27.僕と彼女と信じること

 結局その日の終わりは可もなく不可もない普通の居酒屋で夕食を兼ねた飲み会となった。


 そこでは彼女の口もちょっと軽くなっていた。古史古伝とか、神代文字と言ったものに対する彼女のスタンスや、彼らがどのような団体なのかについて彼女はべらべらと、あふれ出るままに語った。


「まず言えることは彼らが信じているのは主にカタカムナ文字をベースにしたものだということです。あ、カタカムナは分かりますね?」


 言いながら彼女はお猪口を煽った。すでに徳利を一合分飲み干している。沙也加は割と、大酒飲みの気があった。沙也加は言いながら僕の方にもお猪口を注いでいる。


「以前グランデで見せてくれたアレだろ?」

「その通り。古代文字に関しては秀真伝や竹内文書といったものに記されることも多いです。そこにおいては世界文明の起源や、あるいは現代物理学などの知見が記されていることになっています。いわゆるオーパーツですね」

「ちょっと意味ずれている気がするけど。あれって場違いな工芸品って意味だし」

「じゃあ場違いな知見とか場違いな哲学でもいいです。ともかく、そういう先進的な思想を盛り込む傾向がああした文書にはあるのですが、カタカムナの場合は少し特殊な部分がありまして、それは文字の図形自体にそうした哲学が盛り込まれている……という主張をしているところなんです。天体の運行、あるいは原子の動き……と言ったようなものですね。ここら辺は『発見者』が物理学者だった故のアイディアと言えるかもしれません」

「ラザフォードはじめとする物理学者たちが観測する以前に、古代日本人は知ってたって主張するわけだな」

「まさに、です。盗人猛々しいですよね……とは言え、ですね。出鱈目な記号や文字が出自である時よりも、これは厄介なものであるように思えるのです」

「どういう点で?」

呪術じゅじゅつ的な観点で」


 一瞬面食らった。呪術というワードそのものに、では無い。そのワードを言った沙也加が、普段と違うように思えたからだ。


「じゅじゅつ」


 僕はつい、彼女の言葉をおうむ返しにする。酔っぱらっているからかどこか呂律が回らない。


「じゅじゅつ。呪う術と書いて呪術ですよ。今少し馬鹿にしたでしょう」

「別にそんなつもりはないけど」


 沙也加がこの言葉を衒いなく使うことには少しだけ驚いた。

 宇宙人、UMA、陰謀論、都市伝説、幽霊、神代文字。僕たちはこれまで様々なオカルトを話のタネにしてきていた。そのいずれにしても、彼女はどこか揶揄するように語っていた。


 だが、今は違う。あまりに一般的な、普通の物事として彼女はオカルトを語っている。新鮮に思う気持ちと、不安な気持ちが頭の中を掻きむしる。


 僕は彼女についての理解が不十分なのでは無いだろうか。

 もちろんその通りだ。僕は沙也加について知りたいと思ってはいるが、大事なことは何一つ知らない。沙也加は踏み込ませようとしないし、基本的に僕も踏み込もうとしない。だから彼女について何も知らないことは当然だった。それでも知りたい、という欲求があった。だから、少しずつ彼女について考えてきた。


 しかし、その前提が間違っているのではないか。僕が思う彼女のオカルト観は的外れなものなのかもしれない。


「意味が込められているのです。願いと言い換えても良いでしょう。当人だけの架空の言語であっても、それを信じる人は出てくる。そこには多重な意味が込められていて、多くの派生した意味を氾濫はんらんさせる。これだけで怪物は出来上がってしまうのです。架空の存在であっても、です」


 彼女は僕の不安に気が付いたのか、それとも無視しただけなのか、言葉を続けた。


「意味、願い、か。」

「はい」

「どちらも普通ならポジティブな意味でつかわれる言葉だよな。人生とか、自分の存在に意味を見出すことは正しいこととされているし、願うことは物事を叶えるうえで大事なこととされているし」

「諸刃の剣だと思うのです。意味ってものも、願いを捧げることも。人生の意味とか、自分の願いとかいうものは生きる上で大切な活力になりえますが、それらを真理として絶対化するのは変です」


 沙也加は徳利を傾ける。滴が滴るのを見て店員を呼ぶともう一杯、熱燗を注文した。


「それで何の話でしたっけ?」と言うので「神代文字」と答えるとそうだ、と話を続けた。

「つまり、ですよ。我々が相手取るのは一歩間違うとポジティブな感情の物事であるということです。陰陽で言えば陽です」

躁鬱そううつで言えば躁か」

「つまり魅力的ってことです。日本人に誇るべき過去があった、と言う考え方。一般的には自分の住む場所を愛することは悪いことじゃありません」

「一般的に、ということは君自身はそうは思っていないってこと?」

「私自身は思ってませんね。他人が思うことは悪いとは思いませんが。ただ、それが行き過ぎるとどうか、と思うのです。社会インフラが、とか、ノーベル賞が、とかアニメやマンガが、とかならまだ分かります。でも古代日本が現代物理学の先駆けだった、とか世界の盟主だった、とかまで行くと付いていけないでしょう」

「そういや神智学協会のヘレナ・ブラヴァツキ―も似たような思想を持ってなかったっけ。アーリア人が最も進んだ人種だ、みたいな」

「第五根源種たるアーリア人は霊的進化において最先端を行っている、というヤツですね。ナチスに影響を与えたんじゃないか、とか言われていますけど。まさにそれです」


 彼女の言う「付いていけない」を「楽しめない」に置き換えればまさに僕のスタンスと同じと言えた。オカルトには楽しめなくなる地点があると思う。

 その境目がどこなのか、というと僕の場合、戯れでは無く絶対的な教条にしてしまった時だ。


「現代はまだマシな方でしょうね」

「どういうこと?」

「一昔前ならオカルトというものは信じるか信じないかの二元論でした。現代はそうでは無く、一端保留してもよくなったというか、つまり私たち次第になったわけです」

「都市伝説番組のキャッチコピーだな」

「はい。私としてはあの番組に思うところもあるわけですが、しかし討論会の名を借りたつるし上げ大会か、検証と言う名の持論展開大会が繰り広げられる一昔前のオカルト番組の全盛期に比べれば生きやすい世界になったと思います。とかく、世界は二元論に分けてしまう。分けられてしまう。でも選択肢がそれ以外も用意されていることは、少し幸運に思えますね」


 どちらかに回収されざるを得ない、と言う世界。

 それはひどく楽なようにも思えたし、とんでもないディストピアのようにも思えた。


 今現在、オカルトに関して目を向ければそういうAかBかの選択を強いられるようなことは無い。だが、それはオカルトが社会にとって周縁の出来事だからであるように思う。


「イデオロギーに目を向ければ今もそう変わらないように思えるけど」

「でもオカルトはそうじゃないでしょう?」


 だからマシだと言うのです、と沙也加は分かるような、わからないような物言いをした。

 呂律は若干怪しい。言っているうちに次の徳利が到着する。沙也加は自分のお猪口に酒を注ぎ、次に僕のお猪口にも注ぎ入れる。お猪口を口につける。体中に熱が通っていくのが感じ取れた。身体、特に頭が自分では無い、異物のような感覚が強まっていく。そろそろ酔いが強まっていた。


 結局、その後も会話は続いたが、あまり要領を得ないものとなった。いつも通りと言えばいつも通りだ。僕たちは物事に答えを出すために会話をしているのではない。だから記憶も少し曖昧だし、どのように会話を終らせたのかも、実はちょっと曖昧だった。

 まがいなりにオチを付けたのか、時間が来たからぶつ切りになったのか、違う話題に脱線したのか。

 しかしなんとなく印象に残ったやり取りはある。僕が何気なく聞いた一言だ。


「さっきさ、沙也加さんを信じろって言ったでしょ?」

「言いました」

「でも信じるってのと、願うことと何が違うのさ」

「それは……実は何も違わないかもです」


 さて、その時の彼女はどんな表情だったのか。それもやはり曖昧だった。

 それでも、このやり取りだけはどうにも心に残ったのだ。

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