無限の宝物庫

 湖畔に設営された天幕の中へと入り込んだエルマは、急いで古びた机へとリュックを下ろし、アンネリーゼの本を取り出した。


「確か、この辺に……あ、あった! えっと……」


 せわしなくページをめくる指を止め、目的である『無限の宝物庫ウンエンドリヒ・シャッツキステ』の製法に関する項目を、一人で読み上げる。


「薬液と『木材』を釜に入れ、魔力を注ぎ込みながら『金属片』を少量ずつ投入する。薬液が褐色から乳白色に変わった瞬間に『金属片』の投入を止め、『鉱石』を加える。そして薬液が虹色に輝き出したら完成……かぁ。うーん、難しそう……」


 意気揚々と本を開いたエルマであったが、いざ『無限の宝物庫ウンエンドリヒ・シャッツキステ』の製法を目の当たりにし、その難易度の高さに思わず溜息を漏らした。彼女が今まで創ってきた何よりも、繊細な作業が必要だからである。


 とはいえ、ここで宝物庫の調合を諦める訳にもいかない。いくら良い品質の素材を収集しても、劣化してしまえば無意味となってしまう。今後も錬金術のみならず、旅を続ける上では確実に必要となるアイテムであった。


 エルマは悩みながらも、ひとまず素材だけは確保するため、杖に向けて軽く念じる。しかし、しっかり念じたはずの魔法は不発に終わったようで、天幕の中に光が満ちることはなかった。


「はぁ……必要な素材、この中には一つも無いのかぁ。そうなると、外で集めないとだけど……木材はともかく、金属片と鉱石は分からないなぁ。その辺の小石じゃ、きっとダメだよね……」


 すると途方に暮れるエルマへ、ゾフィーとフリードリヒが怪訝な顔つきで声を掛けた。


「どうしたのかしら。珍しく何か悩んでいるようだけど」

「エルマさん、だったね。何か困り事かな? せっかく会ったことだし、僕で良ければ力になるよ。遠慮なく相談していいからね」

「えっ? あ、先生にフリッツさん。えっと、そうですね……」


 出会ったばかりの、それも退魔剣士という肩書を持つフリードリヒに対し、気軽に相談していいのか少しばかり躊躇する。だが、一人で悩んでいてもらちが明かないため、エルマは言葉を選びながら口を開いた。


「その、金属片と鉱石を探してるんです。どうしても必要なんですけど、この中には無いみたいで……」

「金属片に、鉱石? それはまた、随分と変なものを探しているんだね。……もしかして、に使うのかな?」

「え、ええ!? フリッツさん、なんでわたしが錬金術できるって知ってるんですか?」

「別に、大したことじゃないさ。キミの先生が教えてくれただけだよ。それはともかく、どうしてそんなものが必要なのかな?」

「そ、そうでしたか。えっと、ですね」


 机の上の本を片付け、代わりに古い棚の中にあった乾燥した植物を取り出し、フリードリヒの前へと置く。


「こういうのが錬金術の素材になるんですけど、普通に保管してると、こんな感じで枯れちゃうんです。なので、素材を採取した時の状態で保存できる保管庫を創ろうとしたんですけど、その保管庫を創るために金属片と鉱石が必要で……」

「ほう、なるほど。それは確かに重要な問題だね。州都の専門店には売っていると思うけど、創るとなると……うーん。この辺は資源に乏しいから、植物以外にまともな素材が手に入るとは思えないかな。ゾフィー先生、貴女はどう思われますか?」

「そうですね、仰る通りだと思います。人の手が全く入っていないこの森では、少なくとも金属片を見つけるのは厳しいでしょうね。ミレリーの周辺ならば手に入ったでしょうけど」

「そ、そうですか……じゃあ、まだ無理ですね。あーあ、せっかく品質のいい水がたくさんあるのになぁ……」


 がっくりと肩を落とし、エルマは机の上に出した植物を棚へ戻し始める。しかしその時、フリードリヒが腕を組みながらポツリと呟いた。


「うーん……せっかく立派ながあるんだから、それを素材に出来たら良かったんだろうけどね」

「へ? 棚を、素材に……?」

「ああ、聞こえちゃったかな。ええと、『棚』っていう物質がすでにある訳だから、それを錬金術で変化させちゃえば良いんじゃないかなって思っただけさ。まあ、錬金術はそんな簡単なものじゃないよね。ごめん、変なことを言っちゃって」

「作り変える……」


 その途端、エルマは表情を一変させた。手にしていた乾燥した植物を放り投げ、アンネリーゼの本を再び開き、目次ページを穴が開くほどに凝視する。彼女の変わり様に驚いた二人は、顔を見合わせて沈黙した。


 ただ、その無言の時間は長く続かなかった。一通り目次ページへ目を通し終え、顔を上げたエルマは苦笑しながら口を開く。


「はぁ……この本には、そういうのってないですね。いい考えだなって思ったんですけど」

「そうか。せっかくだし、僕もこの目で錬金術を見たかったんだけどね。まあ、無理なら仕方がないさ」

「すみません。創り方が分かんないと、どうしても————」

「なら、自分で考えてみたら良いんじゃないかな!」

「え?」


 重い空気を引き裂くように明るく、しかしどこか苛立った調子の声が天幕の中へと響く。その声に驚き入口へと振り返った三人の目は、重そうな荷物を両手に抱えたシャルロッテの姿を捉えた。


「シャル! 遅かったね……って、どうしたの? そんな大荷物抱えて……あ」

「あ、じゃないわよ! もう、本っ当に重かったんだから! はぁ、それはそうと」


 大きく溜息を吐いたシャルロッテは、天幕の床へ大きな桶を置き、エルマへと詰め寄る。


「なんで簡単に諦めちゃうの? 本に書いてないことは出来ないの?」

「う、うん。だって、どうやったら良いか分かんないし、失敗しちゃったら大変だもん。爆発するかも知れないし」

「まぁ、確かに爆発は怖いんだけどさ……でもね、エルマ。この本を書いた人は、最初から創り方を知ってたと思う? そんな訳ないよね。たくさん失敗しながら、正しい創り方を覚えたんだよ。きっとね」

「それは……」


 俯いて口籠るエルマに、シャルロッテは優しい口調で話を続ける。


「大丈夫だよ、きっとできる。錬金術のできない私が言えたことじゃないけど、エルマなら絶対にできるよ! っていうか、これはエルマしか出来ないんだよ!」

「で、でも……わたし、落ちこぼれだし……」

「そんなことはありませんよ、エルマ。学校の成績はとても悪かったですし、運動も大してできませんが、錬金術という希少な技術を持っているのです。決して落ちこぼれではありません」

「……先生。それ、褒めてるように聞こえないんですけど」

「あら、ごめんなさい。つい」

「まったく。とにかくエルマ、そういう事だから失敗なんか気にしないで挑戦してみなよ。もちろん、爆発しないように慎重にね?」


 そう言って微笑むシャルロッテに、エルマは弱々しい笑顔で返す。


「……分かった、やってみる。他のページとかも見て、いろいろと試してみるよ。ありがとう、シャル」


 そして軽く両頬を叩いた後、顔つきを変えたエルマは三人に向けて頼みごとを告げた。


「じゃあ、悪いんだけど小箱を作ってくれるかな? いきなりこの大きな棚は使えないから、別のもので実験したいんだ。それと、その時は中に入らないでね。危ないかも知れないし」

「オッケー。どれくらいの大きさがいい?」

「うーん、そうだなぁ……クルちゃんが入るくらいの大きさがちょうどいいかも。もし成功したら、それはそれで使えると思うし。それで、えっと……フリッツさんも手伝ってくれますか?」

「ああ、もちろんだとも。錬金術を見る機会なんて滅多にないからね、ありがたく手伝わせてもらうよ。それはそうと、一つ質問したいんだけど、いいかい?」


 エルマの依頼を快諾しつつも、フリードリヒは首を傾げながらエルマたちへと問いかける。


「その、『クルちゃん』っていうのは何なのか教えてくれるかな? ぬいぐるみの名前とか?」

「へ? ……ああっ!」

「やっば、忘れてた!」


 フリードリヒの言葉により、エルマとシャルロッテはようやく思い出した。フリードリヒの正体と目的を確認するまで、茂みで待機するように指示していた、哀れな小竜ドラクンクルスの存在を。

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