3.僕と彼女と書泉グランデ
その後もまばらに点在する古書店を覗きながら、あれでもないこれでもないと歩き回り、結局書泉グランデにたどり着いたのはもう日が暮れかかった頃だった。
主に新品の書籍を販売する一般書店だが、アイドル写真集や歴史、ミリタリーと言ったテーマでワンフロアを設けているため、細分化したジャンルの本を集めやすいのが特徴であり長所だった。
その中でも僕たちが特に気に入っているのがオカルトコーナーである。
この階には前述の通り、オカルト関連―――いわゆる月刊ムーなどのオカルト誌、宇宙ピラミッドから漏れ出る波動についての独自研究書、UFOや宇宙人についての研究から古代から伝わる伝承に関する研究をまとめた書籍、本だけでなくオラクルカードやタロットなどと言った占い用のカード、果ては仏像などの立体物や、マントラや潜在意識を開放させる音波が仕込まれた音楽が聞けるCDまで、数多くの品ぞろえが揃っていた。
僕はこの空間が好きだ。
元々オカルトというジャンル自体が好きなのだが、この空間は格別だった。それはオカルトを肯定するものも否定するものも、どちらもこの空間には存在しているからだ。例えば宇宙人でも幽霊でもチュパカブラでも良いのだが、こういうものについて語ると必ず『でもそんなものは無いでしょ』と言う人が出てくる。あるいは存在することを前提に斜め上に思考を飛ばすモノや、それを持って現実にある企業や人物に関する批評を行うような人間も出てくる。
0か1か。
存在するか否か。その両者の差は埋め難い。
だが僕はオカルトが実在するからオカルトについて調べたり考えたりするのでは無いし、実在しないことを証明したいわけでもない。それを確定させることは野暮ですらあると思う。
この空間には両方の視点が平等に商品として偏在している。宇宙人、というテーマで並べられる棚を見ても、実在するとするもの、実在しないとするもの、そもそも自分が宇宙人だと言うものもあれば、そういった議論についての歴史をまとめたものまで、何でもでもある。
0と1は同じものにはならないが、0と1が同じ空間には存在しうる。そういう多様性が僕にとって良いと思える理由だった。
ふと、沙也加のことが気になった。彼女はどちらなのだろう。0か1か。それとも0と1を集めることに快感を覚える僕と同じタイプなのか。
「……」
彼女はなにやら真剣に見える表情で棚を眺めている。
「何が気になってんの」
僕が問いかけると、一点を指さした。
「こういうの流行ってますよね」
『カタカムナ文書の謎』と書かれたポップだった。
カタカムナ、というワードが書かれた書籍が並んでいる。
「……カタカムナ?なんだこれ」
「干乃さん知らないんですか。珍しいですね」
「最近の流行りなの?」
「ええ。でも初出は戦前だったはずです。日本軍に所属していた物理学者が地質調査の途中、あるマタギに出会うんです。彼はカタカムナ神社という神社の神主の息子で、そこに奉られていた古文書をその学者に見せてくれたのでした……なんとそこに書かれていた内容は、日本の先史文明についての驚くべき真実だったのです!」
「はぁ」
「曰く日本には漢字伝来以前の文字があり、それがここで語られるカタカムナ文字!ほら見てください、月の満ち欠けのようなこの図形。これがそれです」
パラパラ、と本をめくり僕に円形で配置された文字のようなものを見せてきた。
確かに、月が満ち欠けていくような図形が羅列されている。
「そんなものが流行?末法の世来てんな」
「歴史などよりよほど分かりやすく、ロマンがありますから。この際、やはり実在するか否かははどうでも良いんでしょう」
「円藤さんの立場は?」
「私ですか?」
「ああ。いっつも僕の意見ばかり聞かれてる。円藤さんはどう思うの?」
彼女は口ごもり、うーん、と側頭部に左手を当てた。
「どちらでもない、かな」
「……どちらでも?」
何と言ったらいいのか、何だったかな……と、今度は右手を側頭部に当てて考え込む。
「人間が考えた時点で、すでにしてそこにある。妄想でも想像でも、頭の中には確かに存在する。……この世のものって、結局、原子と電気の働きなわけじゃないですか。人間も、この紙も、スマートフォンも。思考だって、電気信号です。だったら脳味噌の中の出来事と、この世界に遍く出来事。どちらも価値は同じなんじゃないか。だから、この世界の外に、自分の脳味噌の内容が出力されたり……はたまたそれが何らかの形で共有されたりすることだって、無いとは言い切れないかも。現にほら」
スマートフォンを取り出して、僕の前に差し出す。言わんとすることは明白だ。1800年代においてインチキ、ないし精神症として処理されたテレパシーも千里眼も、我々の手元で再現することは可能だ、ということだろう。
「でも歴史の場合、ちょっと話が違ってくるんじゃないか」
「いえ、この場合歴史の方がむしろ分かりやすいとも言えます。幽霊や宇宙人と違って、古文書は自分の手で出力できちゃう。テレパシーなど使わずとも一人を信じさせることが出来ればその時点で、少なくともその人にとって世界の真実は書き換わってしまうわけですから」
円藤沙也加は自分の意見を語る、というよりもどこかで見た教科書の内容をかみ砕くかのように語る。「で、それなんていう哲学?」と聞きたくなる。ただ、すべてを引用として茶化す態度も僕には詰まらない気がした。何より、ちょっと感心してしまったのだ。
「すでにしてそこにある、か」
今度は僕が言葉に詰まる。気の利いたコメントのひとつでも返したいのだが、どうも思いつかない。うーん、と迷って、言葉をねじりだす。
「でも、オカルトは定量化できない。電気と原子は図れるけど、オカルトは計量出来ない。しようとしてきた先人たちが数多くいて、成功したものが科学、失敗したものがオカルトと呼ばれるようになったとも言える。あるかも知れないけど証明出来ない。このカタカムナなんて最たるものじゃないか。証拠が一人の人間からしか出てこないんだから。ならそれは無いと言っていいんじゃないか?現に、僕の前にオカルトは一向に現れない」
僕は会話を続けるために、心にもないことを言った。
繰り返しになるが僕の立場は0でも1でもない。0を否定したいのでも無ければ1を証明したいのでもない。実際に見たことが無いのは確かだが、それが否定も肯定する根拠にもなりはしないだろう。
「……さぁ?どうしてなんでしょうね」
沙也加の返答は「私も不思議で仕方ない」という調子だった。どういう意味にも取れそうな言葉。どうして私の前に現れないのか、どうして僕の前に現れないのか。あるいは……私の前に現れてるけど、どうして貴方の前に現れないのでしょう?
どれであっても、そう違いは無さそうだ。僕の目の前に無いものは、僕の人生には存在しない。未だ僕の人生において、オカルトは0の領域だった。
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