新しい厄介事?

 焼け焦げて黒煙を上げるアーチの横を通り、シャルロッテとフリードリヒも村の中へと足を踏み入れる。シャルロッテは晴れ晴れとした表情を浮かべているが、一方のフリードリヒは頭を悩ませていた。


 それというのも、結果的にではあるが、彼らは村のシンボルの一つであるアーチを破壊してしまったのだ。それも、正式な依頼を受けた訳ではないので、この責任の所在はフリードリヒにある。金銭的な問題はもちろんのこと、修復作業についても彼が責任をもって考えなければならない。


「はあ、本当にどうしたものかな」

「すみません、フリッツさん。ここまで強力な魔法だとは思ってなくて」

「ああ、いや……」


 フリードリヒの表情と、焼け焦げたアーチを目にしたシャルロッテは気まずそうに謝罪の言葉を口にする。しかしフリードリヒは小さく首を振り、シャルロッテの頭に軽く手を置く。


「気にすることは無いさ。さすがに想定外だったけど、これで村の危機は一つ救えた訳なんだからね。魔法の制御方法とか、そういう細かいことはゾフィーさんから追々でも教われば良いさ」

「そうですね。もう少し弱い魔法も教わろうと思います。あ、あと」


 そう言うと、シャルロッテは不意に立ち止まり、崩れるように膝をついた。


「どうしたんだ?」

「すみません。全力でやり過ぎちゃったみたいで、もう一歩も動けないです……」

「ああ、そういうことか。本当に仕方のない子だね。よいしょっと」

「え? うわわっ!」


 崩れ落ちたシャルロッテをフリードリヒはいとも簡単に抱え上げ、そのままお姫様抱っこをした。慣れない姿勢に慌てるシャルロッテであったが、抵抗する力は残っておらず、恥ずかしそうに顔を手で覆う。


「あ、あの。本当にすみません、重い、ですよね?」

「いやいや、キミたちなんかいくらでも抱えられるよ。今は余計なことなんか気にせず、しっかり体を休めなさい。無理をしてもロクなことにならないからね」

「はい、すみません……あ、そうだ。キミたちってことは、ゾフィー先生も簡単に持ち上げられるんですか?」

「え? いや、えっと……コホン。だから、余計なことは気にしないように。いいね?」

「ふふっ、はーい」

「まったく、口だけは元気なんだな……」


 すると溜息をいたフリードリヒへ目掛け、笑顔のエルマとゾフィー、そして複雑な表情のデニスが近づく。


「シャルー! すっごい魔法だったね、やっぱりシャルはすごいよ!」

「無事に終わったようですね。しかし、やはり魔力切れを起こしましたか。もう少し低級の魔法の方が良かったでしょうか? まあ、とにかくよく頑張りましたね、シャルロッテ」

「あ、ありがとう。なんか恥ずかしいなぁ」

「本当に素晴らしい魔法でした。し、しかし……」


 口々にシャルロッテへの賛辞を贈る二人の横から、デニスが前へと進み出て不安そうにフリードリヒへ問いかける。


「これであのシメーレという化物は、本当に退治できたのでしょうか。もちろん、あれほどの雷を受けても平然とする生物など見たことはありませんが、あれは幻想種なのですよね? ならば……」

「ええ。竜と同じであると考えれば、魔法に対する耐性を得ていても、何ら不思議ではありません。なので、まずはこの子を宿屋のベッドに寝かせてから、しっかりと仕留めようと考えています」

「おお、左様ですか。ならば安心です」


 デニスはホッとした様子で胸を撫で下ろす。それと共に、遠巻きにフリードリヒへと目線を送っていた村人たちにも安堵の輪が広がり、静かな村に活気が戻っていく。飼われているセルカリアリントも、人間たちに呼応するようにモーモーと鳴き出した。


「しかし申し訳ない。予定が狂ってしまい、あの大きなアーチも壊してしまいました。修理費は全額お支払いしますので、後ほどゆっくりお話ししたく」

「いえいえ! あの程度の損害なら安いものです。ただ、そうですね……あれほど真っ黒こげだと見栄えもよくありません。修理費は要りませんので、その代わりに片付けのお手伝いをお願いしてもよろしいでしょうか? そちらの方が、労働力の無い我が村にとっては非常に助かります」

「そうですか? そんなことで良いならば、喜んで致しますが……本当によろしいのですか?」

「ええ。あのアーチは毎年の嵐で倒壊するので、いつものことなのです。お気になさらず……おや?」


 そう言いかけたところで、デニスは黒く焼けたアーチの方をじっと見つめ、眉間に皺を寄せた。


「どうしましたか?」

「いえ、なんでしょうね……今、アーチが動いたような?」

「アーチが?」


 突拍子もない発言に、フリードリヒだけでなくエルマ、ゾフィーもアーチの方へと視線を送る。すると確かに、黒い物体が僅かながらも動く様子が全員の目に映った。ただし、動いていたのは焦げたアーチではなく、倒れたはずのシメーレであった。


「う、うそ!?」

「くっ、まだ動けたのか! すみません、彼女を————」


 急いでシャルロッテの身をゾフィーに預けようとするものの、よろめきながら立ち上がったシメーレはすぐさまエルマたちの方へ向き、大きな口を開けた。


「グオオオオン!!」

「きゃっ!」

「くっ!」


 けたたましい咆哮に気圧けおされ、全員の身動きが止まる。村人たちもセルカリアリントも、まるで感電したかのように全身を強張らせた。


 そしてビリビリとした空気の振動が止んだ瞬間、再び開かれたシメーレの口から、眩い光を放つ炎の塊が勢いよく噴射された。青白い巨大な人魂のような火焔は、一直線にエルマたちへと向かっていく。


「ひっ!」

「くそっ!」


 攻撃には反応したフリードリヒだが、動けないシャルロッテを放り投げる訳にもいかず、対処することが出来なかった。徐々に近づく業火に、全員はもはや目を閉じて衝撃に備える以外、どうすることも出来ない。


 だが、その時————


「目ぇつむっとけよ!」

「え……?」

「おりゃあっ!!」


 エルマのリュックから飛び出したドラクンクルスが、迫り来る火焔弾の前へと躍り出て、長い尻尾を勢いよく振って火焔を打ち返した。はじけ飛んだ火焔は、シメーレとエルマたちの間に落ち、激しく周囲の雑草を燃やしてゆく。


「へ?」

「何してんだ、早く火を消せ!」

「え、あ、うん! 先生、お願いします!」

「そうね! 大気よ、消え失せたまえLor ehpoc ot, Enim ativ!」


 呆気にとられつつも、ゾフィーは冷静に延焼を防ぐ魔法を使った。炎の勢いが徐々に弱まる中、エルマはドラクンクルスの元へと血相を変えて駆け寄る。


「クルちゃん! だ、大丈夫!?」

「心配いらねぇよ。頑丈なウロコがあるから、炎には割と強いんだ。それよか、シメーレを警戒しなくて良いのかよ?」

「あっ!」

「……大丈夫だ。どうやら、あの一撃で完全に力を使い果たしたみたいだよ」


 フリードリヒの言う通り、先ほどまで起き上がっていたシメーレは再び地に伏せ、もはや息も絶え絶えといった様相である。これ以上、何らかの抵抗を行なえるような状況ではない。


「はあ、良かったぁ……」


 その場にへたり込んだエルマは、一仕事終えて大きく伸びをするドラクンクルスに話しかける。


「助かったよぉ、クルちゃん。もうダメかと思ったぁ……」

「僕からも礼を言わせてくれ。本当にありがとう。さすが竜種、頑丈だね」

「ケッ、持って生まれたものを褒められたって嬉しかねぇよ」


 そう言いつつも、照れた様子でそっぽを向くドラクンクルスに、エルマは問いかける。


「そういえば、すっごくいいタイミングで出てきたね。どうして炎が吐き出されるって分かったの? リュックの中にいたのに」

「あん? そうだな……シメーレってのは、炎を吐く前に吠えるヤツが多いんだよ。アイツらとは長い付き合いだったからな、なんとなく覚えてたんだ」

「えっ、そうなんだ。長い付き合いって、幻想種の会合みたいなのがある、ってこと?」

「んなワケあるか! 単純に長命の生物同士、遭遇する機会が多かったってだけだ。コミュニケーションは取れねぇし、幻想種ったって、お互いに仲間意識なんか持ってねぇよ」

「へぇ……?」

「そうか、それなら」


 ドラクンクルスの話を聞き、フリードリヒは真剣な眼差しでシメーレを見つめ、大剣を手に取る。


「キミの前でシメーレの首を落としても、特に異論はないんだね?」

「フリッツさん……?」


 強い殺意の波動を放つフリードリヒに、ドラクンクルスは特に意に介することもなく淡々と言い放つ。


「ああ、好きにしろよ。前にも言った通り、この世界は弱肉強食。仲間だろうが親兄弟だろうが、そいつだけは変わんねぇ。人間にとって邪魔な存在なら、さっさと殺してやったらいいさ」

「う……」

「そうか。それじゃあ、遠慮なく排除させてもらおうかな」


 そう言って、フリードリヒは静かにシメーレの元へ向けて歩を進める。ゆっくりとではあるが、彼の周囲だけ時間が停止してしまったかと錯覚するほど凍てつく殺気を放ちながら、一歩ずつ近づいてゆく。


 フリードリヒの背中から目を離せないでいるエルマに、ドラクンクルスは優しく語り掛ける。


「嬢ちゃん、あんま見ない方がいいぜ。きっと寝られなくなっちまう」

「う、うん。でも、なんとなくだけど、目を逸らしたらいけないんだと思う。こういうのもちゃんと見て、色んなことを学んでいかないといけない。そういう気がする」

「そうか? まあ、自分でそう決めたんなら好きにしな」

「……」


 それから間もなく、シメーレの元へ辿り着いたフリードリヒは剣を空高くに掲げた。そして、シメーレの首元目掛けて音もなく刃を振り下ろす。その一挙手一投足を瞬きもせず見つめるエルマの手には、知らず知らずのうちに力が入り、唇も硬く結ばれる。


「……!」


 だが、その切っ先がシメーレの厚い衣を裂こうという刹那、どこからともなく聞こえてきた女性の大きな声が、周囲一帯に響き渡った。


「待ちなさーい! やめてー! 切っちゃダメー!!」

「っ!?」

「はぇ?」


 誰もが驚き、その声のする方向へと一斉に視線を向ける。そこには、なぜか全身ずぶ濡れ状態のままポニーテールを揺らし、全力でフリードリヒの方へ向かう長身の女性の姿があった。

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