高難度の錬金術

 ドラクンクルスのことはシャルロッテに任せ、エルマは『無限の宝物庫ウンエンドリヒ・シャッツキステ』の作製に取り掛かった。ただし、エルマにとってレシピのない錬金術は初めてだ。そのため、何に手をつければ良いかすらも分からず、天幕の中は彼女の苦悩の声だけが響く。


「うー、どうしよう。箱があるんだから、きっと植物や金属は要らないはず。中身を劣化させないってことは、箱の中の時間を止める、ってことだよね。でも時間を止める魔法をかけるのは無理だし、うーん……」


 あれこれと悩み、何かヒントとなる記述は無いかとアンネリーゼの本を広げる。しかし、その中には時間を止める性能を有するアイテムの記載はない。


「うーん、止めるもの……しいて言えば、遅延薬ラングザーム・ギフトくらいかなぁ。魔物に使う毒薬だけど、ちょっと創ってみようかな。えっと? あ、簡単そう」


 時間を止めるための参考として、エルマはまず遅延薬の調合をすることに決めた。遅延薬の調合に必要な植物はすでに入手しており、あとは湖の水と混ぜ合わせれば完成するという、とても手軽なものであった。もちろん、エルマにとっては、である。


「コンメリナと、フォミカをほんの少しだけ加えて……あとは湖の水と入れて五回くらいかき混ぜれば終わり、っと! よーし、すっごく上手くできた気がする!」


 満面の笑みを浮かべ、エルマは毒々しい紫色をした液体を小瓶へ流し入れる。試しに少量だけ創ったはずが、小瓶にして五本ほどの遅延薬が完成していた。それだけエルマは効率よく調合できた、という証である。


 しかし、満足げに薬液を見つめていたエルマは、肝心なことに気が付く。


「あれ? そういえばこれ、時間を止めるんじゃなくって、動きを止めるだけ……かも」


 そう、遅延薬は魔物の筋肉を弛緩させることで動きを封じる。つまり、時間を止めることとは無関係なのだ。これを小箱に振りかけたところで、ただ紫色のシミが付くだけとなろう。


「あー、もうっ!」


 完全に時間と素材を無駄にしてしまった自分の無能さに腹を立て、エルマは天井を仰いだ。そして古びた椅子へ勢いよく腰を下ろし、再び唸り声を上げ始める。


 そんな中、新たな小箱を手にしてフリードリヒが天幕の中へと入って来た。この小箱はエルマが実験用にフリードリヒたちへ製作を依頼したものだが、その品質は徐々に向上しており、四作目となる小箱は市販品と遜色のない出来栄えとなっていた。


「やあ、また出来たよ。みんな随分と箱を作るのが上手くなってね、これを本職にしようかと話し合ってたくらいさ。それで、そっちの首尾は順調……では無さそうだね」

「あ、フリッツさん。そうなんです、いろいろ考えてはみたんですけど、時間を止める方法がどうしても分からなくって」

「時間を? それはまた、規格外のことを考えるものだね。時間を止めることなんて、この国最高の魔法使いであるベアトリクス様くらいしか出来ないだろう。もうちょっと視点を変えてみた方が良いんじゃないかな?」

「視点を、ですか……」


 目を丸くするエルマに、フリードリヒは顎に軽く手を当てながら意見を口にする。


「極論、中に入れたものが劣化しなければ良いんだろう? だったら、時間を止めるのではなくて、そうだな……空気を遮断するというのはどうだろう?」

「えー? 空気を遮断しても、開け閉めしたら意味ないじゃないですか。もし失敗したら、この部屋中に空気が無くなっちゃいますよ」

「ああ、確かにそうか。なかなか難しいね、永遠に鮮度を保つっていうのは。やはり州都の専門店で買うまでは我慢した方が良いかも知れないね」

「そうですよね。永遠に劣化しないなんて、そんなの……ん? 永遠の鮮度?」


 フリードリヒの言葉を受け、エルマはふと何か考え付いたようで再びアンネリーゼの本を手元に手繰り寄せる。そして『宝石』一覧の項で指を止め、フリードリヒへと問いかける。


「あの、フリッツさん。宝石に詳しかったりしますか?」

「宝石? そうだな、退魔剣士という職業柄、鉱山とか危険な場所に赴くことが多いからね。自然と覚えてしまっていることもあると思うよ。しかし、いきなりどうしたんだい?」

「見てください。このスフェーンっていう宝石、『永遠に変わらず存在する』力があるみたいなんです! だから、もしかしたら……」

「ほう? 確かに、そんな話を聞いたことがあるな。でも、この宝石はとても脆くて交易品としては流通していないよ。残念だけど鉱山の麓に行って、直接交渉するしかないんじゃないかな」

「そ、そうなんですか……それじゃあ、創るしかないかな」

「え?」


 そう言うと、エルマは数ページほどめくり、スフェーンの調合方法を確認し始めた。


「えっと? 『クオーツ』と『古代の鋼』に『腐食液』を加え、緩衝剤で攪拌かくはんした後、透明な黄金色になるまで多量の魔力を注入する、か……うわぁ、キツそう。そもそも、緩衝剤以外の素材がさっぱり分かんないや。腐食液は……あ、さっきの遅延薬で代用できそう! だとすると、あとは……」


 ひとしきり製法を読み終えたエルマは、素早く杖を手に取りまずはクオーツの探索を始める。すると、杖先から放たれた光球の多くは、大きな古い棚の横に積み重ねられた石へと集積していった。


「よし、クオーツはたくさんあるみたい。それじゃあ、次は古代の鋼を、っと。……あれ?」

「ん? おわっ!?」


 クオーツに続いて古代の鋼の在処を探索するため、杖に念じ始めた途端、光はエルマの隣にいるフリードリヒへと集まって行った。それも、クオーツの山よりも強く光り輝いている。


「え、ええぇ!? ふ、フリッツさん、実は金属だったんですか!?」

「そんな訳があるか! ……ああいや、失礼。確か、エルマさんは先ほど『古代の鋼』と言っていたね。それはもしかして、これのことじゃないかな?」


 軽く咳払いをし、フリードリヒは懐から古い短剣を取り出した。彼の言う通り、光はフリードリヒではなくその短剣に集中しており、辺りは光に照らされてゆく。その眩さに目をチカチカとさせつつも、エルマは光に負けないくらい顔を輝かせる。


「あ、本当だ! よかったぁ、フリッツさんが光ってるのかと思っちゃった」

「は、ははは……仮にそうだったとしても、僕を素材にしないでくれよ。さて、それはともかく、だ」


 輝きが消え失せた後、彼は錆びついた鞘から短剣を取り出し、少し名残惜しそうに眺めると、小さく溜息を吐いてエルマの前に置いた。


「これが必要なら、遠慮なく使ってくれ」

「え? い、良いんですか? これ、とっても高価なものなんじゃ……」

「まあ、そうだね。これは僕が昔、遥か東の遺跡で見つけた遺物でね、大事に手入れしていたんだけど……実際のところ使い道もなかったし、必要とする人に使って貰った方が良いと思うから」

「フリッツさん……」

「その代わり、絶対に失敗しないでおくれよ? それと、貴重なスフェーンを創るところを、是非とも見せてくれ。なに、多少の爆発程度なら僕は平気さ。爆炎の妖茸トリコデルマの煉獄の焔にも耐えたんだから」

「分かりました。それじゃあ、お言葉に甘えて……よしっ!」


 軽く両頬を叩き、気合を入れたエルマは短剣とクオーツを大釜へと放り込み、そこへ毒々しい紫色の遅延薬を注ぎ込む。そして、昨日創った緩衝剤を投入し、力いっぱいに杖を握りしめ、釜をかき混ぜ始める。


「上手く、創れます、ようにっ……!」

「ほう、これはまた……」


 エルマが力を込めて混ぜていくうち、不思議なことに釜は加熱していないにも拘わらず、ぐらぐらと音を立てて湯気すらも昇り始めた。それとともに、エルマの額からは大粒の汗が滴り出す。


 しばらく無言の攻防が続くと、釜の方に変化が訪れた。立ち上っていた湯気の色調が、紫から緑、そして橙へと移り変わったのである。やがて湯気が黄金色に染まり始め、天幕の中はまるで財宝の山に囲まれているような景色へと変貌する。


「よし、これならイケる!」

「おお……!」


 だが、その輝きに油断したエルマが杖を握る力を、ほんの少しだけ緩めた時だった。


「危ない!!」

「え? うわっ!」


 強い光が釜の中から放たれ、それと同時に猛烈な爆風が二人を襲ったのである。危険を察知したフリードリヒは咄嗟とっさにエルマを庇い、その影響で爆風を直に浴びてしまった。


「フリッツさん! だ、大丈夫ですか!?」

「あ、ああ……ふぅ。さっきも言っただろう、僕はこの程度の爆発なら平気だと。安心してくれ。それより、釜の方は無事なのか?」

「え? あ、そうだ!」


 フリードリヒの穏やかな表情に安堵しつつも、エルマは急いで釜を確認しようと身を乗り出した。だが、先ほどとは打って変わって、釜の中からは黒煙が立ち込めていた。


「あ……」


 天幕の天井まで黒く焦げ、周囲には何かの破片らしき物体が散乱している。アンネリーゼの本や他の素材は無事だが、少なくとも今回の錬金術に使用した素材は、完全に消失していた。


 それを目にしたエルマは呆然と立ち尽くし、震える唇でポツリと呟く。


「失敗、しちゃった……」

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