再出発は剣士と共に

 人知れぬ激闘がいろどった一夜は明け、ライム湖の周辺は朝の静寂に包まれていた。そんな中、眠い目をこすり『黄昏の天幕Unsichtbares Zelt』から出てきたエルマは、朝靄がかかった空へ向けて大きく両腕を伸ばした。


「んんー……はぁ。うーん、ちょっと早く起きちゃったなぁ」


 普段は起こされても起きないタイプのエルマだが、昨晩は連続して錬金術を行使した影響で疲労が蓄積し、夕食を取る間もなく眠りに落ちていた。それ故に、まだ薄暗さも残るこの時間帯に目が覚めてしまった。


 だが、朝の静謐せいひつな空気をたくさん肺に取り込み、エルマはご機嫌な様子で柔らかく微笑む。


「とっても気持ちいいなぁ。やっぱり、早起きはだね。……あれ、だっけ? まぁいいや、せっかくだし顔でも洗おっと」


 緩んだ気分を引き締めるため、ゆっくりと湖に近づき、冷たい水を両手ですくう。しかしその時、一人の男が彼女の背後から声を掛けた。


「おや、意外に早起きなんだね」

「ひゃあっ!?」


 誰もいないとたかくくっていたエルマは、男の声に驚き小さく悲鳴を上げた。静かな湖畔であることが災いし、彼女の叫び声は周囲へこだまのように反響していく。そんな彼女の反応が可笑おかしかったのか、声の主は笑いを堪えながら謝罪の言葉を口にする。


「ああ、ごめんね。ちょっと驚かせちゃったかな」

「フリッツさん! もー、びっくりさせないでくださいよ。心臓が止まっちゃったじゃないですか」

「いや、止まってないと思うよ。それはともかく、昨日はお手柄だったね。キミは満足してないようだけど、あの大きさの『無限の宝物庫ウンエンドリヒ・シャッツキステ』なら水が不足するようなことは無いだろう。えっと確か、小さいサイズのが二つ創れたんだったかな?」

「はい。お水用と、食材用の二種類です。本当なら、あの大きな棚丸ごと『無限の宝物庫ウンエンドリヒ・シャッツキステ』に変えたかったんですけど、やっぱりスフェーンが足りなかったみたいで。すみません、大事な素材をくれたのに」

「いや、いいんだよ。その代わりに貴重なものが見られたから、僕は大満足さ」


 嘘偽りのない笑顔にエルマは安堵しつつも、フリードリヒの装いの変化に気付き、数歩ほど歩み寄る。


「あれ? フリッツさん、昨日そんな服でしたっけ?」

「ん? ああ、昨日エルマさんが寝てしまった後、着替えただけだよ。たくさんの魔物を狩った後だから、臭いが気になるだろう? 魔物は臭いに敏感でね。僕みたいな職の人間は特に、臭いには気を付けているのさ」

「そうなんですか。でも、そんなに臭わなかったけどなぁ」

「人間では気付けない臭いも嗅ぎ分けてしまうからね。さてと」


 勘のいいエルマに感心しつつ、フリードリヒは空を見上げて彼女に訊ねる。


「キミは、州都の技術院に行って錬金術について学ぶつもりだ、って聞いたんだが。それは本当かな?」

「はい。あっ、でもそれだけじゃなくって、わたしの家、エドワードシエラ一族に関する話も聞こうと思ってるんです」

「エドワードシエラ一族?」

「お父さんが言うには、わたしの家系って魔法を使う能力は高いけど、暴走させやすいみたいなんです。技術院ならその原因を知ることが出来るかも、ってゾフィー先生が」

「ほう、なるほどね……」


 旅の目的を聞き、フリードリヒは納得したように小さく頷くと、そのまま天幕へと引き返していく。彼の突拍子の無い行動に、目を丸くしたエルマは慌てて訊ねる。


「フリッツさん? あの、どうしたんですか?」

「いや、陽が高くなる前に水を回収しておこうと思ってね。州都へ行くには、この森をあと二、三日くらいは歩かないといけない。それなら、早く準備を終えて出発した方が良いだろう?」

「あ、そっか。せっかく創った『無限の宝物庫ウンエンドリヒ・シャッツキステ』も、水を入れてなかったら意味が無いですもんね。でも、気にしてくれるのは嬉しいんですけど、そこまでやって貰ったら悪い気がするんですけど……」

「何を言ってるんだ? 僕もキミたちの旅に付いて行こうと思ってるんだよ。ああ、もちろん森の出口までだけどね」

「え、ええっ!?  フリッツさんって、この森に用があったんじゃ?」


 フリードリヒがエルマたちに同行すれば、必然的に彼も森から出てしまう。任務外とはいえ、彼自身の目的とは異なる行動になってしまうため、エルマは彼の提案に反対せざるを得なかった。


 だが彼女の心配をよそに、フリードリヒは笑顔のままエルマに聞き返す。


「せっかくここで出会ったんだから、森の出口くらいまでは護衛してあげようかな、と思っただけさ。この森は、夜でなくとも危険な魔物がたくさん出現する。護衛なしだと、ゆっくり寝ることも食事することも難しいからね。でも、キミたち三人とドラクンクルスくんだけで対処できるっていうなら、別に良いんだけど」

「あ、いえいえ! だったら、しばらくよろしくお願いします! いえ、むしろ付いてきてください!」

「ははは、正直でよろしい。ただ、護衛と引き換えになんだけど、ここに僕がいたっていうことを、誰かに喋らないで欲しいんだ。偉い人たちには特にね」

「偉い人? えっと、村長さんとかですか?」

「ま、まあ、そんな感じかな。とにかく、僕がいたことは他言無用でお願いするよ。いいかな?」

「もっちろんです! それじゃあ、水を汲んじゃいましょうか。そろそろシャルたちも起きちゃうかもですし」


 そう言って、エルマはフリードリヒの後を追うようにして、天幕へと引き返していった。森を出るまでの短い間であるが、新たな仲間を加えた旅を再開するために。

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