肝試し②都内の某ラブホテル

「干乃くーん!私、疲れちゃいましたので、ちょっとそこまで休憩に行きませんか?」


 大学構内でのことである。

 円藤沙也加は待ち合わせた僕の姿を見るや、手を降りながら駆け寄って来て、いきなりそう言った。

 ちなみに今日は土曜日の午前11時を回った辺り。お互いに必修講義を取った帰りだった。

 疲れているようには見えないし、疲れるような時間でも無い。


「休憩ってどこにさ」

「もちろん、ラブホテルです」


 沙也加は「あ、正しくはラァヴ・ホットェルですよ」と、妙にいい発音で囁く。必修英語を履修してきた帰りとでも言うのだろうか。


 一瞬、僕の頭は混乱を期した。

 ついでに心臓も高鳴り始める。

 が、すぐさま思い直す。円藤沙也加がそういうことを言い出すにせよ、そこには確実に別のルールが働いているはずだ。


「……どうせ廃墟とかだろ」

「失礼な。まだ営業している歴としたラァヴ・ホトェルです。さ、行きましょ行きましょ」

「どうでもいいけどその発音、鬱陶しいから止めてくれないか」


 彼女は「塩対応ですねぇ」と言いつつ、僕を引っ張った。


 行き先は大塚だ、と沙也加は言った。

 JR飯田橋駅から四ッ谷駅で乗り換えて、約7分ほどの場所である。


 そういうわけで、たどり着いてしまった。沙也加は色々話を降ってきていたような気もするが、覚えていない。

 というか道中の風景もまともに覚えてない。ただただ、この異常事態がどういう意味を持つのかについての考察に脳内リソースは費やされた。


 沙也加は「少し待っててください」と言うとフロントにまで一人で受け付けにいく。


「あ、予約していた円藤です」


 予約していたのか。

 そんな人気のホテルなのか、と考えるが、なんというか、そうは見えない。


 受付を終えると沙也加は僕を引っ張って先へ進む。


 近年、ラブホテルというものは進歩が著しいと聞く。食事のメニューが充実し、カラオケやジャグジー風呂といったアミューズメント的な側面が強くなり、と言うような。恋人だけでなく友達同士で集まるのに使われたりもするらしい。

 だが、今現在歩んでいる内装はそういう感じとは違っているように見える。

 どこかしみったれている。

 内装のあちこちに黒ずみが目につき、照明もどこか薄暗い。何かツンとした臭いが鼻につく。

 恐らくデリバリーヘルスなどの風俗を利用するためのホテルなのではないか。


 ここです、と案内された部屋は413号室で、不吉の塊のようなナンバーをしていた。こう言うのを持っているというのだろうか。


 室内に入る。

 部屋の中も、通路や内装から見た感想と相違の無い雰囲気をしている。


 薄型テレビが一台と、大きいものの味気ないベッドがひとつ。部屋の隅にはガラスしか隔てるものの無いバスルームがある。ちなみにそこにトイレも併設されていた。

 ……そういう趣味のある人にとっては良いだろうが、他人の排泄を見たくないタイプの人には辛くないだろうか、これ。


 沙也加は持ってきていたキャリーケースをどすん、と置く。僕も背負っていたリュックを下ろした。


「……さて。実は円藤くんに黙っていたことがあります」

「うん」

「このホテル、出るんです」

「知ってた」


 だろうな、と僕は安堵の溜め息を吐いた。

 そんなことだろう、と思いつつもこの30分あまり、僕は狐に摘ままれたような気持ちでいた。何かの間違いか、さもなくば沙也加の双子の妹でも現れたか。

 なので彼女の行動が僕の思った通りだったのにはつい安心してしまう。


「ラブホテルという場所も怪異と結び付きやすいスポットのひとつです。色々要因はあります。ます怪異やオカルトという媒体において性の要素は切り離せません。なぜかと言えば、人が生まれるということは人が死ぬのと同じくらい、人間にはよく分からないからです。我々は何処からきて何処へと向かうのか……というわけですね」

「ポスト印象派の絵画のタイトル?」

「元々はキリスト教の教理問答ですよ。『我々はどこから来て、何者で、どこへと向かうのか』という。哲学的な問いですね。人間は死んだ後と、生まれる前を知覚できない。そういう意味で言えば、セックスは死と同じくらいオカルトであり、またグロテスクでもあります。それに哲学的な問いを置いておいても、怪異と結び付く要因はまだありますよ」

「例えば?」

「SMプレイで死亡事故が起きたりとか」

「また一気に俗っぽくなったね」

「実際、都内のホテルではよく起こるらしいのですよ。調べてきましたが、この大塚周辺のホテルでも何件か起きているのだとか。死の臭いが現れれば、怪異はすぐさま現れます」

 

 生と死が入り混じった蛸壺のような空間。

 そういう文脈で見ればこの空間はとても奇妙と言うか、この世にありながら異界として存在しているようにも感じられる。

 

 沙也加は立ち上がると、周囲をうろうろと散策し始めた。

 何かを探しているようでもあり、何かを探っているようでもある。

 彼女は服が汚れるのも気にせずに、ベッドの下をかがんでのぞき込み、手で探っている。

 何を、と僕が聞こうとするタイミングで「やっぱり」とつぶやいた。


「何?」

「お札です。貼ってあるものですね」


 そういうと、ベッドの裏側にあったミミズがのたうち回っているような白い紙をひらひらとさせた。


「……勝手に剥がしていいのかな。何か事故があったから貼ってるんじゃないの?」

「むしろこういうものが人々の想像力を掻き立ててしまうのです。これがひとつあるだけで、何も知らない人でも『ここで何かあった』と感じてしまうものでしょう?だったらない方がマシです」


 その理屈は確かに分からないでは無い。

 何かをごまかしたり、清めようとアクションを起こすこと。それ自体が、曰くを作り出すこともある。


「そういやこの間も話したっけ。犬鳴トンネルの立て看板。あれも肝試し客を追い払おうとして、逆に新しい話のネタを作っちゃった、とか」

「怪異と対決するにあたって二大武器のひとつが忘却ですからね」

「もうひとつは?」

「パロディです」


 確かに、と思った。

 笑いに転嫁された恐怖やオカルトほどみっともないものも無いが、人間を安心させるものも無いだろう。


「そういう、観念的な話とか、死亡事故っていう文脈の話を抜きにしてもさ。このホテルはなんだか嫌な感じがするよ。ジメっとしているというか、空気がよどんでいるというか」

「地図をきちんと読んだわけではありませんが、たぶん水回りが良くないんでしょうね。暗渠の上に立ってたりするのかもしれません」


 そう言えば、心霊現象が起きる怪奇スポットは水場や湿気のある場所が多い、と聞く。特にこの部屋は窓が無い。換気扇だけが外気とのつながりを持っているのだが、それでは間に合わないほど湿気がたまっている。

 特にガラス張りのバスルームが主な原因であるように思えた。


「考えてみれば水場っていうものが怪異と結びつき易いんじゃないか。実在の怪奇スポットを置いても、例えば井戸は番町皿屋敷でもリングでも使われる恐怖のモチーフだし」

「トンネルの怪奇スポット化もそういうところがあるのかも知れませんねぇ。そう言えば実話怪談などで『誰かの視線を感じる』と言うようなことを言うとき、じっとりとかじめっとした、という形容をすることが多いですよね」

「水分を表現するオノマトペが、怪談文脈だと視線を表現するものとして扱われるってことか」


 面白い着眼点かも知れない。言語学コースならこれで卒業論文が書けそうなテーマだった。


「そうだとするなら、夏場に怪談をよくやるのもなんか納得がいくよね。あれ、一般的には恐怖で身体を涼しくしよう、みたいな感じで言われること多いけど、どんなに恐い話見ても体が寒くなることってないよね?」

「一般的にはどうか分かりませんが、私も別段涼しくはなりませんね」

「そうだとするなら、涼しくなるために恐怖を消費するんじゃなくて、夏場は怪奇体験が身近に感じられる季節だから、この時期に怪談をする……ということなのかもしれない」


 もっとも、僕は一年中怪談とか洒落恐、ホラー映画を見ているのであまり実感は伴わなかった。


 その後も持ってきたホラー映画をを二人で見たり、他の怪談ネタを雑談したりもしたのだが、沙也加が言った『出る』という噂に反して、この部屋に幽霊なりポルターガイストなりと言った存在が現れる様子も無かった、


 そうこうしているうちに、ラブホ会はお開きとなった。

 取っていた時間は二時間。特に延長等もすることなく部屋を出ることになった。


 何も起こらなかった。

 何も起きようがなかった。

 僕はこの事実に「やれやれ残念だ。また何も起こらなかった」と口にした。

 しかし、その一方で内心、安心していた。

 もし本当に怪奇現象などが起こってしまったら、その時僕はどういう感情を抱くのだろう?


 喜ぶ、と思う。

 しかし、今までの人生で本当に怪奇現象やら不思議現象に出会ったことが無い。僕は本当に、その出会いを喜べるのか?

 なんだか、そういう恐怖ともつかない思いがどこかにあった。


 だから、こうしてまた予定調和に終わった肝試しに安堵する気持ちがある。


 部屋を出る直前、沙也加は妙なことを始めた。

 彼女がいつも使っているキャリーケース。配布されたレジュメや教科書などが収められているそれを、出る直前になって開きだした。


「何してるの?」

「えっと。そろそろ今日の総括でも、と思いまして」


 僕の問いに意味の分からない答えをしながら、彼女が取り出したのは某消臭剤だった。

沙也加はそれをおもむろに取り出したかと思うと、そのまま四方八方に向けて乱射した。


この部屋にあったわざとらしい香りと匂いが駆逐されていく。代わりに鼻腔に届いたのは無臭を模した味気ない匂いだった。


特定のフレグランスを匂わせるタイプのものではなく、消臭に特化したタイプなのだという。


「有効性分が臭いの元から消してくれるそうです。酸いも甘いも、何もかも消してくれるのですよ」


なんでこんなことを……と聞こうと思ったが、すぐに思い直した。ネット・SNSに膾炙する噂というか、笑い話。

いわく、ラップ音や視線を感じるなどの怪奇現象に見舞われる部屋に消臭剤を散布したところ、怪奇現象は消えた……という。

彼女がやっているのはそれの再現のようだった。


「それ、いつも持ち歩いてるの?」

「ええ。備えあれば憂い無し、ですからね」


分かるような、分からないような。

そんな彼女のアクションによって、会は今度こそお開きとなった。


その後も特に妙なことは起こらなかった。

精々、沙也加がクレジット払いをするからと僕を外に追い出したものの、機械のトラブルがあったらしく20分ほど待たされたことくらいである。


妙なことが起きた……というか妙なことに気がついたのは、翌日のことだった。


ふと、僕と沙也加の行った例のラブホテルにどんな噂というか怪奇現象が起きていたのか、気になって調べてみたのだ。

だが、いくら調べてもそれらしい噂はネット上では発見することが出来なかった。


大塚 ラブホテル 心霊スポット

東京 ラブホテル 心霊スポット


 などと、色々と言葉を代えたりしてみたが、全くヒットしない。

 沙也加との会話の端に登ったSMプレイ中に起きた死亡事故については何件かニュースや事故報告が出てくるのだが、肝心の例のホテルについては何もない。


 実話怪談サイト、事故物件サイト、果ては風俗嬢が主に利用する掲示板の心霊ネタを扱うスレッドなども覗いてみたが、芳しい結果は得られなかった。


 果たして、あそこは本当に「出る」場所だったのか。僕の心には謎だけが残る結果となった。

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