修復士、フランシスカ・ネオフォルマンス
「はあ、はあ……」
小川から村までの距離は大して遠くないのだが、フリードリヒたちの元へようやく辿り着いたその女性は、両手を膝に置いてポニーテールを顔の前に垂らし、肩で息をしながら言葉も途切れ途切れに語る。
「あの、その子、殺さないで、下さい……お願い、します……」
「は?」
予期せぬ提案を受け、フリードリヒは大剣を下ろした。しかしまだシメーレに対する殺意は消え失せておらず、剣を握る彼の手には力が込められている。
そんなことも知らず、息を整え終えた女性は顔を上げ、フリードリヒに必死の形相で訴えかけた。
「この子は、ウチの大事な相棒なんです。この子がいないと、仕事に必要な物資が運べなくなっちゃう。だから、お願いです!」
「ちょ、ちょっと。まずは落ち着きましょうか」
「そこをなんとか! お願いします、命だけは取らないで!」
「いやだから、落ち着いて?」
なかなか話が通じず、困り果てたフリードリヒはすっかり頭を抱えてしまった。そんな中、村の人々の安全を確認し終え、戻ってきたデニスは目を丸くする。
「やれやれ、こちらの被害はありませんで……おや、フランシスカ殿。どうなされたのですか?」
「え?」
フリードリヒたちが一斉に目を向ける中、デニスはずぶ濡れの金髪女性へ向けて話を続ける。
「橋の修理を依頼していたはずですが、まさかもう終わったのですか? いやあ、飛び込みの営業と侮って申し訳ありませんでした。ここまでの腕を持った職人ということは、フランシスカ殿はさぞかし高名なのでしょうな」
「あ、それは、その……まだ、半分くらいしか終わってなくて……」
「む?」
フランシスカと呼ばれた女性は、もごもごと
「では、なぜここに。まさか、仕事を放棄するつもりではありませんよね。貴女はあの橋を三日で修復する、と
「ひいっ! ご、ご勘弁を! そのようなつもりは、決して!」
「あ、あのー……」
金髪の女性がデニスに土下座をする中、何も分からないエルマは思わず口を挟んだ。
「何かね?」
「えっと、その人は何者なんですか? 橋の修復って言ってましたけど、もしかして……」
「む? ああ、そういえば説明しておりませんでしたな。ほら、フランシスカ殿」
「あ、はい。……コホン」
デニスに促され、顔を上げたフランシスカは小さく咳払いをし、姿勢を正して自己紹介を始めた。
「ウチは修復士のフランシスカ・ネオフォルマンスっていいます。気軽にパカって呼んでくださいね!」
「しゅ、修復士?」
聞き慣れない職種に、エルマとシャルロッテは首を
「あれ? なんだろう、この空気……修復士っていうのは、橋とか建物だけじゃなくって、家具とか鍵とかアクセサリーみたいな小物も修理する、一言で言ったら便利屋みたいなものだよ。今も、あの橋の修復作業中だったんだ」
「へぇー、なんでも直しちゃうんですか! わたしと同じくらいの年なのに、すっごいですね!」
「ああ、だからさっき橋の下から出てきたんですね。そんなにビショビショになっても仕事を続けるなんて、尊敬します」
「ふふーん、でしょ? ま、認定を受けてないフリーランスだけどね」
ようやく望んだ反応を得られ、フランシスカは満足げに微笑むと、そのまま隣で横たわるシメーレへと触れ、優しく撫でた。
「店を持ってないから、自分で荷物を持ち運ばないといけないでしょ? だから、この子と一緒に旅をしながら仕事してるってワケ。この子が殺されちゃうと、ウチも仕事が出来なくなって困っちゃうんだよね」
「うわ、そうだったんですか……」
「危うく退治しちゃうとこだったね……」
エルマとシャルロッテは互いに顔を見合わせ、苦笑する。その一方で、話を聞き終えたデニスは大きく溜息を吐きながら空を仰いだ。
「はぁー、まったく! こんなに大きな相棒がいるなら、依頼をしたときにお話しくださればよかったのです! そうすれば、もっと別の広い場所をご用意したのに」
「すみません。大人しい子なので、迷惑にならないかなって思ったんですけど……今度からは気を付けます」
「完全に取り越し苦労じゃありませんか。この獣を退治していただくため、皆様にはわざわざご足労頂いたというのに、まさかフランシスカ殿の相棒だったとは。これでは私の立つ瀬がありませんよ……」
「はは、いやいや。何事も無くて良かったではありませんか。しかし……」
悲嘆するデニスを軽く励ましつつ、ゾフィーはシメーレを撫で続けるフランシスカへ訊ねる。
「おかしいですね。先ほどの話が本当ならば、あの橋を直せないのでは?」
「へ?」
「っ!」
ゾフィーの素直な疑問に、フランシスカは体を硬直させる。そんな彼女に追い打ちをかけるように、フリードリヒもゾフィーの話に同調した。
「そうですね。
「そ、そうなのですか!?」
「ええ、村長。特に罰則はありませんが、遺産保護の観点から一流修復士を派遣してもらうのが常識です。未認可のフリーランスに任せることは有り得ません。そしてこの規則は、修復士ならば誰もが知っていることかと」
「それはつまり……」
エルマたちに向けられた視線とはまるで正反対の、非難するような目を向けられてフランシスカの顔色はどんどん青白くなっていく。そして耐え切れなくなった彼女は、唇を震わせながら自白した。
「ご、ごめんなさいっ! どうしても、お金が必要でして、つい……」
「それはつまり、騙した、ということですか?」
「い、いえ! その、規則のことは良く知っていたんですけど、この程度だったらウチでも直せそうだなって思って、それで……」
「よくも騙しおったな! 橋がこれ以上壊されぬうちに、とっとと追い出してやる!」
「お待ちください村長。なるほど、あの橋が直せそうに見えたのですか。ふむ……」
フランシスカの弁明を聞いた途端、フリードリヒの表情は真剣なものへと変わった。そして憤るデニスを制しつつ、彼は懐から小さなアクセサリーのようなものを取り出した。
「えっと、これは一体?」
「州都の地下遺跡から発掘された鍵なんだけど、見ての通り折れてしまっていて使えない。以前、これの修復を一流修復士に依頼したのだが、手に負えないと言って返されたんだ。未知の金属が使われているからと言ってね」
「は、はぁ」
すると戸惑うフランシスカに、フリードリヒはその鍵を手渡した。
「これ、直せるかい? できたら、半日以内に」
「な、何を仰るのですか!? 退魔剣士様、こやつは認可も受けていない修復士だと、先ほど……」
「お静かに。どうかな? キミがもし本当にあの橋を直せると思うなら、これだって直せてもおかしくないだろう? まあ、無理にとは言わないけどね」
「……これは、そうだなぁ」
渡された鍵をじっと眺めたフランシスカは、少しばかり考え事をした後、作業用の腰巻バッグを開けた。カバンは防水性が高いようで、ずぶ濡れの彼女が身に着けていたとは思えないほど、中に一切水が染みていない。
そして彼女はバッグの中から小瓶と小汚い布を取り出し、小瓶の中の液体を布に浸した後、一切
「それは?」
「溶解剤。鍵みたいな精巧な小物だと、高温溶接させちゃうと歪んで使えなくなるから、こうして元の金属を溶かしてくっつけるんだ」
「と、溶かしちゃうんですか? それ、マズいんじゃ……」
「ううん。鍵に必要なのはこの先端部分だけ。だから、他の部分は多少削っても問題は無いの。あとはこうして、ここをくっつけて……うん、こんな感じかな」
フリードリヒから依頼されて、半日どころか数分しか経過していないというのに、フランシスカは預かった鍵を新しい布の上に置き、平然とした表情で言う。
「あとは、このまま乾くまで放置すれば終わり」
「え、終わったのか?」
「うん。なじむまで半日くらいはかかるけど、作業はこれで終わりだね。あ、それまでこの鍵には触れないでね。歪んじゃうし、溶解剤が着くと溶けるから」
「ほ、本当に終わったのかね? 一流修復士が
「むしろ、この程度のものを直せないなんて、どうかしてますよ。ウチの師匠だったら、きっと破門されちゃいます」
「ほぉー……これは恐れ入った」
「ふむ、なるほど。キミの腕は充分理解した。しかし……」
改めて、元の形状を取り戻した鍵をしげしげと眺めつつ、フリードリヒは眉間に皺を寄せる。
「これほどの腕を持ちながら、なぜ正規の認定を受けていないんだ? これならば、すぐにでも合格できるだろうに」
「それなんですけどねぇ。技術はもちろんなんですけど、認定を受けるには筆記試験をパスするか、多くの実績を証明しないといけないですよ。でもウチ、筆記は苦手で。だからこうして、各地を回って色んなものを修復してるんです。あと、申請費用も200クラム必要なので……」
「ああ、そういうことか。実績も集めつつ、お金も稼いでいる、と」
「そうそう。で、どうなんです? 引き続き橋の修理をしちゃっても良いですか?」
「まあ、これほどの腕ならば問題ないだろう。どうですか、村長」
「うむ、断る理由などなかろう。退魔剣士様のお墨付きもあることだし、是非ともお願いするよ。さっきは済まなかったね」
「いえいえ! ウチだって、騙してたようなものですから、お相子ですよ。それじゃ、また仕事に戻りま……」
村長デニスから謝罪と、再度の依頼を受けて意気揚々とフランシスカは立ち上がった。そのまま、シメーレの背中の辺りを探り始める。だが、そこで彼女の動きは止まった。
不意に動きを止めたフランシスカを見て、瞬きしながらエルマが訊ねる。
「あれ? どうしたんですか、パカさん」
「……ない」
「え?」
硬直したフランシスカは、わなわなと手を震わせて叫んだ。
「道具が、全部なくなってるー!!」
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