35.僕と円藤妹のかえりみち

 ケーキとコーヒーのセットを完食し、店を辞する。


「ごちそうさまでした。奢ってもらっちゃってすみませんね」


 彼女の方から僕に強請ゆすったから、僕がおごる流れになっていたはずだった。だが、それはそれとして彼女は礼を述べた。


「……いや。こちらこそありがとう。協力してくれるってだけで安心した」


 それじゃ、と僕は彼女が坂の上へと登るのを見送ろうとする。しかし沙巫すなふは立ち去らなかった。

 僕と坂道とを見比べながら逡巡している。


 思うのだが、沙巫は挙動不審なことが多い。何かをずっと恐れている。その恐怖を覆い隠すために、常に言葉を途切れさせないようにしているように見える。


「その、家の前まで一緒に来てくれませんかね?」

「えっと、いいけど」

「すみません、ほんと。厚かましいとは思うんすよ?でも、やっぱ……ほら、なんというか……」


 言葉を連ねながらも彼女の視線は四方を泳いだ。

 彼女の視線の先をトレースする。韓国の食材を売る商店、お寺の墓地、パイナップルみたいなタワーマンション。それらを行ったり来たりしている。


 以前、沙也加が言っていた『喋らなければ死ぬマグロのような女の子』と言う形容を思いだす。

 彼女の視線もまた、動かなければ死んでしまうと思い込んでいるかのようだった。


「そう!坂道長いっすから。疲れちゃうんすよね。その点、二人いれば安心ですよ!」

「……そうだね。山の手の高級住宅街の一軒家って言っても、こう坂ばかりだと不便なこともありそうだよな」

「そうそう!やっぱ行き帰りが無駄に長いのが嫌っすね。あ、あとこのあたり結構うるさいし」

「意外だな。閑静な住宅街って感じだけど」

「それが年に二、三回くらいめちゃくちゃうるさくて……」


 坂道を登りながら沙巫の言葉を聞いている。

 彼女との会話もまた、核心に触れず、周縁をぐるぐると回っているような感覚があった。


 とは言え、彼女が捲し立てる周辺についてのちょっとした文句とも自慢ともつかない解説も興味深かった。


 この当たりは大使館が多いので外国人の居住者が多いこと、だから駅前にも英語対応の店が多いこと。

 沙巫は声と表情をコロコロと変えながら語った。


 僕がこの当たりについて知っているのは書物で得た歴史の知識だった。

 元々、江戸時代に藩の別宅があったこと、それが明治以降になって廃止され、広い土地が余ったこと、その場所に各国の大使館を建てたこと。


 ……そして、薄暗い坂が人に恐怖を連想させ、幽霊坂なんて名前が付けられたこと、とか。


 彼女が語る言葉には、僕のもつ知識と違う生活感があった。この高級住宅地に確かに人が住んでいることを感じさせる。


 語りながらも沙巫の視線は定まらない。

 常に背後を気にしている。誰かいるのか、と僕も後ろを見てみた。

 見回りをしている警察官と目が合った。つい、目を反らしてしまった。何もやましいことなど無いというのに。


 怪しい人間や存在がいるようには思えない。むしろ怪しいのは僕と沙巫の方だった。


 何を怖がっているんだろう。

 素朴な疑問が頭をもたげた。僕には何も見えないし、何も感じない。何を、あるいは誰を彼女は気にしているのか。 


 ――――だが、それを尋ねたとして答えてもらえるとは思えなかった。


 彼女は確かに何かを恐れているというのに、恐れていることを指摘されることを嫌がっている。


「近所の恩賜公園、あそこ春は桜が綺麗なんすよ。花見する人でにぎやかになってて。ソメイヨシノだったかな?あ、そういやサヤちゃんたちの大学も春は桜が綺麗でしたよね。綺麗だったなぁ。私も入学しよっかな?セキくんさん私に勉強教えてくださいよ」

「僕が入学できたのはちょっと特殊な試験だったからってのもあるからあんまり参考にならないと思うよ」

「特殊って、もしかして裏口入学とかですか?悪い人だったんです?」

「んなわけあるか。そんなコネも財力も無いよ。国語だけの入試日程があってね。現国と古文、小論文だけで採点してくれるっていう試験だった」

「むしろ門が狭そうな感じっすね。あ、じゃあセキくん国語得意なんすね?」

「……まぁね」


 どうして姉を頭数に入れないのだろう、と思った。沙也加の方が正攻法で入学しているというのに。

 そうこうしているうちに円藤邸にたどり着く。屋敷を囲む塀に沿って二人で歩いた。


「ホントごめんなさい、わがまま言っちゃって」

「いや。こっちが色々と頼む立場なんだから、これくらい大丈夫だよ」

「その方面については任せてください。サヤちゃんがどこにいるのかはできるだけ早くお伝えしますから」


 それじゃあ、と沙巫は門の向こう側に行く。僕もそれじゃあ、と踵を返そうした。


「あの」


 だが、立ち去ろうとした瞬間に呼び止められた。なんだろう、と振り向く。

 彼女の表情は、例の無表情だった。


「あんまりこういうこと言いたくないし、言ったとしても変な子だって思われるかもだけど……でも、言っときます。私、んです」


 

 視えるとは、何を?

 そうく前に、彼女は二の句を継いだ。


「セキくんさんには何にも視えません。多分、何の因縁も無いんだと思います。その点で言えばサヤちゃんと同じ。だから仲良くなった……というわけじゃないと思いますけどね。いいですか。あちら側にアナタを守るモノはいません。アナタを守ってくれる者は現実世界にしかいません。だから、気を付けてください。あちら側に引き込まれないように、こちら側に帰ってこれるように」


 意味深な神託のような言葉だった。彼女らしからぬ言葉でもある。


 意味はどのようにも取れたし、どのようにも取れないように思う。何故そんなことを言うのか。そういうオカルトじみたものを沙巫は嫌っているように思ったのだが。


「なーんて!私の占いです!ちなみに私の占いの結果を聞けることはそうそう無いレアケースですから。貴重な言葉だと思っておいてください。それじゃ!」


 扉が閉まる。今度こそ、沙巫は家の中へと去っていったようだった。


 境界線の先、塀と橘の木の向こう側に帰っていった。


 みえる、という言葉について考えてみる。沙巫には『何か』が視える、と言った。

 そして彼女の視界からは、僕にその『何か』は視えない、ということになる。


 それはつまり―――霊視とか千里眼、とか。


 わざわざそんなことを言い出す、というのはどういうことなのだろう。人の気を引くための虚言だろうか。確かに僕はそう言われると気を引かれてしまうが。


 どうあれ、沙巫はもう目の前にいない。扉の裏側にいる気配もない。これ以上、その件について話すつもりは無いのだろう。


 僕は、あの言葉の意味を確定させないことにする。


 意味深な神託は、意味深であるからこそ意味を持つ。いかようにも解釈できる言葉であるから予言や忠告として機能する。


 ……そう、忠告だ。彼女は僕に何らかの心配をして、その上で忠告をしたのだと思う。


『あちら側に引き込まれないように。こちら側に帰ってこれるように』


 ひとまず、このフレーズは頭に残った。心に留めて置いても良いかもしれない。

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