17.僕と彼女の姉妹関係
円藤邸はモダンな建築と表現していいかもしれない。現代的な建築、というのではなく前近代的な、という意味でのモダンである。橘が邪魔をして家の全容までは見えてこないが、目の前に木の枠に曇りガラスがはめられたスライド式の扉が出迎えている。ここから類推するに、万事がこのような調子なのかもしれない。
沙也加の案内に従って軒をまたぐ。
やはり印象は変わらない。明治や大正を舞台にした映画やアニメに出てくるお金持ちの家という雰囲気が家のあちこちから伝わってくる。さもなくば、そういう時代を模したテーマパークか。
沙也加は僕をその中の一室に案内し「ここでくつろいで待っててください」とだけ言ってどこかへと歩いて行ってしまった。
室内の中央にはテーブルとソファー、椅子が備え付けられている。そのいずれもがアンティークショップから買ってきたようなデザインと質感をしていた。洋間か応接間といったやや大仰な名称が脳裏に浮かんだ。
試しに臙脂色をしたソファーに腰を下ろしてみることにした。高級そうな見た目のまま、下半身が心地よく沈み込んでいく。座り心地は良い。くつろげるかどうかで言えば不可能だろう。
室内を見渡すと、これまた年代物らしい本棚がある。ガラスケースになっていて、厳つい革の装丁が何冊かと木に金属がはめ込まれた楯が並んでいた。
目を移すと12インチはあろう大きな薄型テレビが場違いに掛けられている。この一室に一番そぐわないものがこのディスプレイだったが、僕に一番馴染みのある家具もこのディスプレイだった。僕は電源を付けるでもなくその黒い画面を眺める。リモコンが見当たらなかったこともあるが、やはり心を落ち着けたいというのもあった。
眺めていると、昨日の沙也加との会話を思い出した。「リング」を繰り返し見た、という会話だ。ここで家族と見たのだろうか。それとも他に団欒する空間があるのだろうか。
「ついてないテレビなんか見つめてどうしたんです?変な人なんすか?」
ぱ、と声が聞こえてきた。
「あまりに大きなテレビだから。ホラー映画を見ればさぞ迫力があるだろうって思っただけだよ」
「んー……ははっ。ホラー映画前提とか、サヤちゃんポイント高いっすね」
戸が開いて声の主が室内に入ってくる。
いきなり話しかけられた上にその声が沙也加によく似ていたものだから、僕は反射的にいつもの調子で返していたが、相手は沙也加では無かった。
彼女は沙也加と確かに別人なのだが、面影を同じくしてる。
顔つき、声、話し方。いずれもよく似ている。
大きな違いは服装と髪だった。灰色のブレザーにチェック柄のスカートという制服にしては洒落た格好である。髪型はショートボブで、沙也加と違って赤み掛かった白に染めている。おおよそ、この屋敷の空気とはギャップのある身なりである。
「あ、この制服すか?今日は補修で」
僕の視線を受けてか、彼女は聞いてもいない自分の情報を語りだした。
「そうなんだ」
「はい。面倒っすよね、ちょっと点数が足りないくらいで。特に日本史がダメなんですよね。読めない漢字のオンパレード。世界史ならカタカナでストレートに読めるんですけど」
「僕は逆だな。あんな無機質な記号の集まりみたいな名前とか地名とか、良く覚えられるなって思うよ」
「サヤちゃんと話が合うような人となると違うんすねぇ」
彼女が何者なのか、僕が何者なのか。
そういう確認を経ずに、彼女は会話を始めようとしている。僕もそれに否を唱えることなくそれに応じていた。
彼女の立ち位置はもちろん、それを推察することは名探偵ならざる僕でも簡単だった。どう考えても沙也加が言っていた妹だろう。話が行っているというのなら、彼女も僕が沙也加の連れてきた客であることを知っているに違いない。
とは言え、初対面の人間―――それも年代も性格も違う異性―――にここまで気を置かないというのも、なんだか独特の間の取り方のように感じる。
「えっと……君は沙也加さんの妹でいいのかな」
「あ、はい。
「失礼なヤツだな君」
「でもサヤちゃんが家に連れてくるとなると相当な変わり者っすよ」
「他に連れてきた人間も変なヤツだったって?」
「いえ……そもそも彼氏はおろか友達もいないんで」
友達を連れてきたのは10年ぶり二度目くらいですね、とまるで甲子園の記録のように僕の来訪を語った。
「趣味が偏ってる上に理屈っぽいっすからねぇ。自分の生まれに真面目っつうかなんつうか。なんていうか、陰気?もっとちゃらんぽらんで良いのに。その点私を見てくださいよ。家のこととか知ったこっちゃねぇ人生設計してますからね」
「僕の知ってる限り、沙也加がそこまで陰気なようには思えないんだけど」
「お、早速カレシ要素の匂わせっすか?」
「なんだ匂わせって」
僕は
「だってサヤちゃん完全に家業継ぐつもりなんですよ?姉妹が逆だったとしても私には無理ですねマジムリ。まず妹に押しつけます。恐いのとかカンベンです」
「……家業?お悩み相談って聞いたけど」
「え……あー。そうっすね。大体そんな感じ。ちゃんと話してないらしいのは意外っすけど」
彼氏云々の話ではないが、沙巫の方こそ何か妙な匂わせをしているような言葉の濁し方をしているように思えた。
「じゃ、普通に話が合って家に連れてきたってことすか?」
「それ以外にどういう理由で家に連れてくるのかな」
「あ、じゃ安心っすね!サヤちゃん妙なオカルトマニアに付け込まれたんじゃないかって思ってたんすよ。実態は妙なオカルトマニアたちがお互い付け込み合ってるってことで、それなら別に問題ないっす!私はお邪魔しませんので!」
沙巫は妙な日本語でこの話題を締めようとした。
色々と聞きたいことがあるのだが、どこから切り込めばいいのかが分からない。沙也加がなんらかの家業を継ぐつもりでいて、それと僕が来たことになにか関係があるかのような言い方だった。
「あのさ、君の言っていることがいまいちよく分からないんだけど、それって―――」
話が打ち切られる前に、その点について追及しようとしたが、それは遮られた。
すたすた――――スタスタスタスタッ
軽やかながらどこか焦ったような足音が聞こえてきたからだ。その足音はだんだんと距離を詰めてきて、やがてこの応接間の戸を開けた。
現れたのは先ほど別れた沙也加だった。
「ああっスーちゃん!どこにもいないと思ったら……勝手なことをしないでください」
「ええー。別にいいじゃん。なに?サヤちゃんったら独占欲?」
やり取りをする姉妹を眺めると、やはりよく似ているのが分かる。性格や服装の趣味の違いは、却って二人の共通点を際立たせていた。
「そういう話じゃないのです。あなたのことですからロクに挨拶もしないままセキくんに失礼な態度を取ったんじゃないでしょうね」
「まさしくそのとおりデス。サヤちゃんお気に入りのセキくんと色々会話いたしました!もはや親友と言っても過言では無いくらい」
明らかに過言である。実際は沙巫が一方的に捲し立てたというのが正しい。
「んじゃ私は着替えてくるのでまたあとで。んじゃまたあとでねセキくん!」
沙巫はそういうとひら、と手を振り部屋を出ていく。最後に僕を呼んだのは明らかに姉への当てつけかいじりだろう。が、沙也加はそれに見事に引っかかった様子で「スーちゃん!」と苛立たし気に声を荒げた。
姉妹の力関係の一端が垣間見えるようだった。こういう感情的な沙也加の様子もあまり見ないので珍しい。沙巫の陰気という評価については良く分からないが、確かに外で彼女があのように翻弄されて声を荒げる様子はあまり見たことがない。
沙也加は唸るように喉を鳴らしてから、やや伏し目にして僕に向き直った。
「妹がすみません。スーちゃんのことだから急に入ってきて一方的に捲し立てたんじゃないかと思うのですが。もし不快にさせていたらすみません」
「おおむねその通りだったけど。不快ってほどじゃない」
「だといいのですが。スーちゃんは昔からああなんです。誰にも彼にも取りあえずちょっかいを掛けとかないと気が済まないというか、そうしないと仲良くなれないと思っているというか」
沙也加が妹に付いて語る様子は沙巫が姉に付いて語った様子とよく似ていた。家族というだけあって、お互いの評価に遠慮が無いようである。
僕には兄弟姉妹は居ない。だから、と言うのではないだろうが彼女たちのやり取りは興味深く思える。同じ環境に育ち、同じ血を分けているのにその価値観は一見して違う。そういう存在が常に隣に居続ける、ということは人生に影響を与えるのではないか。
「沙也加さん」
「はい?」
「姉妹ってどんな感じ?」
「さっき見たでしょう。だいたいあんな感じです」
「いやそうでなくて」
どういう生態をしているかなんてのは見れば分かる。僕が知りたいのは沙也加の主観というか、感想だった。
「分かってます。冗談です、冗句。そうですねぇ……私に無いものを持っているので憎らしい。でも、私が持っていて彼女にはないものもあるのでかわいらしくもある……という感じでしょうか」
「随分と生々しい感想だね」
「隠さずに妹への嫉妬を公言するのは清々しいと思いませんか?」
確かにそういう意味で言えばすっきりしているとは思う。
つまり、彼女は妹へ複雑な感情を持っている。だが、それについて心の整理はついている……と言っている。心の裡に秘めて煮えたぎるような感情では無い、と。
だがそれが本心なのかポーズなのかまでは分からない。少なくとも複雑な感情自体が存在していなければこういう言葉は出てこないのも確かだった。
「ま、そうかもね」
しかし僕は彼女の言葉に無批判に同意した。
「そうなんですよ。まぁかわいいと思うのも事実です。肉親の情とか、そういうものだって無いとは言えませんが」
「趣味は合うの?」
「あんまりですね。スーちゃん……妹は割と合理主義者というか、即物的な性格ですからね。それと重度の恐がりです。なのでオカルト全般に一切の興味は無いし、ホラー関連も意図的にシャットアウトしていますから」
都内の高校で流行ってる都市伝説とかあったら聞きたかったんですけど、と残念そうにつぶやく。これは本音のようだった。
「セキくんは一人っ子でしたっけ?」
「ああ、うん。兄弟も姉妹もいないね。どうして?」
「兄弟がいたらわざわざ聞かないでしょう。だからいないのかなって。―――羨ましい、と無批判には言えませんね。それはそれで私たちにあってセキくんに無いものとかもあるのでしょうし」
「妹さんのこと、嫌いなわけじゃないんでしょ?」
「はい。好きですよ、基本的には」
含みを持たせた沙也加の言葉に何らかの批評を加えるのは憚られた。考えてみれば僕と沙也加の関係とはずっとこういうものだった。
お互いの抱えているものに対して無関心だった。無関心で、ただ共通の話題があっただけだ。しかし、だからこそ僕たちは友人でいられている。そうして友人になったから僕は改めて彼女の抱えているものに興味を抱いたのだ。
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