雑談②地球平面説

「干乃くん干乃くん大変です!」


 一限目の必修を終えてふぅ、とため息を吐きながらコーヒーを一服していると、着物姿の女が駆け寄ってきた。最近講義で話すようになって仲良くなった円藤である。


「どうしたんだ?」

「知ってましたか!?地球って平面だったらしいです!」


 何を言い出すんだこの女は、と思った。僕は呆れつつ、もう少し話を聞いていたいようなわくわく感もあった。


「おかしいなーって思ってたんですよ。地球が球体だったとしたら、もう少し地面が丸くないとおかしいですもんね。でも歩いてても平面じゃないですか」

「そうか……」

「ええ!重力なんて存在しませんよ!あと太陽と月は直径50kmです。宇宙空間はダンボール製です!この真実をみんなに伝えてあげなきゃ!」

「円藤さんって地球平面協会の回し者だったの?」

「ええ。地球平面協会と創造科学と空飛ぶスパゲッティーモンスターの信奉者ですよ。干乃くんも私の仲間になりましょう?」

「円藤さんどうした……?」

「将来的にやることになるだろう研究のネタ探しをしていたんですよ、実は。幽霊屋敷と宇宙人とどれにしよっかなーとネットサーフィンをしていたら、ついにこの真実……すなわち地球は平面にしてシリコン製である、という事実を知ってしまいまして。ネットDE真実というやつです……というわけで、今日は真実に気がついてしまうことについての危険性についてディベートしませんか?」

「何がというわけなのか分かんないんだけど」


 というか、その研究のネタ選びは何か変というか教授の指導で弾かれそうでは無かろうか。発表とかどうすんだ。


「まぁ、でも真実を知った、という人は大抵偏った意見を言い出すよね。それだけならまだしも真実を知った我々が人々を啓蒙しなければ……みたいな使命感に燃え出すし」

「そうですね。一種のエリート主義というか、優越感といいますか」

「人々を見下したいのかって思うよ」

「というよりも、自分に自信が無いことの裏返しなんじゃないでしょうか。何も持っていない人間に何かを持たせてくれる、それが思想という側面があるんじゃないかと」

「それならあらゆるものがそういう風に言えるな。虎の威を借る狐ってやつ。スポーツも似たような部分がある」


 テレビや観客席から人々に勝手な期待をかけるスポーツ愛好家たちと、この世しんじつに気がついた陰謀論者も、実はそう変わらないのでは無いかと感じなくも無い。


「いいですねぇ、そう考えると。今度スポーツ観戦でもしましょうか」

「いいかなぁ……何がいいかね」

「んー……サッカーとかどうです?等々力スタジアムとか近場ですよね」


 たのしみですねー、ビールと揚げパスタ。

 彼女はスポーツ自体に全く興味を示していない様子だった。僕も同じである。


「でも真面目な話で、ですよ?スポーツチームへの愛ってナショナリズムと近しいものがあると思いませんか」

「まぁ確かにそうか。地元チームなら地元愛、国を応援するなら愛国心だ」

「というかスポーツチームを応援する必然性というのはどこにも存在しないわけです。我々の帰属心の問題になります。そうなると……私は鹿島を応援するとか、セキくんはフロンターレを応援するとか、そういうことは全くの気分の問題になってくる。まぁ親がファンで、というケースもあるかも知れませんが」

「親が熱心な野球ファンなお影でむしろ野球全体が嫌いになるってケースもあったりするかも」

「……やはり似ている。これは偶然の一致とは思えません。スポーツと宗教、これはもしかすると……」

「……もしかすると?」

「似ている、ということでは?」


 彼女は溜めに溜めた末、某政治家のようなトートロジーを使い始めた。古いギャグマンガだったらずっこけているところだ。


「そうだな……ところで円藤さん、君妙な薬とかやってないよな?」


 今日の円藤は妙なテンションとしか言いようが無い。それもこんな取り留めの無い話題で、である。


「実は寝てないのです。昨日は徹夜、大学生御用達のエナジードリンクとブラックコーヒーと抹茶をキメて乗り切っていました。そこに今日の必修でしょう?」


 死にそうですよ、と比喩した。確かに寿命を縮めそうなカフェイン摂取の仕方である。

 ……いや、そもそもなんで彼女は徹夜などしてるのだろうか。

 卒論のネタ探しなどと言っているが、僕らはまだ一年生である。


「まぁそれはさておき。何の話でしたっけ?」

「地球平面協会の話だったと思うが」

「そうそう、地球平面説!どう思います?」

「どう思うも何も……それでだまされる人っているの?」

「いるから協会になっているし、問題にもなるんですよ。まぁ経験論者の視点を想像すれば分からないでは無いんです。自分が知覚出来ないものは真実では無い。すなわち地球が丸いという私の経験からかけ離れている出来事についても、やはり真実では無い……という論理展開が出来ますから」

「酷い飛躍だな」

「その通りです。しかし、世の中の多くのものがそういう地平の話なのかも知れませんよ?例えばこの世界があまねく原子の運動によって出来ている、という事実を私たちの直感と知覚では認識出来ないわけです」

「それ言ったら世の中の大半のことが分かんなくなるんじゃないか?」

「私たちが想像できる、私たちが信じたいパラダイムを信じる。これは実は私もあなたもやっていることだと思うんですが」

「むぅ」


 沙也加はおもむろにコインを取り出すと、それを手でもてあそび始める。


「例えば、そう。お金です。考えてみればただの紙切れであり、金属片に過ぎない。最近はモノですら無くなってデータの中のモノのようになってきている。だというのに私たちはこれで買い物が出来ると信じ込んでいる訳じゃ無いですか」

「そういや最近読んだチンパンジーの本に書いてあったな。そもそもモノの交換が出来る動物っていうのが自然界には少ない、みたいな」

「ほう」

「チンパンジーに道具を使わせる実験ってあるでしょ?」

「よく見ますね。つるされたバナナを台と棒で取らせるっていうやつ」

「あれの応用編でさ、チンパンジーを二匹、鉄格子で仕切られた二つの部屋に入れるわけ。片方には天井につるされたバナナ、片方にはそれをとれる棒を入れる。チンパンジーは同じ部屋に吊されたバナナと棒があれば道具を使ってそれを取ることが出来る。でも部屋が隔てられていると、彼らはそれを交換しようとはしない」

「つまり彼らは複雑なコミュニケーションがとれない、というわけですね」

「そう。モノの貸し借りとか、共有とか。そういう観念的なモノを理解できない。これは実は人間の祖先の類人猿も同じだったみたいなんだけど」

「存在しないモノを存在させる、というのはホモサピエンスの特権でしょうね」

「金銭とか経済とかって、交換からスタートするだろ。でもそもそも交換っていう観念が人間以外に持ってる動物が少ないみたいなんだ」

「個というものを認識することが出来るのは人間だけ、という話は聞いたことがあります。鏡を見て、それを自分だと判断することが出来る動物は少ない、という話もありますね」

「自分と他者の違いと共通点を認識出来るようにならないと交換という概念は成り立たない。自分はこう思う、彼はこう思うっていう前提があって、なら彼はこう思うのでは無いかっていう想像が交換とか、そういうものにつながったんじゃ無いかと思う。……それで、つまりさ。地球平面協会の主張っていうのはそういう社会性が暴走した結果なんじゃないかと思うんだけど」

「そもそも、地球を平面として捉えたり、天に輝く星を神の創造物とする考え方は自然科学が発達する前に発展した思想です。科学の発達とともに淘汰されてきたものでもあります。干乃くんのいうところの人間の社会性、という考え方は的を外していないと思うんです。思想自体は中世以降の常識に則ったものですからね。どちらかと言えば、この問題の根はそういう古いパラダイムにしがみつく人間がいる、ということなんだと思うんですよ」

「案外、数人だけで共有する秘密とか合い言葉みたいな感じなのかも」

「果たして、アメリカのプロテスタントがどのような心理でインテリジェンスデザイン論を唱えたり、地球平面説を唱えているのか、そこまでは分かりかねるのでなんとも言えないのですが。そういう、マジョリティに対するマイノリティとしての団結みたいな、そういう反発とも憧れともとれるようなコミュニティとして機能してるんじゃ無いか、と思うところはありますね」

「そもそも、なんだけどさ。それって悪いことなのかな?」

「ほう?」

「そういう古い観念とか極端な思想を主張したとして、ただ唱えているだけなら問題ない気がするんだけど」

「しかしですよ。個人の主義信条に収まっている限りはそこまでの問題とはならないかも知れませんが、これが他人への強要という形を取る場合は問題になるでしょう?干乃くんだって聞いたことくらいあるはずです。アメリカでID論者が州に働きかけて進化論を教えないという法律が通ってしまったという話とか。これはどう考えても個人の信条などには収まらないですよ」

「じゃあ規制でもする?」

「そこまでは思ってません。法律になると、伊達や酔狂で済むレベルの話までいちゃもんをつけられる可能性もありますし」

「いわゆるディストピアだな」

「はい。人間社会の行き着く先と名高いあのディストピアです」

「……………難しくないか?」

「何がですか?」

「どこまでが伊達や酔狂で、どこまでが本気なのかって話。例えば僕は月刊ムーを買うことが結構あるんだけど」

「じゃあゆほびかとかも購読してます?」

「さすがにゆほびかはしてない。いや、あれも大概オカルト雑誌な感があるけど……でも丁度いい話だな。僕は月刊ムーを毎月楽しみにして読んでる。でも別に信じてるわけじゃない。アヌンナキとか古代文明とか、ああいうものを面白いと思うことはあれど、信じてるわけじゃないんだ。コンテンツとして消費しているだけだ。ゆほびかも興味を惹かれて買うことはあるけど、これも本気にしてるわけじゃない」

「干乃くんったらロマンが無いんだから♡」

「でもさ、世の中には月刊ムーを本気で読んで信じてる人もいると思うんだよね。ゆほびかになるとなおさらだ。この間、祖母が真面目な顔して読んでるの見たことあるし、健康っていうのは切実なものだからオカルトが紛れ込んでいても追い求めちゃう」

「私の渾身のはあと付き台詞は無視ですか」

「ああ、ごめん。めっちゃ色っぽかった。官能的な響きがたまらないよ。まるで場末のホストクラブの新人ホステスみたいだった」

「やりぃ!褒められました!でも確かに分かりづらいかも知れませんね。どこまでが本気でどこまでがエンタメなのか……その意味で言うとニューエイジブームが到来するまでの日本とか、あのあたりのオカルトはまだ牧歌的な臭いがする気がしますけど」

「あれでしょ。ネッシーとかツチノコとか。あとイエティ、ビッグフッド、ツチノコ……あとUFOブーム?」

「UFOブームまで来るとちょっと怪しい気もしますけど。彼らの言う宇宙人と神は見分けが付きません」

「ん……三島由紀夫の『美しい星』って読んだことある?」

「三島ですか……金閣寺とか代表的なのはありますけど、その作品は知りませんね」

「ある日突然、自分たちが宇宙人であることに気がつく……あるいはそう妄想し始める家族の話なんだけど。あそこで語られている宇宙人観はオカルトブームとニューエイジの境目あたりにいる気がするんだよな。地球平和について語り出したりとか、核戦争の脅威がどうだとか、自然を破壊する人類への憤りとか」

「ああ……なんていうか、ぽいですね。そういえば当時の文学者ってオカルト的なものに傾倒する傾向があったと聞いたことがあります。石原愼一もネッシー探検隊に行ったと聞いたことありますし」

「三島の場合、どこまで傾倒してたのかは分からないけどね」

「でも楯の会なる組織を作って、制服も自腹でメンバーに配って、ついには市ヶ谷で自殺までした人でしょう?」

「まぁなぁ。そう思うと、ある程度まではごっこ的というか、小説とか作品として落とし込んでいた思想が、あるときから現実にあふれ出して本物の思想になってしまう……っていうプロセスがあったようにも感じるんだよな」

「まさにそれですよ。それをどうやって分離すればいいのでしょう?あらゆるオカルトもあるときまでは思想だったり思考だったり、あるいは作品だったりするわけです。これが行動という形で世界に出力されてしまった時、その責任はどこに求められるのか、という話なんです」

「責任だって?どこに責任があるっていうのさ。社会の歪みとか、分断とか、そういう漠然としたマスコミの常套句でしか求められないと思うんだけど」

「しかしですね、行動の主体が人間である以上、どこかで線引きをーーーー」


 鐘の音がなった。

 建物全体を響かせていく、どこか不協和音じみた違和感のあるメロディ。それが合図となった。時計を見ると、もう3限が終わろうとしていた。かれこれ一時間以上、僕たちは話し込んでいたようだった。


「お腹空きましたね」

「そうだね」

「食堂、行きましょうか」

「どこのにする?」

「今日は旧館の地下に行きましょうか」


 色々選べるんですよね、なんて言いながら彼女は席を立つ。僕もそれに倣った。

 会話は相変わらず続いていたが、どこか行き着く先とか結論を求めて、というような雰囲気にはならなかった。脱線と合流を繰り返しながら、次の言葉、次の単語、次の話題へと移り変わっていく。そういう意味で言えばあまりにも普通の会話だった。


 ただ、内容と語りがもっともらしさとさかしさを湛えているだけだった。

 日本とか世界とか、人間の思考の行く末だとか、そういうことについて憂えているかのように語り合った。しかし根本的には言葉を連ねるゲームが楽しいだけなのだ。


「そうだ、図書館行きましょう?」


 さっき言ってた小説を探してみます、と円藤は言った。


「いいけど、喋れないよ」

「いいじゃないですか。一時間黙って、その後また二時間くらいおしゃべりすれば」


 彼女の言葉に頬を緩ませてから僕は頷いた。

 次の連想は何にしようか、なんて考えながら。

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