3rd recipe

森を抜けた先に

 それから二日ほど、エルマたちはフリードリヒを先頭に、ボレリア森林を突き進んでいた。ライム湖で得た多量の水を使いつつ、時折出現する獣を狩りながら、決して満足とは言えないものの安全な旅を送ることが出来ていた。


 途中、エルマが錬金術でブロートを創り上げたこともあった。しかし、エルマの創ったブロートには毒が含まれており、試食したドラクンクルスの口が数時間ほど痺れ続ける、という悲惨な事件が起きてしまった。


 ライム湖の水には問題なかったのだが、ボレリア森林で得られる植物には、基本的に毒が含まれている。それ故に、ここで拾った木材を使えば、誰がどうやったところで毒物しか調合できないのだ。


 結果、エルマのブロートは毒餌どくえとして利用されることとなった。その効果については、毒に耐性のあるドラクンクルスの口が痺れ続けたのだから、ある意味お墨付きである。


 しかし、そんな騒がしい日々も、とうとう終わりを迎えることとなった。先頭を行くフリードリヒが、一本の大きな木の前で立ち止まり、全員に声を掛けたのだ。


「よし、やっと見つけた。この調子なら、あと少しで森を抜けるはずだ」

「そうなんですか? もしかして、その木が目印になってるんですか?」

「そうとも」


 十メートル以上もある太い幹を軽く叩き、フリードリヒはこの木に関する説明を始めた。


「このトロピコスセコイアは、ボレリア森林の北端にしか生息しないんだ。だからこの森を探索するときは、毎回この木を頼りにしているんだよ。ただ、良質な材木になるから伐採が進んでいて、かなりの数が姿を消しているんだ。この木も、もしかしたら来月には切られているかも知れないね」

「へぇー、こんな立派な木を……なんか、もったいないね」

「うん……」


 エルマとシャルロッテは、かなり背の高いトロピコスセコイアを見上げて悲し気に呟く。そんな二人を、ゾフィーとフリードリヒは優しい目で見つめた後、互いに顔を見合わせて密かに言葉を交わす。


「良い子たちですね。先生方の教えが正しかったから、こうした素直な感性を持ち合わせたのでしょうね」

「いいえ。彼女たちは、元からこうでした。悪戯が過ぎることもありますが、とても優しい心を持っています。だからこそ、錬金術のような特別な才能を有しているのだと、私は思っています。自然と心を通わせられなければ、魔法は使えませんから」


 すると二人の会話に、どこか辛気臭い表情を浮かべたドラクンクルスが割って入る。


「それはどうでも良いんだけどよ、退魔剣士様。森を抜けた先に、街はあるのか? 生臭い獣肉じゃなくってよぉ、いい加減ちゃんとしたメシを食いてぇんだ」

「ん? 竜種は獣を生で食べるものだと思っていたのだが、違うのか?」

「そりゃあ普通はそうなんだが、俺様は長いこと人間と生活しちまってるからよ。調理した肉の味が忘れらんねぇんだ。ホント、料理の技術だけは人間を尊敬するぜ」

「ははぁ、なるほどね。そうだな……森を抜けるとセルカリア平原という草原地帯に出るのだが、その外れに『マンソン』という小さな村がある。牧畜を主な産業とする、とても穏やかな村だ」

「牧畜! 良いねぇ、そりゃあ期待できそうだ!」

「マンソンですか。確かに良いですね」


 ドラクンクルスと同じく、長いこと空腹に耐えてきたゾフィーも顔を明るく変える。


「少し州都からは遠ざかりますが、夕刻までには着くでしょうし……セルカリア平原は凶暴な魔物も生息していませんから、大丈夫でしょう。それに、マンソンはセルカリアリントという牛の肉が非常に良質で、貴族に大人気なんです。実は私も、ずっと気になっていたんですよね」

「ほうほう! そりゃあもう、行かねぇ理由はねぇな! よっしゃ、まずはその肉の村……じゃなかった。何だっけ?」

「ははは、マンソン村だよ、ドラクンクルス。さて、それでは急いで森を抜けましょうか」


 行き先を決め、再びフリードリヒを先頭に森の中を進む。とはいえ、伐採の影響で徐々に木々の数は減り、切り株が目立つようになっていた。もちろん、これらはすべてトロピコスセコイアの残骸である。


 視界が開けてゆくにつれ、食への期待から頬を緩ませるドラクンクルスとゾフィーとは対照的に、エルマとシャルロッテの表情は曇ってゆく。


 しかし、ボレリア森林を抜けて広大な草原へと辿り着いた時、二人の表情も一転して明るく変わった。


「よし、到着だ」

「わあ……!」

「おおっ!」


 先ほどまでの鬱蒼とした景色はどこへやら、彼女たちの目の前には若緑の海原が広がっていた。小鳥たちの声もなく、低い草本のさざめきのみが周囲を包み込み、暖かな風がエルマたちの間を抜けてゆく。


 ところどころに魔物らしき影はあるが、魔物でさえも攻撃性を逸したように動きが緩慢で、まるでこの平原だけ時間がゆっくりと過ぎているようであった。


 目を輝かせるエルマたちに、フリードリヒは微笑みながら口を開く。


「さて、ここがセルカリア平原だ。ここからまっすぐ行くと、未舗装の街道に当たる。そのまま西へ向かえば州都へ、街道を行かずそのまま北へ進めばマンソン村に着くかな。まあ途中に行商人もいるだろうし、正確な道は彼らに尋ねると良いよ」

「分かりました! まっすぐ行って、道に出たら北ですね! ってことは、あっちの方かな?」


 フリードリヒの説明を受け、エルマは自信満々に西を指さした。それを見たシャルロッテは、深く溜息を吐いてエルマの背中を小突く。


「いや、エルマ。そっち西だから。北は、太陽を背中に向けた時の方角! 前にも言ったでしょ」

「あれ、そうだっけ?」

「ええと……うん。まあ、そう迷うような道じゃないから安心して良いよ。さてと」


 苦笑いを浮かべた後、フリードリヒは軽く咳払いをして姿勢を正し、エルマたちに別れを告げる。


「それじゃあ、名残惜しいけどここでお別れだね」

「あ、そうか。フリッツさん、また森に戻るんでしたっけ。せっかく知り合えたのに、もうお別れなんですね……」

「もっと旅の話とか聞きたかったなぁ。ここまで来たんですから、マンソン村まで一緒に行きませんか?」

「ダメですよ、エルマ。……色々とご迷惑をおかけしました。ここまで無事に来られたのも、フリードリヒ様のお陰です。なんとお礼を申し上げればよいか」

「いえいえ。僕の方こそ、貴重な経験をさせていただきましたよ。目の前で錬金術を見ることが出来たなんて、普通は有り得ないですから。それに……」


 フリードリヒは僅かにドラクンクルスを一瞥し、すぐに視線をエルマたちへと戻して話を続ける。


「それに、久しぶりに賑やかな時間を過ごせましたから。こちらこそ、お礼を申し上げねばなりませんよ」

「そんじゃ、餞別せんべつに何かくれよ」

「クルちゃん! もう、本当に口が悪いんだから……」

「冗談だよ、冗談。世話になったな」

「……いえ。それでは、またいつか会い————」

「助けてくれぇー!!」

「っ!?」


 フリードリヒが身をひるがえした時、不意に一人の男性の叫びがとどろいた。その声に驚いた一行は、叫び声のした方向を凝視する。すると彼女たちの目には、街道の付近から一人の男性がエルマたち目掛けて突き進んでいる様子が映った。


 ただ、彼の背後には何もおらず、草原にいる魔物に追われている訳ではないことだけは確かであった。その奇妙さに、一行は揃って顔を見合わせる。


「な、なんだろ。あのおじさん、何であんなに焦ってるのかな?」

「何か事故でもあったんじゃない? でも、何も見えないけど……」

「とりあえず、話を聞いた方が良さそうだね。ああ、キミたちは後ろに下がって。僕が代表して話を聞こう」


 エルマたちを下がらせ、大剣の柄を握りながらフリードリヒは近づいてくる男性へと声を掛ける。


「失礼、何かあったのですか?」

「ああ! その姿、やはり退魔剣士様! た、助かりましたぞ……!」


 フリードリヒの姿を目にし、男性は僅かに口元を緩ませる。しかし、噴き出す汗も拭わぬまま、息もえに訴える。


「ど、どうか! どうか私の村を、救ってください! お、お願いします! 退魔剣士様に、お支払いできる、金はありません。ですが、どうか……!」

「落ち着いてください。まず、あなたは誰で、どこから来たのですか? 順を追って、詳しく説明頂かねば何も出来ませんよ。とりあえず、息を整えて冷静になりましょう」

「で、でも……」

「では、まずお水でもどうですか? 乾いた舌では上手く回りませんでしょう。さあ、どうぞ」

「は? え、ええと、これはご丁寧に、どうも……」


 フリードリヒの傍から現れたゾフィーが即座に水を差し出し、意表を突かれた男は思わず水を受け取った。そして、云われるがままに水を口に流し込むと、彼は冷静さを取り戻したらしく、大きく息を吐いてその場にへたり込む。


「……ふう、すみませんでした。必死だったもので、つい……しかし、このような場所で退魔剣士様と出会えるとは。何という奇跡でしょう」

「それはともかく、要件をお願いします。急を要しているのでしょう?」

「ああ、そうでした!」


 男はゾフィーから受け取った杯を置き、身を乗り出してフリードリヒへと再び訴えかける。


「私はマンソン村の村長、デニスと申します。お願いいたします、わが村に突如として現れた巨大な魔物を、どうか退治してくだされ!」

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