5.僕と彼女のロマンティシズム

 上野の地は雑多な喧噪と静かな陽気とが混じり合った町と言えるかも知れない。方やアメ横。いかにもアジアの商店街、という無国籍感を湛えた雑多なあの市場。方や博物館、美術館、動物園が並ぶ広々とした恩賜公園。いずれにせよ、いつ行っても浮かれた雰囲気が街並みを包んでいた。


 僕たちは階段を駆け上り、広々とした遊歩道を歩いていく。平日だというのに大道芸人がジャグリングをし、そこに10人前後の客が群がる姿も見えた。僕たちは、と言えばそれを尻目に先を急ぐ。あの芸人を見るのは何度目かだったし、そもそも時刻はもう15時を回りかけている。閉館時間を考えればゆっくりもしていられない。


「特別展示は―――今日はいいですよね?」

「ああ。もうちょっとゆっくりできる時に行こう」


 と、ひとまず打ち合わせをして指針を決める。

 上野の各種博物館はキャンパスパス制度というものを導入しているところが多い。国立美術館がそれにあたる。加入している大学の生徒は学生証を見せるだけで常設展が無料、特別展が割引になる、という制度だった。僕たちはこの制度を度々利用し、上野の展示館を制覇する勢いだった。もはや行っていないのは動物園と劇場くらいである。


 長い長い道を行き、十字路というには大きすぎる交差点を過ぎる。ここから右に行けば動物園、左に行けば科学館。僕たちが今回目当てにしているのはさらにまっすぐ進んだ先にある国立東京博物館だ。


 僕たちはその道を黙々と進み続けた。木々の間から漏れる午後の太陽光が揺らぎながら僕たちを照り返していく。そのランダム性に心地よさを感じる。

 こうやって黙っていれば普通の友達か、あるいはカップルかに見えるのではないだろうか。僕は普通の男子大学生、沙也加は普通とは言い難いが一般的な和服美人だ。


 ここで僕が「松果体の石灰化が防がれそうな良い光だな」とか言えば彼女も嬉々として乗っかってきそうなものだが、せっかく黙っていても心地よい雰囲気だったから口をつぐんだ。そもそもそれは沙也加の手法だ。


 僕たちの会話は常に胡乱である。

 でも、だからと言って僕たちの思考が胡乱そのものというわけでも無いと思う。少なくとも僕はオカルトについて、0と1を集める態度を取っていた。きっと沙也加も似たようなものだろう。確かにスタンスは少し違う。彼女はいわば、オカルトへのパロディとして自分の行動を規定しているように思えた。あらゆる言動を『分かって』行っている。


 彼女はアラハバキの話もカタカムナの話も、割と楽しそうに語る。服装は常に和服だし、真言やら祝詞やらに妙に詳しい一面もあった。いつだったか、有名な心霊スポットでマントラを唱えながら消臭剤をまき散らしたこともあった。

 

 一見するとそういうオカルトについて、彼女は信奉しているように見えるが、しかしその行動はオカルトというものへの当てつけやアンチに満ちているように思える。信じている、という演技を一度した上で、最後には彼女は否定する方へと回る。半年ほどの付き合いの末にその言動パターンが読めてきていた。


 東京博物館、東博と通称されるこの展示館は、日本最古の博物館であるらしい。最古、などと言っても日本の歴史全体を考えればそこまでのものではない。精々が150年程度だ。ウィーン万博に日本の文物を出展するにあたり、その前年である1872年に国内で最初の博覧会を湯島聖堂で開いた。それを東博の創設と定めていると言うだけの話である。


「古いのか新しいのか、その基準をどこに求めるかの話ですよね」

 

 博物館の敷地内に入ると沙也加はおもむろに切り出した。

 チケット売り場で学生証を提示すれば専用の当日券を発行してくれる。平日の昼下がりだから並ぶことも無く、スムーズに入場できた。高い塀を超えれば時代がかった庭が広がっている。ふと右を見れば屋台の車が何台か並んでいた。コーヒー、ケバブ、タピオカミルクティー。国籍が混ざり合った匂いは何の情緒も感じさせることは無い。


 彼女の発言には主語が抜けているが、言いたいことは大まかに把握することが出来る。この話題自体が何度目かの再放送であるからだ。


「少なくとも僕らが生まれるよりも前からあるのは確かだ。それは古いと言っていいんじゃないか」

「日本の歴史を考えればつい最近でしょ?」


 先ほど、総武線の車両の中でも似たような会話をした。彼女は東京と言う街に対して疑いというか、とにかく否定的な態度を取っていた。靖国神社を通り過ぎるたびに何か皮肉を言わなければ気が済まない。その割に結構な頻度で参拝したり遊就館を見に行くので、本心は分からないが。


「そこまで否定しなくたって良いだろうに。僕も君もこの街の便利さを享受して、楽しい消費生活を送ってるんだから」

「否定はしてません。事実を述べているだけです。大阪城にエレベーターが付いていることを指摘したって、それは否定することにはならないでしょう?」


 彼女は意見を譲らず、先程と同じような物言いをした。

 否定していない、と言うもののその言葉には棘があるように感じられる。

 彼女との会話は往々にして、同じ話題を繰り返すことが多い。そのたびに考えが変わったり、新たな意見にたどり着くこともあれば、このように平行線のまま何も変わらないこともある。いつものことだ。


 本館の出入り口は古い寺か神社のお堂の出入り口のような雰囲気を持っている。が、そこを通り過ぎれば内装は時代がかった洋館そのものでもある。

 いかにも近代の匂いがこの建物全体を包み込んでいる。コンクリートの建物が持つ冷たさゆえか、それともカビの匂いなのか分からないが、とにかく時代性を湛えた空気が充満しているように思える。


「結局さ、歴史っていうのは現在の積み重ねにしかならないだろ」

「そうでしょうね」

「確かに作りもので薄っぺらい歴史かもだけど……それだって100年続けばそれなりの重みが出るんじゃないか。これからまた100年つづけば、それはそれで新しい歴史になるように思えるよ」

「……前から思ってましたけど、セキくんはロマンティストなんですね」

「分かってるよちょっと臭いこと言ったな、て思ったさ!」

「いや、そうでなく。今日より明日が良くなるって楽観できる心の持ち主なんだなって」


 彼女はどうやら一般的なロマンティストという言い回しではなくロマン主義者と言う風に言いたいらしい。そうではない、と思った。


「さて、それはどうかな。僕は別に未来を信じてるんじゃなくて、現在しか見れないだけなんじゃないかな。過去を見ても果てが無いし、未来を見てもキリがないし」


 過去について知りたいとは思うが、それは過去に回帰したいからではない。ただ、知りたいという現在の欲求に従っているに過ぎない。未来を悲観する言説は常に世の中に溢れている。それらは大抵もっともらしい陰謀論に足を突っ込んでいる。かといって楽観すれば足下を救われることは歴史も経験も証明していた。


 僕はただ、現在しか見たくないだけだ。現在の積み重ねでしか未来はあり得ないと、目を瞑っているに過ぎない。それは果たしてロマンティストと言えるだろうか。


「ま、どっちでもいいですけどね。セキくんがどういう主義者でも、私にとってのセキくんはセキくんですから。セキくんも私がどういう私でも一緒にいてくれますよね?」


 妙に目を潤ませて語りかけてきた。

 彼女がこの話題をどうでも良いと思いだしている証拠だ。僕もどこか投げやりな気分になってきていた。


「ああ、そうだね。どういう沙也加さんでも基本、沙也加さんは沙也加さんであってそれ以外の何者でも無いだろうさ」


 トートロジーは空虚な意味にそれらしさを伴わせてくれる。

沙也加は僕の答えにうんうん、と頷いていたと思えば「あ、見てくださいよあれ。平家物語の屏風絵ですって。さわっても良いみたいですよ!」と話題を急に転換させた。つまりはそれくらいの意味しか伴っていない問答だった。

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