抗魔のアミュレット
翌朝、
「本当に行くんですね……ああ、朝から胃が痛いですよ……」
「もー、幽霊が怖いなんて先生もだらしないですね! そんな陰気な顔してたら余計に寄ってきますよ! ほら、笑って笑って!」
今にも失神しそうなほど顔色の悪いゾフィーとは対照的に、フランシスカはゾフィーに満面の笑みを向ける。そんな彼女の顔を、ゾフィーは
「笑顔で幽霊を退けられる、という明確な証拠があるならばご提示ください。そうすれば納得しましょう」
「ええー? 大人げないなぁ……そんなに怖いっすか?」
「怖いに決まっているじゃありませんか! 魔法が一切通じないんですよ? そんなものを相手にして、恐怖しない方がどうかしています!」
「そうかなぁ? でも、そういう先入観を持ってたら、いつまで経っても怖いままじゃないっすか」
「くっ……」
「そんなに先生をイジメないであげて。それより、パカさんは幽霊が怖くないんですか?」
慌てて間に割って入ったシャルロッテに、フランシスカは首を
「ん? んー、別に怖くは無いかなぁ」
「えー! 絶対ウソでしょ」
「ウソじゃないよ。そりゃあ急に出ていたらビックリするけど、ただそれだけ。っていうか急に出てくるんだったら、虫だって人間だって何だってビックリするじゃん。そうだなぁ、ウチだったら幽霊なんかより、報酬が減らされる方がよっぽど怖いかな」
「いや、それは別の怖さじゃ……」
「ははは、その気持ちは良く分かるな」
苦笑するシャルロッテとは対照的に、フリードリヒは笑いながらフランシスカの意見に同意する。
「僕も駆け出しのころは報酬が貰えなくて、何日も水だけで過ごしたことがあるからね。お金のありがたさは、他人よりも理解していると思うよ」
「さっすが歴戦の退魔剣士様! やっぱ、お金がもらえないっていうのは、何より怖いっすよね!」
「そうだね。それに僕の場合、一度くらい幽霊と戦ってみたいと思っていたんだ。むしろ、願いが叶いそうでウズウズしているよ。ただ、今回は素材を集めないといけないから山を丸裸に出来ないし、その点は少し不安かな」
「え? あ、そうっすか……」
フリードリヒに一瞬だけ親近感を抱いたフランシスカであったが、その感覚は全くの勘違いだということに気付き、彼から視線を逸らした。そんな二人のやり取りにシャルロッテは声もなく苦笑しつつ、腕組みをして白く霞んでいる村の方をじっと見つめる。
「はぁ、それにしてもエルマ、遅いなぁ。何してるんだろ?」
シャルロッテたちが森へ向かわず、村の入り口でダラダラと喋っているのは、エルマとドラクンクルスの到着を待っているためだ。素材集めをするためにはエルマの存在が必須であり、彼女が来ない限りいつまでも出発ができないのである。
シャルロッテの独り言に気付き、三人も揃って村の方へと視線を送る。
「確かに遅いな。村長には話をつけてあるし、準備も昨日のうちに整えておいたはずだが……宿は三人と同じだったはずだよね?」
「え、ええ。私とフランシスカさんは早めに出てしまったのですが、その時はまだエルマは寝ていたと思います」
「そうっすね。ペスのご飯もあったし、シャルちゃんに任せちゃったんですけど。まさか起こさなかったの?」
「いえ、ちゃんと起こしましたよ? まあ、エルマにしては珍しくすぐに起きたので、安心して先に出てきちゃったんですけど」
「……二度寝した、とか?」
「あの子ならば有り得ますね。もう陽がずいぶんと昇ってきていますし……はあ、仕方がありません。起こしに行きましょうか」
そう言って、ゾフィーは深く溜息を吐き、村の方へと足先を向けた。シャルロッテも申し訳なさそうに
しかし、二人が数歩ほど村へ進み始めた時、不意に朝靄の中から一つの人影が現れた。そしてその影は、早朝には似つかわしくない明るい調子で、四人へと声を掛けてきた。
「おーい、みんなー! ごめんなさい、遅くなっちゃいました!」
「この声……!」
「ああ、ようやく目が覚めたようですね」
そう、四人の元へ向かってきたのはエルマであった。ただ、寝坊をしたというのに、エルマはあまりにも呑気な笑顔を向けていた。四人は彼女の無事に安堵しながらも、反省の無い態度に表情を曇らせる。
さすがにこの嫌な雰囲気を察したエルマは、全員の顔が見えたと同時に笑顔を消し、少しだけ口を引き
「あ、あれ? 待たせ過ぎちゃった、かな?」
「遅すぎるよ! もー、なんで二度寝なんかしちゃうのさ!」
「まったくです。無論、あなたを放置してしまった私たちにも落ち度はありますが、もっと反省した態度を見せるべきだと思いますよ」
「ま、寝る子は良く育つって言うけどね。つっても寝すぎでしょ」
「え、えええっ!? ち、違うよ! 二度寝なんかしてないもん!」
三人から一斉に責め立てられ、エルマは慌ててリュックから一つの小さな木片を取り出した。綺麗な装飾が施された、メダルのような木製の小物だ。その中央部には、紫色の小さな結晶が嵌め込まれている。
「これ! これを創ってたから遅くなったの! 寝坊したんじゃないです!」
「……なにこれ、ブローチ? 綺麗だねぇ」
「えー、おしゃれして山を登ろうと思ったの?」
「違うから! これ、村長さんから教わって創った『抗魔のアミュレット』っていう大事なお守りだよ!」
「抗魔のアミュレットぉ? なにそれ」
「なんだって?」
そう言って三人を押し退けたフリードリヒが、エルマの手の中にあるアミュレットをじっと見つめ、感心したように呟く。
「ほう、これは……紋様の形と
「そうなんです。良かったぁ……見よう見まねで創ったから、あんまり自信なかったんですけど。ちゃんと使えそうなんですね」
「使えるとも。これがあれば、低級の死霊系魔物くらいならば撃退できるだろう。さすがエルマさんだね」
「そ、そうなのですか? これがあれば、幽霊など怖くない……と?」
「ええ、ゾフィーさん。ただし、アミュレットは————」
「やったー!!」
「っ!?」
説明の途中にも拘わらず、ゾフィーとシャルロッテは揃って顔を明るく変え、大きく歓声を上げた。特にゾフィーは、今まで誰も見たことがないほど嬉しそうに、重い体を大きく揺らす。
「素晴らしい、素晴らしいわ! これでもう幽霊を怖がる必要性は無いのですね! ああ、無駄に神経をすり減らしてしまいましたよ……まったくもう」
「良かったぁ……でも、そういうことならちゃんと言ってよね! 心配させられる身にもなってよ! ま、思い付きの行動が多いのは、今に始まったことじゃないけどさ」
「う、ごめんなさい二人とも……あれ? なんかわたし、結局怒られてるような……?」
「まあまあ、細かいことは気にしないの!」
「ゔっ」
浮かない顔をしたエルマの背中をバシンと強く叩き、フランシスカはそのままエルマの手を取って歩き出す。
「早く山に行こっ! さっさと素材採ってきて修理しないと、ウチの報酬がなくなっちゃうからね。あ、村の人たちも困ってるしね」
「そ、そんなに強く引っ張らないでくださいよ! 腕が伸びちゃう!」
「いや伸びないから。ほら、三人とも! 早く付いてきて!」
「はいはい。まったくもう」
「ホントに元気ですよね、パカさんって」
エルマたちよりも年齢は上だが、誰よりも活発に動き回るフランシスカと、彼女に振り回されるエルマの姿を見て、ゾフィーとシャルロッテは揃って溜息を吐く。そして、先ほどよりも明らかに軽くなった足取りで、二人はフランシスカとエルマの後を追い始めた。
一方、アミュレットに関する説明途中で口を
ただ純粋に、重要な要件を話しそびれてしまったがために、彼は唇を歪めることとなったのだ。
「失敗したな。こんなことになるなら、先に伝えれば良かったか……」
「何をだ?」
「っ! ……ああなんだ、キミか」
独語を呟く最中、背後から聞こえた声に反応し、素早く振り返ったフリードリヒであったが、すぐに警戒を解いた。何故なら、フリードリヒの前にいたのは彼の良く知る人物だったためである。いや、正確には人ではなく竜だ。
「今回は来ないのかと思っていたよ、ドラクンクルスくん。随分と遅かったね?」
「嬢ちゃんの錬金術に付き合わされたんだよ。ったく、天幕すら片付けねぇで行きやがって。ま、気持ちは分かるけどよ。あんなスゲェ代物を創っちまったんだからな。……んで? なんで退魔剣士様は嬢ちゃんたちを追いかけてねぇんだ?」
「ああ、その件か。……そうだな、キミには話しておくか」
そう言うと、フリードリヒはさらに遠ざかっていくエルマたちを悲しげに見つめつつ、ドラクンクルスへと問いかける。
「抗魔のアミュレットの効果について、村長さんから詳しく聞いたかい?」
「あん? 霊に対して絶大な効果を誇る、最高の対魔道具だって聞いたが。違うのか?」
「そうか。まあ、概ね間違ってはいないんだが……実のところ、抗魔のアミュレットは幽霊に効果が無い」
「は?」
思わず目を丸くするドラクンクルスに、フリードリヒははっきりと告げる。
「抗魔のアミュレットの作用は魔物限定なんだ。文字通り、魔を浄化する効果を持っているからね。幽霊はもともと人間だし、ゾンビやデーモンのような存在とは訳が違う。つまり、あのアミュレットを持って行ったところで、山の幽霊には……」
「なるほど。ってことは、あの勢いのまま山に入って行ったら、嬢ちゃんたちは……」
「人生で最大の恐怖を味わうことになるだろう。とはいえ、真実を伝えればエルマさんの苦労は水の泡だし、ゾフィーさんたちの不安は増すばかりだ。……そこで、だ。キミに一つ、提案したいのだが」
「提案?」
「山の幽霊の正体を、彼女たちよりも先に確認するんだ。本当に幽霊だったならば、彼女たちにバレないように頑張って隠す。もし魔物だったならば、僕たちの手でこっそり打ち倒す。どうかな?」
「……」
あまりにも無謀な提案を聞き、ドラクンクルスは完全に閉口した。しかしフリードリヒの言う通り、事実を伝えれば確実に混乱を招く上に、エルマたちの信頼関係が大きく揺らぐ可能性もある。旅の序盤でギスギスした空気になるのは、どうあっても避けるべきだ。
少しだけ悩んだ後、ドラクンクルスは無言で青空を仰ぎ、溜息交じりに答えた。
「ああ、マジで聞かなきゃ良かったぜ。わかったよ、協力してやる」
「ありがとう。そう言ってくれると思ったよ」
「てめぇ……言っとくけどな、俺様は戦力にならねぇぞ。もし強力な魔物だったら、全力で逃げるからな」
「別にいいさ。その代わり、幽霊だった時は頼む」
「クソが」
こうして、エルマたちの知らないところで密約が結ばれることとなった。朝靄は晴れ、草原は暖かな陽の光に満ち溢れていたが、フリードリヒとドラクンクルスには暗く重たい空気が
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