20.僕と彼女の箱と剣

 その後も彼女と僕によるビブリオバトルめいた雑談が続いた。僕が気に入っているオカルト検証サイトを二人で見たり、あらかた見終わったらまた別の話に戻ったり。


「あ、ちょっと御不浄ごふじょうまでお花を摘みに小用しょうようを足してきますね」


 沙也加は唐突に、古式ゆかしい表現を重複させた物言いをしながら立ち上がった。不浄も花摘みも、トイレに行くことの上品な言い方だがたたみかけられると一周回って下品な気がする。


「ついでにお茶も取ってきます」

「ありがとう」


 そう言って沙也加が扉の向こうに消えると、この部屋に僕一人となった。

 しん、とした静けさが急にこの部屋と僕の耳を襲った。いつもはない状況だった。沙也加と会って話す時は、大抵何かしらの音が溢れる環境だった。大学、街中の安いカフェ、書店、博物館。沙也加が少し席をはずしても、そこには誰かの音や気配がある。だがこの部屋においては違った。山の手の高級住宅地、と言うこともあるのかもしれない。


 手持無沙汰になり、部屋を改めて見回した。


 彼女の部屋の間取りはやはり独特だ。

 入ってすぐの突き当りに大きな本棚。

 右の突き当りを見ればアンティーク家具のようなクローゼットがある。

 左側の突き当りには、やはりアンティークめいた机があり、その卓上には不釣り合いなデスクトップPC巨大な液晶モニターが置かれていた。


 僕はそこに座って手持無沙汰にしている。PCの時計を確認するとそろそろ15時を回るかという時間だった。食事を済ましてから二時間ほど経っている。


 ふと、目に留まるものがあった。

 部屋を長方形に例えた時、出入り口のある長辺の右側。つまり入ってすぐ右のところに木製の大きな箱が安置されている。木箱の隅は金属で補強されていた。


 この木箱も時間の積み重ねを感じさせたが、他の調度品とは風情が違った。他の家具をアンティークと表現するなら、この木箱は古物こぶつだった。


 アンティークと古物はほとんど同じ意味だ。どちらも古いものであることに違いは無い。だが、ニュアンスが違う。西洋家具で揃えられた沙也加の室内に、ひとつだけある和風の家具―――この異物感に僕は目を引かれた。


 つい、近くに近寄ってみる。

 時代劇か、博物館かでしか見ることの無さそうな箱だった。木はくすんだ色合いをしている。触れてみと、しっとりと濡れたような陰のある質感だった。古さを演出したフェイク品では無いと思う。


 扉を見る。足音は聞こえない。沙也加が帰ってくる気配はない。

 あまり良いことではない。しかし、僕はこの箱の中身を見てみたくなった。

 ふたの淵に手を掛ける。とても重い。肘から先だけでは到底開けられそうもない。より力を掛けてふたを持ち上げる。きいきいと蝶番ちょうつがいが悲鳴を上げるような音を立てた。


「……なんだ」


 箱の中は異常だった。びっしりと、何か良く分からない文字が書かれた札で埋め尽くされている。ミミズがのたうち回るような、そんな文字。漢字かひらがなか、それ以外なのかは分からなかった。


 それだけならまだ洒落で済む。沙也加ならそういうことをしそうな気がした。都市伝説や怪談で語られる呪具のパロディとして、そういうものを室内に置きそうだった。


 だが、箱の中にある物は洒落では済まない。御札で埋め尽くされた箱の中。そこには一振りの短剣があった。


 日本史の教科書や資料集に載っている古代の短剣。それを目一杯綺麗にすればこんな感じになるだろうか、と言うものだった。もちろん抜き身ではなく、鞘におさまっている。


 開けてはいけないものを開けてしまった。そんな感想が浮かんだ。

 その感想を打ち払おうと、僕は剣を手に取ってみた。本物のはずがないのだ、と。短剣はずしり、と大きな質量を感じさせるものだった。少なくとも、金属の塊であることに違いは無さそうだった。


 鞘を抜く。まだ真剣と決まったわけでは無い。おそらく模造剣だろう。そういえば、と沙也加とともに行った神保町の書泉グランデのことを思い出す。あそこでは模造刀を売るコーナーがあったはずだ。


 ギラリ、と波紋がLED灯の光を反射して輝く。鞘の下に隠されていた刀身は、まるで水波のように綺麗な模様を描いていた。視線が吸い込まれる。まるで博物館に展示されている刀のような、圧倒的な存在感に自分の精神が没入していく錯覚を覚える。


 つ、と刃に指の先を当ててみる。冷たい感触が指に走ってから、しばらくすると血がにじみ始めた。刃のある、本物の剣のようだった。


 僕の瞳は刀身に集中している。目が離せない。机に突っ伏している時に見えてくる市松模様の光のように、あるいは動画サイトにアップされている視力回復動画を見ているときのように。視線が、感覚が、刃の奥の方へと沈み込んでいく。


 とっぷ、とっぷ、とっぷ。

 夢と現の間で揺れるように、眠りに落ちる寸前の波のように。寄せては返す時間が続いていて、それはとても心地の良いもので、僕はここが沙也加の部屋であることを忘れそうになっていて、ああ、そうだ。ここは沙也加の部屋だった。

 円藤沙也加の、彼女はいまお茶を取りに行っていて、この屋敷ならお茶はペットボトルとかTパックの安いお茶じゃなくて、きちんとした茶葉のものが出てくるだろうが――――


 思考がまとまらない。波に浮かぶうきのような感覚に酔う。

 浮き沈みのリズムの最中で、とぷん、と。それは唐突に沈み込んだ。


 そうして、僕の意識は反転する。

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