マンソン村の魔物

 しばらく歩き続けると、彼女たちは小さな川に出た。幅も狭く、一見すると何の変哲もない小川なのだが、木製の大きな朱色の橋が架けられている。しかし相当年季が入っているらしく、欄干らんかんのあちこちが崩れており、この橋を渡る方が危険なのではないか、と思わせるような代物であった。


「あ、あのぉ。もしかして、ここを通るんですか?」


 不安げに訊ねたエルマに、村長デニスは小さく笑いながら答える。


「ほっほっほ、心配しなくとも良いぞ。この『向都ムコイド』という橋は有史以前より、この川に架かり続けているのだ。見てくれこそ悪いが、シュード・アレシェリア村にあるミレリーと同じく、古代の遺物なのだよ」

「古代の!? へぇー、すっごいですね!」


 村自慢の橋を褒められ、緊迫した状況下であるというのにホクホク顔のデニスは、ゆっくりと橋を渡りながら昔話をし始める。


「ほれ、橋の真ん中あたりを見てみなさい。大きな傷があるだろう? あの傷は、かつて竜と人間が世界を滅ぼしかけた時に出来たとされるものでな。何度も修繕計画が立ったのだが、この橋は幾度の氾濫にも耐えてきたのだ。それゆえにあえて手を加えず、このまま保存しておる」

「あんなに大きな傷があるのに? 不思議ですね」

「うむ。しかし、このところは妙に劣化が進んでいるようでな。以前は牛車が何台通ろうとも物ともしなかったのに、ほれ」


 そう言うと、デニスは欄干に軽く手を触れる。途端、ぎしりと軋む音が響き、塗装の一部がはらはらと剥がれ落ちた。


「ワシのような非力な者が触れても、この有様なのだ。州都へ行くには、この橋を渡らねばならんのだが、これでは安心して渡ることが出来ん」

「確かに。以前私が訪れた時よりも、状態がかなり酷いですね。修復の依頼は出されたのですか?」

「もちろんですとも。しかし修復屋に依頼をした矢先、物見櫓は崩れるわ、大型の魔物はやってくるわ……まったく、不幸というヤツは容赦がないわい」

「なるほど、それは大変でしたね。でもご安心ください。その悩みの一つは、すぐにでも解決するでしょうから。いえ、解決させてみせましょう」


 自信をたぎらせ、静かに微笑むフリードリヒの言葉に、安心しきった様子のデニスは軽く息を吐き、スッと指で指し示す。


「深く感謝申し上げますぞ、退魔剣士殿。さて、そろそろ見えてきましたな。あれが我がマンソン村でございます。そして————」

「ひっ!」

「……!」


 向都橋を渡り切った一行の前に、マンソン村の入り口である大きな木製のアーチが現れる。そして同時に、アーチの脇で眠る獣の姿も彼らの目に映った。


 立派なたてがみ、大きな牙、鋭い爪。それだけでも一般人にとって脅威であるのに、エルマ一人くらいならば丸のみ出来そうなほどの体躯をしている。眠ってはいるが、それでもこの魔物の姿を見て恐怖しない人間はそういない。


 声にならない悲鳴を漏らすエルマたちとは対照的に、フリードリヒは冷静に獣の姿を凝視し、デニスへと確認する。


「ほう、随分と大物ですね。あれが件の魔物ですか?」

「ええ。あのように、村の入り口でずっと眠っているのです。そして、聞こえているでしょうが……」

「ええ、とても煩わしいいびきですね。これでは村人たちも安眠できなかったでしょう。早く退治しないと、本当に大事になりそうだ」

「そ、そうですね。でも寝てるみたいだし、フリッツさんならギリギリまで近づいて、一撃で倒せるんじゃ?」

「うーん、それは難しいかな」


 大剣は構えずとも、視線を一切獣から逸らすことなく、フリードリヒは語る。


「あれは正確に言うと魔物じゃない。竜と同じ幻想種の、シメーレという生物だ」

「幻想種?」

「ああ。実際に見るのは初めてだけど、獅子レーベのような顔に山羊ツィーゲのような体、それに尾はシュランゲ……間違いなくシメーレだろう。これは厄介だな」

「それって、とっても強いってことですか?」

「いや。竜ほどの知能は無いし、大きさ的に幼体だと思うから決して強い訳じゃない。問題は、口から火を吐き出すって点だ」

「火を!?」


 その情報を聞いた途端、エルマたちは一斉に後退あとずさる。特にデニスは大慌てとなり、顔面を蒼白く変えた。


「そ、そんな! 火なんか撒き散らされたら、それこそ我が村はお終いだ! ど、どうにか火災だけは起こさないようにお願いします!」


 マンソン村の多くの家や牛舎は木造である。そのため火の粉が少しでも降りかかれば、甚大な被害を受けることとなる。シメーレの退治に成功しても、家がすべて焼失したのでは意味がない。故に、図々しいことは自覚した上でデニスは懇願したのだ。


 だが、彼の願いを聞いてもフリードリヒは頷かず、渋い顔をしたまま大剣へと手をかける。


「もちろん善処しますけど、約束は出来ませんね。とりあえず消火の準備だけ進めておいてください。ゾフィーさん、水系魔法は得意ですか?」

「い、いえ。水の壁は作れますが、せいぜい私の前に張れる程度ですので、村全体を守るには……」

「そうですか。では、やはり火を吐かせないようにするしかありませんね。そうなると……」


 そう言うと彼は僅かに思索し、エルマたちに指示を出す。


「エルマさんとゾフィーさんは村の中へ入り、消火に備えてください。シメーレを起こさないよう、静かにお願いします。態勢が整い次第、シャルロッテさんの魔法でシメーレを牽制し、その間に僕が仕留めます。村を守るには、これが最善策でしょう。よろしいですか?」

「私が……」


 重要な役目を与えられ、シャルロッテは表情を一気に硬くする。そんな彼女の表情の変化に気付かず、ゾフィーは大きく頷いて狼狽うろたえたままのデニスを軽く小突く。


「承知しました。では村長殿、腹を括ってください。こうしなければ、いつまでもこの問題は片付かないのですからね」

「うう……分かりました。頼みましたぞ、退魔剣士殿!」


 指示通り、ゾフィーとデニスは忍び足で村へと向かう。エルマも二人の後に続いて歩を進めたが、ふと立ち止まって振り返り、シャルロッテへ向けて力強い視線を送る。


「シャル、頑張ってね! 絶対にできるよ! それに、何かあったってフリッツさんがどうにかしてくれるから、安心してね!」

「おいおい……」

「……うん、ありがとう」


 そう言って笑い返したシャルロッテの顔をじっと見つめ、エルマは改めて村へ向かっていった。残された二人は、草原の爽やかな風と地響きのようなシメーレの鼾が轟く中、戦いに備えて集中力を高める。


「よし。準備は良いかな、シャルロッテさん」

「は、はい。いつでも大丈夫です」


 先ほどの強張りは消え失せ、すっかりリラックスした様子のシャルロッテに、フリードリヒは小さく微笑みかける。


「良いお友達を持ったね。エルマさんのこと、大切にするんだよ」

「分かってますよ。っていうか、私が見てないと危なっかしくてしょうがないですから、エルマは」

「ははは、そうか。さて、それじゃあ……ああ、そうだ。何の魔法を使うつもりなのかな? 道中、ゾフィーさんに教わっていたみたいだけど、僕も一応知っておきたい」

「ああ、そうですよね。えっと」


 フリードリヒの質問に、シャルロッテは構えを解いて答える。


落雷の豪雨ブリッツシュラーク・レーゲングスっていう魔法です」

「ん?」

「標的の周辺にたくさんの雷を落として攻撃する雷系高位魔法らしいです。先生が使うと、十発くらいの雷を落とせるそうなんですけど、私の魔力量だと二十発くらいは落とせるみたいで」

「いや、ちょっと?」

「命中率は低いんですけど、さすがにあれだけ大きい相手に二十発も打てば、きっと当たると思います。雷が当たったら、すぐにフリッツさんがとどめを刺すんですよね? 頑張ってくださいね! 私も、出来る限りたくさんの雷を降らせますので! では、行きます!」

「え————」


 張り切ってそう言ったシャルロッテは、唖然とするフリードリヒに気付かず杖を構え直し、問答無用で呪文を唱え始めた。


来たれ数多の雷、我は其の鉄槌を汝に与えんRot allir bifed, Lanre txed et amotua!!」


 その刹那、シャルロッテの握った杖先から黄金色の光球が空へと放たれ、青空を突き刺した。そして、みるみるうちに空は黒雲に包まれ、眩い光と轟音を伴った一閃が、シメーレの周辺へと降り注いだ。


 無数の雷がシメーレと、ついでに村の大きな木製のアーチを貫いてゆく。相当なダメージを受けているはずだが、雷の音にかき消され、悲鳴を上げているはずのシメーレの声は聞こえてこない。それ故に、シャルロッテはシメーレがすでに戦闘不能状態に陥っているということに気付かなかった。


 地獄のような光景を目の当たりにし、呆然とするフリードリヒにシャルロッテは笑顔で叫ぶ。


「さあ、今です! フリッツさん、早くとどめを!」

「いや……」

「何を躊躇ためらってるんですか! 早くしないと、牽制の意味がなくなっちゃいますよ!」

「いや、そうじゃなくて。よく見て?」

「え?」


 フリードリヒに諭されシメーレの方を向いたシャルロッテは、ようやく事態を把握した。それと同時に雷の雨は降り止み、シメーレの地に倒れる大きな音が地鳴りのように伝わった。ついでに、木製のアーチもメキメキという嫌な音を上げて崩れ落ちた。


「あ、あれ?」


 目を丸くするシャルロッテに対し、フリードリヒは顔を引きらせて口を開く。


「なんていうか、キミも相当危なっかしい子だよね。エルマさんのこと、あまり言えないんじゃないかな……」

「う……そ、そうかも知れません。すみません、ちょっと調子に乗っちゃって」

「いや、それは良いんだけどさ」


 黒雲が去り、再び暖かな陽光が差し込む中、まるで極寒の地に薄着のまま辿り着いたかのように、フリードリヒは大きく体を震わせて呟く。


「さぁて。この後の処理、どうしたものかな……」

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