26.僕と彼女と江戸しぐさ



 最後の展示を抜けると、昔ながらの家屋を模した体験コーナーがあった。実際に中に入って座れるらしい。


 僕たちは面白がって、そのレプリカに入り込んだ。

 家の様式はまさに一昔前の日本民家と言った風情だった。沙也加の家よりも純日本的である。その中に沙也加が座り込む。その様子はとても自然と言うか、決まって見えるものだった。


 二人でちゃぶ台を囲む。畳の上で沙也加は正座を、僕は胡坐をかいて向かい合う。

 新しいごっこ遊びが始まったかのような気分だった。


「さて」


 沙也加はそう言うと僕の瞳をまじまじと見つめて、口の端をゆがませ始めた。


「江戸しぐさってご存知ですか?」

「また急に話が飛んだな……いや、飛んでないのか、この場合」


 確か、と思い出す。

 小学生から中学生の頃にかけて流行りだした言葉だった。道徳の授業の時に教師が教材として取り入れていたような気がする。


「ええ。時期的にも合致しますね。あれの胡散臭さもご存知ですよね」

「なんか聞いたことがあるよ。狭い道ですれ違う時は傘をたたむとか、座席に座る時こぶしひとつ分浮かせて座るのが礼儀とか……まるで現代のマナー教室みたいなことを言ってたんでしょ」


 当時はそういうものか、と受け入れていたが今から考えるとおかしい部分が思いつく。


 火事と喧嘩が江戸の華などという町で、そんな行儀の良い譲り合いのマナーなるものが根付くだろうか。昔だからと言って理想化してはいないだろうか。人間は生きていれば必ずもめ事を起こす生き物だ。あらゆる時代において例外ではないのではないか。


「それでは江戸っ子大虐殺の話はご存知ですか?」

「……何、その……何?」

「江戸っ子大虐殺です。明治政府が江戸しぐさを禁じて、それを伝えようとする真の江戸っ子たちを何万人も虐殺したという日本の隠された真実ですよ。だから現代にいたるまで江戸しぐさというものが文献や回顧録に現れなかったのだとか」


 このレベルになると突っ込む気力すら湧かない。

 そんなことあるはずがない、と否定することすら億劫になる。


「目に見えることだけが真実じゃないってよく言うけど」

「ええ」

「かといって目に見えないものを真実と言い切るには相応の根拠が必要だと思うんだ」

「その通りです。江戸しぐさのケースですと『なぜ当時の文献などに江戸しぐさに関するものが記されていないのか?』に対するアンサーとして、この江戸っ子大虐殺は後付けされた設定と言えます」


 そんな代物を歴史の教科ではないとは言え、教科書として採用していたという事実に少し恐怖を覚えた。そんな根拠も証拠も薄弱なものを教わっていたことになる。


「日本史とか世界史でも、研究が進んできて記述が変わることはあるけど。でもそれは思考とか証拠の積み重ねで学説が変わったからだ。まったく証拠のないものを最もらしく教えるなんてことしない」

「……ここで唐突な告白タイム。実は私の趣味は真夜中、露出度の高い水着で街を練り歩くことなんです」

「は?」


 急にどうした、と思った。

 同時に、そんな趣味があっても沙也加ならおかしくないような気がしても来た。とにかく彼女は妙な人間だったし、そういう変な性癖を持っていても受け入れられる気がする。


「さて、セキくんはそれについてどう思いましたか?興奮とかしちゃいましたか」

「君ならやりかねないと思った」

「……と、言うようにですね。まったくの嘘でも根拠がないことでも、堂々と言われると実はそうなんじゃないか、とか思ってしまう心理があるのです」

「本当に嘘?」

「おっとセキくん、それ以上はセクハラです。Me toで訴えますよ。言っておくと私が持ってる水着はスクール水着だけです。露出度の高い水着とか持ってませんから」


 振ってきたのは沙也加の方だった。だというのにいつの間にかこちらの落ち度のような風に持っていかれたことに釈然としなさを感じる。抗議のひとつでも入れようかと思ったが「ことほど左様にですね」と話を繋げたたために遮られた。


「人間は本当を信じるわけでは無くて、信じたいものを信じるのです。地球平面協会もID論者も。そして、古史古伝研究会もです」


 やっと本題に入った、というところだろうか。やれやれ、と頭を掻いた。随分と遠回りした印象がある。僕たちの会話は常に寄り道というか、無駄なことが多いのだけれど、それにしたって今日は特にそうだった。


「なるほど、それで僕は何をしたらいい?」

「信じたいものを信じてください」


 沙也加はまた抽象的な言葉で返してきた。


「知ってる?人間って選択肢が多ければ多いほど体力使うんだってさ。もっと話題を絞り込んでほしいな」

「では私を信じてください」


 今度はかなり限定してきた。沙也加は物言いの振れ幅が激しい。


「いいですか、私を信じるんですよ。もちろん信じたく無くなったら信じなくて結構なんですが。まぁほどほどに、私の言うこと、私がやろうとすることをできる限り応援してくれれば良いです」

「全部君がしゃべるってことだろ?それじゃ僕がいる意味なんて無いじゃないか」

「人生というのはおおむね意味がないものですよ」

「面倒くさいニヒリストみたいなこと言わないでくれるか」

「……と、冗談はさて置いてですね。私を信じてくれて、私の敵に疑いを持つ人が一人いるだけでも違います」


 だから私に任せてください、と彼女は言った。

 そこまで言われて、僕も頷く。何かよほどの考えか、企みがあるのかもしれない。


「それじゃ、お手並み拝見と言う風にでもさせてもらおうか」

「はい。ぜひ見てください。華麗なる私のディベート力に慄くこととなるでしょう」


 そういうと沙也加は立ち上がった。


「そろそろ動きましょうか。どうしますか?ミュージアムショップとか、カフェとか行きますか?ああいうところの微妙なコーヒーとか好きなんですよね」

「美術館のカフェの人に失礼だ。そんなに不味くないだろうに」


 一般的なチェーン店よりおいしいケースだってある。江戸東京博物館のものがどうかは分からないが。


「それともどこか呑みに行きましょうか?この当たりなら熱燗出してるいかにもな居酒屋とか見つかりそうですし」

「そうだな……どっか飲みに行くか」


 どうせ明日は講義もない、僕らにとっては休みの日になる。明後日に向けて英気を養う、というような日になるだろうし、だったら呑みに行っても良いだろう。


 さぁ行きましょう、と沙也加はさっさと玄関まで歩いて行った。下駄を履くと足取り軽やかに遠ざかっていった。

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