7.僕と彼女のアルバイト

 僕、干乃赤冶と円藤沙也加は都内の大学に通う大学生である。所属はともに文学部だった。僕は日本文学科だったが、沙也加はと言えば意外なことに英文学科の所属であった。


「意外だ。君が英文学科だなんて」

「人を見た目で判断すべきでは無い、ということですね」

「見た目と内面の両方で判断してもやっぱり意外だってことなんだけど」


 僕と沙也加はお互いの目の前に置かれたパンケーキをギリギリと切り分けた。僕らがいるのは今年になって完成した新学舎、その中に新設されたカフェである。コーヒーはSサイズで120円、Lサイズで150円。一般的なコーヒーチェーンと比べても一杯の値段は格安と言える。加えてパンケーキもひとつ390円と手頃な値段。この新学舎が解放されてからというもの、僕たちはよくここで屯して会話をしていた。


 お互いの学部について知ったのはその最中だった。


 普通に考えればこういう基本的なことは出会ってすぐに交換するものだろう。しかし僕と沙也加は顔を合わせれば話題に尽きることが無かった。身辺情報、住所、それどころか学科まで、これまで僕たちは情報を共有していない。辛うじて知っているのはお互いの連絡先だけである。電話番号とメールアドレス、それに無料通話アプリのアカウント。特に通話アプリに関しては相当なやり取りが記録されているのだが、不思議なことに基本的な情報交換はされていなかった。


「和服趣味とか神話とか仏教とかオカルトに詳しいところとかがあるから、日本文学とか史学とか民俗学のほうかと思ってたよ」


 和服趣味については見た目で判断している部分かもしれない。今日も彼女は和服を着こなしている。とは言えそれ以外の部分を見ても意外なことには変わりがない。


「国際的な観点で世界を見る……このグローバル社会に適応した生き方を心がけた結果です。どうです、意識が高いと思いませんか?」


 そう言いながら小分けされたメイプルシロップの容器のふたを危なっかしく開けてパンケーキに掛けていく。和服にかからないかが気になった。


「意識が高い学生は必修科目を落としたりしないんじゃないか」

「む。あれは仕方がないことなんですよ。丁度プライベートの……そう、アルバイトが忙しくて」


 そういうと、パンケーキを持ち上げて口へと運んだ。たら、とメイプルシロップが糸を引いて皿の余白に垂れる。


「バイトなんてしてたんだな。君、実家が裕福なんじゃなかったっけ」


 歴史がそこそこある家の出、というようなことを前に口走っていたような気がする。和服の着付けや手入れを家政婦に任せている、というようなことも。

 彼女が金に困っているような素振りは見たことが無かった。上野の美術館巡りは度々行われるが特別展示やキャンパスメンバーズシップに加入していない科学博物館や現代美術館などへの入館に躊躇が無く、音声ガイドも500円支払って聞いている。

 一緒に映画館へ行ってもIMAX3Dを選ぶし、飲みに行っても酒や料理を頼むことに一切の躊躇が無い。

 その割にアルバイトをしているところも見たことが無かった。沙也加以外の知り合いの中には派手な私生活を送る学生もいるが、その代償としてアルバイト漬けになって苦労するのがザラだった。しかし沙也加はと言えばほぼ毎日僕とお喋りをするかどこかを冷やかしに行くかしている。僕がバイトのシフトで彼女と別れることはあれど、彼女がアルバイトで忙しそうにすることは出会ってこの方、一度も無い。


「結構不定期というか、不規則なアルバイトなんですよ。依頼が来れば付きっ切りだけど、仕事が無い時は一切ない。去年の今頃は死ぬほど忙しかったんです」


 沙也加が語るところによれば語学の先生は救済措置を取ってくれていたらしい。出席数の不足をレポートで補うことを提案してくれていた。


「だったんですけど、仕事が入って提出をすっぽかしちゃって」

「それはまた。学業優先した方が良かったんじゃない?バイト先に相談したりさ」

「でも先方も人生がかかってたんですよ」

「人生って……一応聞きたいんだけど、何のバイト?」

「守秘義務があるので秘密です」


 片目を閉じ、人差し指を唇に当てながら言う。擬音でも付きそうなジェスチャーだった。

 僕はと言えば、何かいかがわしいアルバイトじゃないだろうかと不安になりつつ頬を掻いた。大学生に人生を背負わせるような仕事を振るなど、どう考えてもまともでは無い。


「そんなに金に困ってるの?」

「いいえ、そんなに。御察しのとおり、実家は裕福なんで、生活には困ってないです」

「君、実家ってどこにあるのさ」

「セキくん今日はぐいぐい来ますね。そんなに私に付いて知りたいんですか?」


 語尾にねっとりと糸を引くような口調だった。そういう言われ方をすると照れくさくなって否定したくなる。

 だが、彼女は僕が否定する前にあっさりと答えを出した。


「聞いて驚け麻布十番、皆がうらやむ高級住宅街、皆が住みたい街ランキング85位です」

「武蔵小杉の僕の勝ちだ」

「近年になってタワマン建てた、いわばランキング界の成金じゃないですか。麻布は住みたくても住めない街なわけで小杉などとは格が違うんですよ」


 僕のどうでもいいマウントに彼女も乗ってきてマウントを取り返してきた。

別に僕はタワーマンションに住んでいるわけでも無ければ近年になって越してきたわけでも無い。築20年ほどのマンションが実家で、生まれてこの方そこに住んでいただけである。むしろ近年、地元がランキングで上位に躍り出て驚いているくらいだった。


「しかし麻布か……相当なお金持ちだな」


 歴史がある、というのも満更嘘でないのだろう。

 東京と言う街は多くのものが歴史の浅い消費物で出来ている……というのが沙也加の主張だったが、同時にいたるところで歴史の残り香で出来てもいる。まず、僕らの通う大学の校舎はお濠の沿線に位置しており、つまり江戸城遺構の上に建っていた。僕らがコーヒーを飲んでいる新校舎も工事中に江戸城の新たな遺構が発見されたらしい。「その調査で工事が遅れちゃったんだよねぇ」などと自虐風の自慢をする教授も多い。


 それ以外の大学……例えば東京大学などは加賀藩邸の跡地だし、青山学院大学も伊予松平の邸跡地に建っている。大学に限らず、例えば市ヶ谷の防衛省庁舎は尾張徳川の邸跡地だし、東京ドームは紀州徳川の邸跡地だったりする。とかく調べれば何らかの歴史が埋もれているのが東京と言う街だった。

そして沙也加の家があるという麻布十番も元は江戸藩邸がある場所だったと思う。


「たしか仙台藩邸がある場所だったか」

「詳しいですね。もしかしてストーカーですか?」

「歴史雑学が好きなだけだ。というか沙也加さんの家の場所さっき初めて聞いたわ」

「でもその通りです。麻布は江戸時代の下屋敷……つまり大名の別荘地だったんです。私が住んでいるのは仙台坂、つまり仙台藩邸があった通りですね。元々湿地だったんですが、湿気が酷くて伊達さん家も苦労したと聞いてますよ」


 まるで伊達家の人と友達かのような気軽な語りぶりだった。とは言え歴史が古い家だと言うのならあり得ない話でも無いのかもしれない。


「今度遊びに来てくださいよ。歴史マニアストーカーのセキくんなら満足できる家をお見せできると思います」

「その言われようは甚だ不本意なんだけど。」


 ともかく、そこまで言うのなら一度遊びに行くのも良いかもしれない。

 もしかしたら江戸以来の武家屋敷か、そうでなくても明治大正以降の趣のある屋敷が出てきてもおかしくは無い。

 

 何より、円藤沙也加の生活実態には興味があった。

 どこで、誰と、どんな風に暮らしているのか。それがこのオカルトな女性について知る、大きなヒントになるように思えた。

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