34.僕と円藤妹のカフェデート(予行練習)

 仙台坂を下っていく。前方向こう側に東京タワー、左手には墓地、右手には韓国大使館があった。大使館があるからか、とにかく警官が物々しい雰囲気で周囲を警邏けいらしている。


 その中を僕と沙巫は連れ立って下った。

 喫茶店は韓国大使館の敷地のすぐ真横にあった。

 店先には登り旗が立ててあって、仙台藩の下屋敷の跡地でることと、地下水を用いたコーヒーが売りであることが宣伝されている。


「ここですここ」


 という沙巫に引っ張られるまま、店内に入った。

 客は僕たちの他にはいないようだった。平日だからかもしれない。


 床は1平米だけガラス張りになっている部分があって、そこから地下水をくみ上げている様子が伺える。まるで秘密基地みたいな風情があった。


「ケーキセット頼んで良いですか?」

「……好きにしたまへ」

「まるで昔の文豪のような口調っすね。あ、じゃあコーヒーと苺のケーキひとつ!セキくんさんは?」

「コーヒーとミルクレープのセットで」


 店員に注文を伝えた。

 金銭的に余裕はないが、考えようによってはチャンスかもしれない。

 僕は沙巫から話を聞き出したかった。

 沙也加の現状とか、変わったことが無いかとか。何か食べながら話題を振れば、口が軽くなるかもしれない。


「結構おいしいんすよ、ここ。でも女子高生からすると一杯500円はちょっと手が届きにくいというか?持つべきものは姉の彼氏ですね!」


 軽薄な沙巫の言葉を聞き流しつつ、僕はどう話題を切り出そうかと迷う。

 沙也加の近況を聞く、などと言ってもじゃあどうして自分で連絡を取らないのか、と返されれば何も言えない。


「……沙也加さんなんだけどさ」

「はい?」

「最近変わったこととか無かった?」


 僕がそう問うと、沙巫は「んー」と天井を見ながら唸った。


「サヤちゃんが変わってない時の方が少ないからなぁ。大学入ってからイメチェンした感じはあるけど。聞いてるのって最近のことっすよね?」

「そう」

「んー?分かんない」


 店員がコーヒーとケーキのセットを運んできた。

 沙巫は「おいしそう!」と意識がそちらへと向く。

 さっそくケーキをフォークで切り取ると、そのまま口に入れて表情をほころばせた。「ミルキーなクリームの味わいとフローズンストロベリーの風味がマッチしてこれは……」と、食レポを聞かせてくる。


 僕もひとまずコーヒーを一口啜る。

 確かに口当たりはそこらへんのコーヒーショップで飲むものとは違う。


「セキくんさんブラック派?」

「そうだね。ミルクと砂糖はちょっと」

「じゃあ私にください」


 沙巫は同意を求めず、鼻歌を歌いながら砂糖とミルクを僕の盆からひったくると、そのまま自分のコーヒーへと注いだ。

 まったく遠慮と言うものが無い。だが不思議と不快さは感じない仕草だった。


「じゃあ一応聞いておきたいんだけど。沙也加さん、今どこか行ってるって言ってたよね?」

「ああ……どっか他の県まで行くとかなんとか」

「どこの、とか。何の集まりで、とか。そういう話はしてた?」


 僕が聞くと、ケーキに舌鼓を打っていた表情が一転した。

 すん、と。先ほど僕が不用意に暗闇坂について聞いた時の表情が再現している。


 僕はその表情にどういう解釈を付けるべきか、冷静を装いながら頭を回した。

 聞かれたくないことなのか、あるいは口止めされていることなのだろうか。あるいは、そんなことを聞く僕を怪しんでいるとか。


 表情が消えた沙巫は焦点の合わない眼を僕に向けた。

 やや苦痛を湛 えたような表情をしながら「セキくんさんは」と言葉を紡ぐ。


「サヤちゃんのバイトについて聞いたこと、ありますか?」

「……いや」

「正直に言えば私は話したくないんです。サヤちゃんがどこに行ってるかとかは家族だから聞きます。でも具体的に何しに行ってるかとかまでは興味もないし聞きたくもないんです。だけど――――」


 言葉を区切る。

 苦痛に耐えながら、それでも何かを僕に言わなければならない、というような沈黙だった。沙巫の眼は相変わらず焦点が合っていない。


「セキくんさんに何も言ってないんでしょ?」

「……うん」

「説明もしないで急にどっか行ったと」

「ついでに言えば連絡もついてない」

「はぁ?何やってんすかあのバカ姉。姉がすみません。きつく言っておきますんで」


 沙巫の言葉は徹頭徹尾、僕に対して同情的だった。沙也加が急に僕を疎んじて、家族に悪評を広めた、というようなことではないらしい。


 正直、僕は安堵していた。

 わざわざ円藤の家まで出向いて、にべもなく追い返される。そういう最悪の予想もしていた。事情を話そうにも僕が説明できるとも思えなかった。僕は全く状況を把握できていないのだから。


 だが少なくとも沙巫は僕の話を聞いてくれている。その事実が、僕を勇気づけている。沙巫になら、要領のえない説明でも状況を理解してくれるかもしれない。


「その、実は学祭の日に……」

「ストップ。それはのろけ話?あるいはケンカしたとか―――そういうヤツだったら聞きます。でももしそうじゃなくて……」


 眼が泳ぐ。挙動不審な様子で、言葉を選びながら語る。まるで何者かに監視されていて、不用意なことは言えない、とでもいうような雰囲気だった。


「その、サヤちゃんとかかわって普通じゃないことが起きたっていうのなら話さないで」


 沙巫の言葉は切実さを伴っていた。心底、聞きたくないようだった。

 少し異様な怯えようだと思う。


 普段の僕なら、そういう人間に無理に話を聞くことはしない。

 趣味嗜好は人それぞれだ。聞きたくないこともあれば、聞きたいこともある。それを侵すようなことを僕はしたくない。


 だが。


「悪いんだけど、沙也加さんと僕に起きたことを説明するには、少し説明が付かないことも言わなきゃならない。僕は……心配なんだ。突然連絡が付かなくなって、彼女がどうしてるかとか、犯罪に巻き込まれてたりしないかとか……とにかく、彼女に何が起きてるのか、それを知りたい。知らなきゃならないと思う」


 だが、だとしても。僕はなりふり構っていられない。

 僕は円藤沙也加に関することを常に曖昧にしてきた。

 関係性、距離感、会話。そういう関係性が心地よかったし、それは今でもそう思っている。確定させることが正解とは限らないのだから。


 だが、こうなっては別なのだ。

 正直に告白すると、円藤沙也加がいなくなって僕の心は乱されている。

 沙也加がいることが当たり前になっていた。


 彼女が隣に居ないと、大学生活がしっくりこない。

 彼女の妙な蘊蓄やオカルト語りを聞きたいし、最近見た都市伝説動画の話を振りたい。そういう会話をしながら、方々をそぞろ歩きたい。


 沙巫は無表情から、呆けたような表情に転じ、やがてため息をついた。

 先ほどまでの緊張したような無表情が解けて、すこし笑っているようでもあった。


「自分がどれだけ幸せな状況にいるのか、自覚が無いんすよね、サヤちゃん。……セキくんさんは知らないと思いますけど、昔からああなんですよ」

「えっと」

「私の口からはやっぱりパスで。というか、聞かれてもどこにいるかとか知らないんすよ。本当に聞いてないから。でも知ってる人はいます。それを確認してセキくんさんに連絡するんで、それで許してもらえないすかね」


 沙巫はそう言うと僕と連絡を交換した。

 そして沙也加の現状について、分かる限りの情報を僕に送ってくれると約束してくれた。

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