに結び付けるフロイトの分析はどうかと思うが、万能感の象徴、という言い方には同意してしまいそうだった。


 僕の手に力がある。

 勘違いだ。

 刃物があったとしても僕が強くなるわけでは無い。

 刃物があってもカルト集団に勝てるはずがない。

 円藤沙也加が帰ってくるわけでもない。


 だというのに、根拠のない自身が立ち現れる。

 それは危険なことだとは思う。しかし、この剣がもたらす根拠のない自信にすがっていた。


 こんなものを持ち歩いているのを警察官や駅員に発見されれば没収されるのは明らかである。

 しかし、周囲を見回しても誰もいない。僕は何食わぬ顔で剣の検分を続けた。


 素材は金属。おそらく鉄製だろう。

 恐らくそう古い由来のものでは無いようだった。

 せいぜいが数百年といったところだろうか。


 剣全体の形状は日本史の教科書に出てくる銅剣のようだった。

 錆びて青色に変色した青銅の剣から錆を落としたらこのようになるのではないか、と思った。。


 鞘を抜くと刃が現れる。その根元に、銘が入っている。


『今干将劉桐 大正元年奉ス』


 この文字を信じるなら、作られたのは大正時代以降ということになる。

 デザインの古さに対して、やはり由来は新しい。


 ならば、という疑問も現れた。


 作られた時代は大正だとして、どうしてこのようなものを作ったのだろう。


 明治以降も刀剣が作られることはあった。

 靖国神社の遊就館などを見に行くと近代に作刀された収蔵品なども数多くある。

 刀工に玉鋼を安定供給するラインを作り、天皇が下賜する刀を作らせていたからだ、と遊就館の解説にはあった。


 そこには刀だけではなく、諸刃剣も含まれている。剣であることはそう可笑しなことでは無い。


 円藤沙也加がたまたまそういう物品を手に入れて、曰くのあるオカルトアイテムのような体であの御札だらけの長持ちに封印する―――ということも違和感は無かった。

 沙也加ならそういうことをしそうだと思う。


 だが刻まれた銘の、今干将。どうしてこの銘をつけたのか。


 素直に従うならば、中国の伝説の夫婦剣、干将かんしょう莫邪ばくやのうちの雄剣の方に準えたネーミングだろう。


 呉越春秋ごえつしゅんじゅうにオリジナルのエピソードが乗っており、墨子や荀子と言った古典の名著にも言及があるという。日本でも今昔物語集や太平記にも記述があり、昔から知られている。


 その後も封神演義に宝貝パオベエのひとつとして登場したり、現代の創作でもモチーフとして繰り返し用いられてきた。


 僕はとある中華風ファンタジー小説でその名前を始めて聞いた。


 曰く、中国のとある国の王―――媒体によって呉王ごおうであったり楚王そおうであったりする―――が名工干将に剣を作らせた。


 最高の材料、最高の気候を整えたが、なぜか炉が温まらない。

 そんな状況が三ヵ月も続いた。見かねた妻の莫邪は自身の髪と爪を炉にくべる。


 すると、炉はようやく燃え上がり、鉄を溶かすことが出来るようになる。


 こうして完成した剣は干将莫邪と夫婦の名前が名付けられ、王に献上された。


 ……というのが、共通したストーリーとなる。

 その後のエピソードには色々とバリエーションがある。


 例えば献上された剣は見事なものだったが、刃こぼれがありそれが国の末路を暗示していた、というもの。


 夫婦剣の内の片割れしか献上しなかったがために王の怒りを買い干将が処刑されてしまう。

 その仇を討つために息子が干将を手に王への復讐を果たす、というもの。


 日本の古典、今昔物語集では剣を作った刀工の名前が莫邪となっていて男だったりする。


 太平記でも同じエピソードがある。

 こちらでは鍛冶師の名前は干将に戻っており、エピソードもほとんど同じだが、後日譚が追記されている。


 曰くこの名剣がのちにえんの国の刺客・荊軻けいかの手に渡って始皇帝暗殺に用いられたのだという。


 日本古典文学についての講義で干将と莫邪について取り上げられたことがあり、その際にこうした知識を聞いた覚えがあった。


 余談だが当初、僕が知っていたエピソードだと莫邪ばくやが身を炉にくべて、そのおかげで名剣が出来た……という展開だったのだが、本来のエピソードにも日本に伝えられて物語集に収められている話にもそうしたバージョンは無いらしい。


 髪と爪を切ってくべた、という漢文を誤読した結果だろう、というのが先生の話だった。


 その話がとても面白かったから、印象に残っている。


 ひとつの話が時代や国を経由することでどんどんと派生していく。『この方が面白い』『こういう考え方もできる』という思いからどんどんと変わっていく。


 それこそ、物語の醍醐味なのではないかと思う。

 語り継がれるロアにおいて、物語は変転するからこそ価値を持つ。


 著作権と言う概念のできた現在においては、そうはいかない。近代以降の小説という概念は、完結したひとつの世界となる。

 作り変える権利は作者にしかない。

 時には作者にすらない。

 出力された時点から、不変のオリジナルだけが本物であり、改変されたものは偽物となる。


 僕たちが物語という媒体、とくに近代以降の文学に対して自明のことと思っている、この前提は、実は物語においてはそこまで普遍性のあることではないのかも知れない。


 変わること。読みかえられること。

 土地、歴史、人、思想……そういうものによって改変されうるものこそ、物語なのではないか。

 事実、怪談やネット小説は改変とバリエーションによって多くの物語を生み出しているし、それが人々に詠まれてもいるのだから。


 思考を目の前の剣に戻す。

 ひるがえって、今干将とはどういうことなのだろうか。今、というのは現代の、という意味で使われることがあった。例えば戦国武将の竹田半兵衛は今孔明いまこうめいの二つ名を持っていた。現代の孔明、という意味だった。


 ならばこの剣は、作られた大正元年の時点で『現代の干将』という意味を込めて作られたことになる。


 なぜ干将なのだろう。


 結局、その問いに戻ってくる。

 大正年間に作られた―――つまり戦前に作られた剣だという。


 戦前の日本人は刀剣類の所有は容易だった。

 明治以後に定められた廃刀令は有名だが、あれは持ち歩きを禁じただけで所有までは制限していない。


 戦中の国家総動員、GHQによる刀剣没収、そして戦後に制定された銃刀法によって、現代において刀剣を所持する人間は少ないが、戦前ならば趣味で剣を作らせるということもあるかも知れない。


 問題は、なぜ中国の説話に準えたのか、ということだった。


 例えば剣であっても、十柄とつかの剣とか草薙くさなぎの剣など日本神話に由来する武器に擬して作られるというのならば納得しやすい。


 しかし、干将と莫邪に擬して作られる……というは、なんだか妙な話であるように思えた。


 あるいは、と連想が働いた。

 僕が知っていた干将と莫邪の逸話。

 莫邪は炉に身を投げ入れて、火を燃やし、鉄を溶かした。


 この剣に擬せられているのは歴史上の名前では無く、その製法の方だとしたら?


 始まりが漢文の誤読であることは否定する理由にはならない。


 これを作った人間が、この悍ましい逸話をそういうものだと信じていたのだとしたら?


「そんなバカなこと」


 ある訳がない。どんな狂信者であっても、近現代において誰かを火にくべて剣を作るなんてことが出来ると思えない。

 どこかで足が付くに決まっている。


 倫理と常識が僕の想像を否定していく。

 同時に、背中がゾクリとする感覚を味わう。


 狂信なのか、あるいは強制か。人間が狭い炉の中に閉じ込められて、くべられる。


 泣き叫ぶ、恍惚の表情を浮かべる、あるいはすべてを受け入れて無表情になる。


 ―――いずれにせよ、厭だった。


 もし、そんな悍ましいことが起きていたとしたら。

 その産物がこの手にあったとしたなら。それはきっと―――


 口元が引きつっている。倫理観を超えて惹かれてしまっている。


 オカルト趣味の悪い癖だった。


 気が付けば、電車は止まっていた。

 耳になじみのない駅名がひっきりなしに連呼される。


 それが乗り換えの駅名と一致していることを思い出して、慌てて電車から駆け下りた。


 自分でも気持ち悪い想像に浸っていたと思う。


 何故そんなことを考えてしまったのか、我がことながら引いてしまう。


 頭を振り払い、剣をリュックサックの中にしまい込んだ。

 目的地まではもう少しだった。

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