4.僕と彼女とアラハバキの話

「今日は上野に行きましょう」


 昨日と同じ時間に終わった講義の後、彼女はそういった。昨日は西洋美術史だが今日は日本美術史である。こうも毎日合っていると、お互いの境界が解けていくような錯覚を覚える。

 上野の美術館の数々は東京で大学生をやっていると一般展示は無料で見れることが多い。手慰み、あるいはその日の気分でちょっと見に行く、と言うのがやり易いのが上野の美術館たちだった。


「なんとまぁ、今日のデートは上野ですか円藤氏」

「そうです干乃氏」

「どこにするのですか円藤氏。前回はアジア館で仏像三昧でしたが」

「国立博物館の本館がいいですね。授業の復習と洒落こみましょう」


 「会い分かって御座候」とお互いに軽口を叩きながら、昨日と同じように学校を出た。今日は上野に行きたいのでJR市ヶ谷駅まで皇居の濠沿いの遊歩道を歩く。

 僕たちと同じように講義が終わったばかりの学生や、あるいはこれから講義を行う予定の学生たちが列を為して行き駆っている。


「しかし円藤さんて毎日和服だよね」


 今日の円藤沙也加は変わり種、ジーンズのようなデザインの和服を着こんでいた。やはり人々の視線を集める。


「手入れ大変じゃない?」

「ま、手入れ自体はそんなに。私がやってるんじゃありませんし」

「お母さんが?」

「いえ、着物の手入れの係の人が」


 自然と感嘆の声が出た。


「使用人さんってこと?」

「ま、そんなものです。なんと私は箱入り娘。そこそこ歴史があるような無い様な、そんな家で大事にされることが多い娘ですよ。今度家に来てみてください。色々度肝を抜かれること請け合いです」

「へぇ。じゃ、機会があれば」

「婉曲な断り方をしなくてもいいですよ」

「面倒だな。じゃ今日にも行きたい」

「駄目です」

「……何がベストコミュニケーションなのか、理解に苦しむな」


 僕の言葉に沙也加は何か深い意味でもあるような―――いつものあの顔をした。


 すでに花も草も落として久しい桜並木や学生やビジネスマンに向けた喫茶店の数々、子供たちが遊びまわる小さな公園を超え、市ヶ谷駅にたどり着く。ここから秋葉原まで向かい、そこから山手線に乗り換えて上野駅まで向かう算段だった。


 絶え間ない人々の群れと会話の連続を聞き流しながら僕たちは電車の中に入る。沙也加は重そうにトランクを持ち上げて電車に乗った。いつものことだった。


 東京と言う町は常に消費と娯楽に満ちている。

 あらゆるものが消費の対象であり、快楽の道具だ。僕は関東圏の出身で、住んでいる場所も川を渡れば東京、というようなところなのだが、それにしたって都心と呼ばれる土地に毎日通うようになると、流石に面食らうことが多くなった。秋葉原駅に到着し、そこから山手線に乗り換える。ふと、眼下に見える町の様子は、あまりに雑多だった。よく言えば、カラフルである。降りる人間の様子も雑多だ。学生、ビジネスマン、外国人観光客――――。


「消費文明の極致ですね」


 沙也加がぽつりと漏らした。


「それ、いつも言ってるね」


 彼女の悪い癖だと思う。この街並みを見るたびに彼女はこういう賢しらなことを口走る。


「東京なんてどこ行っても消費物ばかりだろうに」

「私だって悪いこととは思ってませんよ。事実を陳列しただけです」


 それは罪にはならないでしょう?

 さて、それはどうだろう。


「事実を言い当てるだけで意味を失うことだってあるだろ。それによって精神的な余裕とか楽しいことが無効化されるかもしれない」

「……確かにその通りです」


 彼女は神妙な顔つきでそういった。

 言っている間に電車は発車し、秋葉原はとっくに向こうへと過ぎ去っている。


「でも苦しみとか悲しみを無効化することだって出来るとブッダは言っていますよね?」

「あいにく僕は仏教徒じゃないからわかんないよ」

「奇遇ですね、私もです」

「じゃ、君は無神論者?」

「強いて言えば神道の信者です。式は神前婚と決めてます」

「それはまた―――そういう相手でも?」

「いませんけど。どうです、干乃さん。思い切って円藤とかになってみません?」

「……返答に困る」

「困るということは中々脈ありですね。良いことです」


 こういうこと言うの、恥ずかしくないのだろうか。

 それとも恥ずかしくないほど僕のことをなど気にもしていないのか。「それより干乃さん」と彼女は先ほどの言葉を忘れたかのように次の話題を差し向けてくる。彼女は揺れる車内でトランクを開くと中から一冊の本を取り出した。


「これ、このカタカムナなんですけど」

「結局それ買ったんだね……何か意外な真実でも見つかった?」

「この本自体にはありませんでしたが。なんと、我らが母校にこのカタカムナについての研究会があるという真実にたどり着きました」

「……はぁ」


 やはり世は末へと近づきつつあるらしい。

 僕の呆れに気づいてか気づかないでか、彼女は熱っぽく自分の知った新情報について滔々と語った。


「旧館に張り出されていたポスターがあるでしょう?講義の合間にあれを眺めるが最近のちょっとした楽しみになっていたんです」

「……まぁ、分かるよ。いかにもアングラを気取った張り紙に溢れてるもんね」


 ここでいうポスターとは各種研究会や部などの勧誘の張り紙のことだった。

下ネタと社会風刺と自虐が入り混じったポスターは痛々しくも楽しい代物たちだった。確かに暇があればあのポスターを眺めて回ってみたいような気もする。ミリタリー研究会やアイドル文化研究会、TCG研究会といったいかにもオタク的なものもあれば、デング熱バケツチャレンジなるアホなことを言い出す研究会、果てにはマルクス研究会なる真っ赤な組織までいくらでもあった。しかもあれらが貼られている旧館は学生運動時代も眺めてきた建造物だというのだから洒落になっていない。


「んで、その中にカタカムナ研究会があったって?」

「正確に言えば超古代日本史研究会と言う名前です。カタカムナ以外にもアラハバキっぽい神様も書かれていましたから、ああいうの総合かも」

 

 アラハバキ、というのも聞いたことはあった。たしか、東北地方に追いやられた蝦夷について書かれた古文書の話だったか。ここでいうアラハバキっぽい神とは、いわゆる遮光型土偶の姿で書かれるものだった。


「アラハバキ、という語に関しては元々はマレビト信仰に纏わる言葉だったそうです」

「マレビト……つまり稀な人ってことか」

「ええ。元は祖先の霊が還ってくる神事だったのが、転じて外からのお客様をもマレビトとして有り難がるようになった、という話ですね。まぁ、私は民俗学の専門ではないので聞きかじりですが……ともかく、アラハバキはこれに纏わる神様と言われていたんです」


 アラハバキは荒脛巾神、とも書く。

 脛、つまりは足の巾の神様。旅人の神様というのも、なるほど、となるネーミングだった。


「私にとっては脛、という点から長脛彦ながすねひこと同一視する説の方が馴染みが深いですね」

「……はぁ」


 彼女の言ったことに今一同意が出来なかった。そもそも、何を言っているのかが分からない。ナガスネヒコ、などというネーミングから日本神話の登場人物か神様らしいのは分かるのだが。


「ナガスネヒコって?」

「あ、知らないんですか。へぇ?干乃さんともあろうものがぁ?」


 煽るような言いようで言う沙也加にムッとしつつも言い返せない。知らないものは知らないのである。悔しいので来年は日本書記に関する講義を取ることにしようか。


「さて、そんな無知な干乃さんに私がざっくり教えてあげますと……日本書紀に出てくる、神武天皇の東征の敵役とでも覚えておいてください」

「……それで、アラハバキの話は?」

「そう!そことも割と関係あるような、無い様な話になっていくんです。元々はマレビト信仰や長脛彦ながすねひこに関する言葉だったアラハバキは、1970年代にされた『東日流外三郡誌つがるそとさんぐんし』によってその意味を飛躍させました」


 曰く、古代日本には機内を収める邪馬台国と九州を収める日向族がいた。邪馬台国を収めていたのが安日彦あびひこ長脛彦ながすねひこの兄弟であり、日向族は台湾の高砂族の末裔である三人の巫女が治めていたという。


「すなわち火を操るヒミコ、水を操るミミコ、地を操るチミコです!」


 熱っぽく語る沙也加の姿と高い濃度を誇る内容に、僕はすでにしてお腹一杯の気分だった。


「どうです、中々お腹一杯でしょう?」

「分かってるんならちょっとは遠慮してくれないかな」

「神武天皇率いる日向族の東征により邪馬台国は征服され、安日彦あびひこは片目を失明し、長脛彦ながすねひこは片足切断されつつも東北へと落ち延びることに成功!」

「あ、まだ続くのね」

「東北ではツングース族に迫害された阿曽部族あそべぞく、中国大陸から追われてきた郡公子の一族、そこに逃げ延びた邪馬台国の一族が加わって混血、荒羽吐族あらはばきぞくを名乗り日向族の朝廷と対決することになったのでした!対決の末に荒羽吐族あらはばきぞくが天皇の座を手に入れたり、また朝鮮半島からきた一族に皇位を追われたり、また取り返したりして、最後には荒羽吐あらはばき族出身の孝謙天皇が即位し以後は万世一系の世となったのでした、めでたしめでたし」

「……それで、証拠は?」

「発見者である和田氏の家の屋根裏の細い梁にこれらの事実が書かれた大量の史料が吊り下げられていたそうです。ちなみそれまで発見されていなかった理由はしかるべき資料館で保存していたのが徳川時代の火事で焼けたから。東北地方の遺跡が証拠となるはずなのですが南北朝時代の津波に呑まれて消え去りました。残念ですね」


 全く残念じゃなさそうな口調であった。これもいつも通り、熱量はあるくせに本当には決して信じていないのがうかがえる語りだ。


「津波で呑まれたなら仕方がないな。アトランティスと同じだ」

「ええ、そうです。プラトン氏もそう言ってます」

「……それで?この話はどこに向かってるわけ?」

「そういう胡散臭いものを奉ずる連中が我らが母校に巣食っているということです、干乃さん。これは由々しい事態では?」


 確かに由々しい事態である。だがそう言われてもどうしようもない。そもそも、僕たちふたりがすでにして胡散臭い会話しかしていない。同じ穴の貉としか言えない。


「つまりは我々のタッグで啓蒙の光を当ててやろう、という提案です。調べたところによると自主祭でも催し物をやっているとか。どうです?」


 自主祭とは僕たちの通う大学の学祭のことだった。そこで彼らが出店か展示かをやっているところに飛び込む、ということのようだった。当然、僕はあまり乗り気ではない。


「乗り込もうって?嫌だよそんなの。オカルトVS啓蒙の光じゃなくて、オカルトの闇とオカルトの闇がぶつかりあう不毛の結果にしかならない」

「いいじゃないですか、化け物には化け物を理論で」

「自分も化け物だって自覚していればいいってものじゃないと思うけどね」

「……でもどうです?自主学祭、一緒に回りましょうよ」

 

 ふと、口説き文句のような調子で放たれた言葉に僕はドギマギとしてしまい、「えっと、そりゃ。まぁいいけど」とつい返事をしてしまった。が、そこで罠に気が付いた。


「決まりですね!相撲部ちゃんこと探検隊カレー、平家うどんとコンボを決めて〆に古代日本史研究会をぶちのめしに行ってやりましょう」


 やはりこうなる。

 僕ははぁ、とため息を吐いた。一緒に笑いが漏れている。正直、悪くなかった。気の合う人間と一緒に行動するのはそれだけでなんだか勇気がわいてくる。彼女がいれば古代日本史研究会相手にディベートを繰り広げても何とかなりそうな気がしてきた。差し当たってそのために正当な古代史でも勉強しておく必要があるかもわからない。が、それも沙也加を誘って一緒に図書室にでも行けばいい話だ。きっと喜んで僕に参考書籍を紹介してくれることだろう。


「じゃ、頼みますよ。無知で蒙昧なワタクシめにお知恵をお授けください。差し当たっては国立博物館で」

「任されました」


 ふん、と胸を張る彼女を頼もしく思いつつ『次は上野~』というアナウンスにふと現実に引き戻された。目的地にたどり着いたのだ。

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