11.僕と彼女のプラグマティズム

待ち合わせていた講義は二限目の物理学だった。

 物理学は教養科目であり、文学部の卒業において必要な単位なので履修している。元はと言えば沙也加に「せっかくなので一緒にとりましょうよ」と誘われたのに端を発していた。これは今年の単位の殆どに言えることである。


 昨年の講義で意気投合して以来、講義終了後も折に触れて会話をしたり遊びにいくようになり、年度初めには一緒にシラバスを突っつきまわす中にまでなった。結果、今年の時間割は前期後期ともに一日の内、一度は会うことがあるように調整している。沙也加の語学再履修やそれぞれの学科の専門科目、ゼミ等は一緒には取れない。だが教養科目や公開講義系では一緒に履修するものが多々あった。


 西洋、東洋のそれぞれの美術史、フランス思想史、そして金曜日の物理学。いずれも僕の人生と関わりの薄く、これからの人生にもこれという使い道は無さそうな知識たちだった。卒業に必要だから、沙也加に誘われたから取っているという講義である。


「……というわけで、原子、atomという語は元々、ギリシャ哲学において『これ以上分割出来ないもの』という存在を想定して考えられたものでした。そういう観念的な考え方だった原子が20世紀初頭、科学的に観測することが出来るようになったということですね。皆さんに配ったレジュメを見ていただきたいんですけど、この原子についてもすぐさま正解にたどり着いたということでは無くて、いくつかの説が提唱されていました。ラザフォード、トムソン、長岡半太郎と色々います。今日の講義はどれがどのような考え方で提唱されたのか、それらはなぜ否定されたのか、最後にどれが今日につながるモデルなのかという流れで進めたいと思います」


 まだ20代後半の、僕らとそう歳の変わらない講師は、学生の散漫さとの対決に努めて力を入れている。講義はスクリーンに投影されたパワーポイントを介して行われ、学生に配られるレジュメもこのパワーポイントを印刷したものである。一部の画像などは「著作権に触れるから」と印刷されていないものの、ほとんどすべてが引き写しされていた。


 彼のシステマティックかつ熱の入った講義に対して「へぇ」という感想しか抱けない自分が申し訳なくなるほどだった。


 彼の講義は基本的に、物理学の歩みについての講義になる。僕らのような文系学生の教養として物理学をレクチャーするという目的の講義であり、その目的に沿って色々と考えて講義を進めているようだった。


「もちろん、現在は結果がもう出てます。Wikiで調べればつまるところどうなったのかも講義するまでもなく分かります。でも、そんなことを暗記しても―――私は楽しいですけど―――皆さんは苦痛なだけでしょう。なので、この講義では主に物理学史がどのような過程をおいて展開していったのか、その論理を説明していこうと思います」


 と、初回講義で語っていたのを思い出す。この過程には「当初はこう思われていた」とか「~をするのにこういう学問が必要になって発展してきた」というような話も含まれていて、意外と面白い。


 しかし、周囲の学生を見てもやはり「単位が欲しい」というモチベーションの人間がほとんどだった。自分も時折面白いと思うこともあるが、基本的には「単位が欲しい」が本音である。


 では隣の彼女はどうか、と言えば非常に熱心な様子で耳を傾けている。

 学生のほとんどはスマートフォンを見るか、つっぷして寝ているかが半分、残りの半分が辛うじて講義に集中している。

 僕は集中している沙也加に釣られて居住まいを正して講義を受けていた。沙也加は僕がスマートフォンを見ていても注意してきたりはしない。だが、隣にいる知人が熱心なのを見ると、単位のためだけに時間を浪費するのも変な話だという気持ちになる。


 講師は最初に言った通りの授業を展開し、最後にラザフォードモデルが正しいことが証明された、という結論を述べて講義を終了させた。


「来週は今日学んでもらった原子の、さらに元となったものについて解説していく予定です。最初に言った通り、atomはこれ以上分割できないものとして考えられたもので、原子も当初はこれ以上分割出来ないと考えられていました。でも、後になってさらに原子よりも小さなもの、クォーツが発見されてしまうわけです。次回はそこらへんについて、と言うわけでお疲れさまでした」


 講師が「ちょっと早いですけど終了しましょう」と言うと学生たちはざわざわと喧噪を上げながら席を発っていく。

 沙也加はその波を眺めながらん、と伸びをした。講義を受けている時はただでさえ肩が凝る。それなのに沙也加は肩の凝りそうな着物を毎日のように着まわしているので、余計に疲れているように見えた。


「凄い熱心だよね」

「誰がですか?」

「沙也加さんが」

「え……急に私を褒めだしてどうしたんですか。何か下心でも……?」

「この程度の褒め言葉で下心を感じられても困る」

「最近、セキくんも妙に辛辣になってきましたからね。アメとムチのアメの方向に再びシフトを切り始めたのかと」


 そこまで辛辣だったろうか、とここ最近の自分を振り返る。

 特にそういう意図はなかった。付き合いが深まって、知らずのうちに遠慮が無くなっていたのかもしれない。


「そういうんじゃない。ただ、色々なことを知ってるし、知ろうとしているなって思っただけだよ」


 そういう意味では沙也加にもロマン主義者の気があるのではないか。彼女はあくまで否定しそうだが、ふとそんな思いがよぎった。


 案の定、彼女は「そんな良いものじゃないですよ」と手を振った。煽られた袖から和菓子のような芳しい匂いが漂ってくる。


「私が熱心に見えるのは、それが私の人生に必要なものだからです。人脈造りと言ってバイトに精を出す人とか、ビジネスのために自己啓発本を読み漁るような人と同じ。あくまで実用的な観点で知識を集めているに過ぎません。すべては必要だから知っているし、知ろうとしているんです」


 それでは何かが矛盾するように思える。

 例えば沙也加と僕が何かを語る時、それはもっぱらオカルト話となる。


 UFO、宇宙人、レプリティアン、アラハバキ様。


これらは人生において必ずしも必要ないものだ。こうしたものたちが掻き立てる想像力は人生を豊かにしてくれるかもしれないが、彼女が例えるほどの実用主義的な知識では無いのではないか。


「……さて。それも私にとっては必要なものなのかもしれませんよ?」

「逆説的な……無駄であることが一周回ってもっとも必要なものである、とか。そういう?」

「そういう話じゃなくて。文字通り、必要だから学ぶのです。私にとって文学部は必要な知識の宝庫ですよ。それを熱心と言ってくれるのは我が意を得たり、ですが」

「それじゃ、僕と会話するのも?」

「ええ。勿論。私の人生に有用だから時間を割いているのです。ぜひ光栄に思ってください」


 彼女は女王か、そうでなければどこぞのお嬢様のような仕草で口を隠しながら笑った。着物姿だとその仕草は決まって見える。

 沙也加の態度と言葉はいつも意図的にディフォルメしているものだ。いわば常に嘘を吐き続けている。なのに所作とか恰好は良く出来ている。嘘と本当の境目を見せない。


 そういう一面が彼女の魅力だと思う。

だが流石に今の言い分はちょっとイラッときたので、僕は「何様のつもりだ」と笑った。


「もちろん円藤沙也加様です。これからは様付けで呼んでいただいて構いませんよ」

「そうか。僕は構うけど」


 もはや会話とか議論というよりただの連想ゲームのようになっている。お互い、意味が無いことを知っていながら、その意味のない遊戯を楽しむように言葉を連ねた。

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