魔物退治へ

 マンソン村の村長デニスに案内され、エルマたち一行はセルカリア平原を北に向かって進む。また、ボレリア森林に戻るはずだったフリードリヒも、村に現れた魔物討伐のために再び同行することとなった。


 森からマンソン村までは、大人の足で二、三時間程度だ。それに加え、足場の悪く危険と隣り合わせだった森の中をさんざん歩き回っていたエルマたちには、この程度の道のりならば朝飯前である。


 ただ、村が魔物による被害を受けていると聞いているため、エルマとシャルロッテの表情は硬いままであった。そんな二人の様子を見かねて、ゾフィーは村長デニスへ別の話題を振る。


「ええと、村はこの先の小川を越えた辺りでしたね。それと、村の前には高い物見やぐらがあったと記憶していますが、今も変わっていないのでしょうか?」

「おお、よくご存じで。しかし残念ながら、物見櫓は数か月前の嵐で倒壊してしまいまして、今は復旧作業中だったのです。もしや貴女は以前、村にお越しいただいたことがあるのですか?」

「ええ。マンソン村よりも遥か先、オンコセルカという汽水域にあるサリバリウスという遺跡を調査した折に、一度だけ。村の皆様にはとても良くしていただきましたので、とても印象に残っています。このような形ですが、また行くことができて嬉しいですよ」

「それは良かった。なかなか村外から人が来ることはありませんので、粗相が無かったかどうか心配していたのですよ。そう言っていただき、こちらも嬉しい限りです」


 二人の他愛のない和やかな会話に、少しだけ緊張感の解れたエルマとシャルロッテは、こっそりと言葉を交わす。


「さっきはお肉の話しかしてなかったのにね」

「ね。なんか、この旅でゾフィー先生の印象が変わっちゃった。先生も、やっぱり人間なんだなぁ」

「そうだねぇ」


 本来の意図とは異なる形だが、二人の緊張の糸が弛緩したことを視認したゾフィーは、改めて村に出現した魔物に関する情報を聞き始める。


「魔物の正体は分からないという話でしたが、それはつまり、この周辺に出現するような魔物ではないということでしょうか?」

「え、ええ。このへんの魔物でしたら、村の男が三人もいれば充分倒せます。ですが家よりも大きく、鋭い牙を持った魔物は初めてでして。今のところ、実質的な被害は無いのですが……そうは言っても、さすがに恐ろしくて」

「家よりも大きく、鋭い牙を持つ、ですか。それは確かに恐ろしいですね。フリードリヒ様、今のところ魔物の正体についていかがお考えですか?」


 少し悩んだ後、ゾフィーはフリードリヒへ問いかける。だが、彼は小さく唸り声を上げながら肩を竦めた。


「今の話だけでは何とも。しかし、今のところ被害が無いというのは気になりますね。それほど大型の魔物が家畜を食っても畑を荒らしてもいない、ということですよね?」

「そうなのです。村の入り口に居座り、大きないびきをかいて寝ているようなのですが……見た目にも恐ろしいですし、いびきが村中に響いて家畜たちも怯え切っているのです。これでは、直接の被害はなくともいずれ、何かしらの問題が起きるのは明白だろうと」

「そうですよね。強いストレスが与えられると、特に畜産物の品質は大きく低下するでしょうから。でもご安心ください、その魔物の問題はすぐに片付けてみせますので」

「おお、なんと有難い。し、しかし……」


 フリードリヒの心強い言葉に、村長はホッと胸を撫で下ろしつつも、バツの悪そうに口を開く。


「ええと、その……依頼を出せるほど、我が村は豊かではなく……正式にご依頼するのは、魔物を見ていただいてからでもよろしいでしょうか?」

「ほう、見てからですか」


 退魔剣士に魔物討伐の依頼をすると、非常に莫大な金額が発生する。マンソン村のように、ここ最近になって産業面で活性化したような村では、最も階級の低い退魔士を雇うのが精いっぱいであった。


 フリードリヒが直々に討伐してしまうと、村の財政は破綻する。しかし、魔物を放置していても村は崩壊する。そのジレンマにより、村長は不可思議な願いを申し入れたのだ。


 だが、村長の話を聞いたフリードリヒは小さく笑った。


「その必要はありませんよ」

「へ?」

「実は僕、今は休暇中の身なので正式な依頼は受けられないんです。だからこれは、僕が休みの間に遭遇した私的なトラブルとして扱います。もちろん、お金は結構ですよ」

「そ、そんな! 私は別に、そういうつもりで申し上げた訳では……!」

「いえいえ。困っている人間を助けるのが、僕たちの仕事ですから。しかし、どうしても支払いたいというならば話は別ですけどね」

「……よろしいのですか?」

「もちろん。ああ、そうだ」


 すると、フリードリヒは後方を歩くエルマたちへ軽く目を遣り、逆に村長へ願い入れる。


「この子たちに、食事と宿を提供していただけますか?」

「ええっ!?」


 突然の提案に、エルマたちはもちろんのこと、ゾフィーも目を丸くする。一方のフリードリヒは特に意に介する様子もなく、笑顔のまま村長へと話を続ける。


「この方たちはボレリア森林を何日も歩いているので、かなり疲れているんです。今はとにかく、安心して寝られる場所が欲しいはずなので。あと、ちゃんとした栄養もですが」

「あの森林を!? そりゃあまた、どうしてそんな無茶なことを」

「詳しい話は控えますが、もし魔物の討伐に成功したら、是非とも前向きに検討いただければ。ちなみに僕はすぐに森へ戻るので、僕のことはお気遣いなく。その代わりに、どうかお願いします」

「は、はぁ……そのくらいならば、いくらでも。いやはや、あなた様はなんと心の広いお方だ。さすがは退魔剣士様ですな」

「本当に。この御恩は、どうやってお返ししたらよいか……」

「感謝するのは早いですよ、ゾフィーさん。それに、何も僕は一人で魔物を片付けるとは言っていませんから」

「え?」


 そう言うとフリードリヒは立ち止まり、振り返って少しだけ悪戯っぽく微笑みながらエルマたちに告げる。


「四人……いや、三人にも討伐のお手伝いをしてもらうよ」

「え、えええっ!?」

「難しいことはないさ。魔物を見つけたらすぐに作戦を立てるから、その通りに動いてくれればそれでいい。絶対に前線には立てさせないし、それに……」


 フリードリヒはエルマの背負うリュックを一瞥し、言葉を付け加える。


「信頼を得るには、こうするのが一番手っ取り早い。いつまでもそうしている訳にはいかないからね」

「……なるほど、そういうことですか」


 フリードリヒがエルマのリュックを見たのは、その中にドラクンクルスが隠れているためだ。普通の人間では竜種と魔物の区別がつかない上に、むしろ魔物よりも竜種の方が恐れられている。故に、彼は堂々と姿を見せることが出来ない。


 だが、ドラクンクルスが人間とコミュニケーションを図れること、さらに人間に協力する存在だと知られれば、マンソン村の中だけでも彼の自由は約束される。だからこそ、フリードリヒは無謀にも思える発案をしたのである。


 彼の発言の真意に気付いたのは、残念ながらゾフィーだけであった。しかしそのゾフィーでさえも、エルマとシャルロッテが戦闘に加わることについては否定的なようで、険しい表情を見せる。


 そんな中、魔物討伐に対し強い意欲を示したのは、驚くことにシャルロッテだった。


「分かりました! でも手伝うだけじゃなくて、私の魔法でやっつけたいです!」

「ちょっとシャル!?」


 驚くエルマをよそに、フリードリヒへと歩み出たシャルロッテは強く言い放つ。


「私、もっと役に立ちたい。森ではダメダメだったし、このままじゃ辛いんです。だから、私に任せてくれませんか?」

「……何か、策はあるのかな?」

「いいえ。でも、私には『絶対術感』があります。使えそうな魔法を教えてくれたら、それだけで大丈夫です。だから、お願いします」

「ふーむ……よし」


 必死に懇願するシャルロッテの姿を見て、フリードリヒは小さく頷きながらゾフィーへと問いかける。


「ゾフィーさん、彼女の能力は確かですか?」

「え、ええ。体力さえつけば、魔術学院の主席にもなれる素質はあるかと。しかし、あくまでも私の主観です」

「なるほど。なら、試してみる価値はあるか。それじゃあ、僕はサポートに回るとしよう。もし危なくなってもすぐにフォローするから、全力で挑んでくれ。もちろん、相手を見てからだけどね?」

「は、はい! ありがとうございます!」

「まったく、こんなワガママを聞いたのは初めてだよ」


 そう言って苦笑いを浮かべるフリードリヒに、ゾフィーは不安げに耳打ちする。


「あの、本当に大丈夫なのでしょうか?」

「ん? ああ、もちろんです。僕の頑丈さはよくご存じでしょう?」

「それはそうですが……シャルロッテの魔法が暴発した場合、エルマの起こしたものとは比較になりません。場合によっては、マンソン村が消し飛ぶかも」

「……」


 衝撃的な情報に、フリードリヒは少しばかり凍り付く。だが、すぐに諦めにも似た笑顔を浮かべ、小声で返す。


「そうなっても、頑張って防いで見せますよ。もちろん、根拠はありませんが」

「……では、なるべく威力の低い魔法を教えることにしましょうか」

「是非そうして下さい。お願いします」


 草原の柔らかく暖かな風が吹く中、二人は荒涼な砂漠に取り残されたかの如く、乾いた笑い声を上げた。

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