退魔剣士、フリードリヒ・エルリキア

 やっぱり、という表情を浮かべるシャルロッテとは対照的に、エルマは首をかしげて二人へと問いかける。


「えっと、退魔剣士って、なに?」

「え? あ、そっか。普通の人は滅多に会わないもんね。簡単に言うと、州公認の魔物退治の専門家で剣術を使う人、かな。ウチの村でも、一回だけ呼んだことがあるから知ってたんだ」

「魔物退治の専門家? へぇー、フリッツさんってすごいんですね!」


 そう言って目を輝かせるエルマへ、ようやく息を整え終えたゾフィーはシャルロッテの説明に補足をする。


「ふぅ……そうですね。概ねシャルロッテの説明通りですが、退魔剣士は単に剣術に長けているという訳ではなく、退魔士の中でも戦闘能力に特化した者を指します。公認退魔剣士は数人しかいないので、出会えるのはとっても幸運なことなんですよ」

「そ、そうなんですか!? うわぁ、サインとかもらった方が良いのかなぁ!」

「は、はは……そんな大げさなものではありません。それに今は休職中の身ですから、本来ならば退魔剣士と名乗ってはいけないんです。先ほど私が名乗ったことについては、是非ともご内密にお願いしますね」


 困ったように苦笑しつつ、フリードリヒは唇の前で人差し指を立てる。そして、彼の話に了承し頷いた三人をぐるりと見渡し、怪訝そうに質問を投げかける。


「それで、あなた方はどうしてこのライム湖へ? 旅人しては何というか、不思議な取り合わせですし……もしや、あなた方も州知事の指示で調査に?」

「いえ。私たちは、ええと……そうですね。少々長くなりますので、落ち着いてからお話ししましょうか。それよりも、やはりここはライム湖だったのですね。道理で美しい湖だと……しかし、魔物の影が見当たらないのですが、どういうことなのでしょうか。何か異変があったのですか?」

「ああ、そのことですか」


 すると、不思議そうに湖を眺める三人へ、フリードリヒは当然と言わんばかりに軽い調子で言い放った。


「つい先ほど、すべて片付け終えましたから。それで、ちょっとここで休んでいたのです」

「へ? フリッツさんが一人で、ですか?」

「もちろん。そうですね、小さいものは仕留め損ねましたが、大型の魔物が十体ほどいたかな。いやぁしかし、噂ほど強くはありませんでしたね。図体ばかり大きく、ほとんど見掛け倒しみたいなものでしたよ。アレが一体だけならば、片手でも倒せますね」

「は、はぁ……」


 まるでウォーミングアップを終えたかのように、淡々と語るフリードリヒに対し、エルマたちは唖然としながら互いに顔を見合わせる。そしてエルマは確認のため、優しく微笑む彼へ問いかける。


「ってことは、ここはもう安全ってことなんですか?」

「今のところは、ね。さっきも言った通り、小さい魔物については逃してしまったし、夜になればまた魔物が集まってくるだろう。ここに泊るつもりなら諦めた方が良いね。僕だって、さすがに寝込みを襲われるのは遠慮したいし、夜は特に危険な魔物が多いから」

「そうなんですか……じゃあ、仕方ないですね。とりあえず、必要な素材だけ集めよっかな」

?」


 フリードリヒの表情の変化に気付いていないエルマは湖の方へと振り返り、辺りを警戒して眺めていたシャルロッテに向けて手を合わせる。


「ごめんねシャル、素材を集めるの手伝ってくれる? 先生は、ほら……疲れてるみたいだし」

「うん、オッケー。でも、私にはどれが素材なのか分かんないんだけど、どうしたらいい?」

「あー、そっか。じゃあ、天幕から小瓶と桶を持って来てくれるかな。今のうちにたくさん採っておきたいから」

「分かった。じゃ、先生。アレ、ちょっと借りますね」


 そう言ってゾフィーから短冊状の紙を受け取ったシャルロッテは、以前ゾフィーが披露して見せたように、その紙へ全神経を集中させる。すると、あっという間に二人とフリードリヒの間に『黄昏の天幕』が出現した。


「よし、バッチリ! あとは桶を、っと」

「こ、これは……!」


 突然の出来事に目を丸くしたフリードリヒは慌てて立ち上がり、天幕の中へ消えたシャルロッテを凝視しつつ、ゾフィーを静かに問い質す。


「どういうことです。どうして、こんな希少なアイテムを……それに、これほど若い子がいとも簡単に天幕を出現させるとは。やはり、あなた方は只者ではないようですね。何の目的でここに来たのですか。まさか……」


 しかし、真剣な眼差しで詰め寄るフリードリヒに対し、ゾフィーは少し悲しげに答える。


「いいえ。残念ながら、あの子たちはつい先日まで、この近くの辺鄙へんぴな村に暮らす普通の女の子でした。ですが、数奇な運命を経てこのような状況になってしまったのです」

「……その話、詳しく伺っても?」

「もちろん。ただ、あの子たちには辛い思いをさせたくありませんので、少しばかり離れましょうか。魔物の様子はいかがです?」

「今のところ、僕の感知する範囲には存在しないようですが……適宜様子を確認しています。ご安心を」

「そうですか。では、こちらへ」


 そして二人は、エルマたちに声が届かない距離へと移動を始めた。そのことに気付いていないエルマは、シャルロッテが天幕から取り出してきた桶へ、湖の透き通った水を汲み始めた。


 二人が騒がしく足を踏み入れても、水は一切濁ることなく清澄なまま、小さな波紋を周囲へと広げていく。波の行方をじっと見つめつつ、エルマは満足げに小瓶へ水を移し入れた。


「ふぅ。これをあと何本か欲しいんだけど、お水だもんねぇ。さすがに腐っちゃうかなぁ」

「二、三日なら大丈夫だろうけど、この先どうなるか分かんないもんね。うーん……腐らないようにする方法があっても良いと思うけど、後で先生に聞いてみよっか。天幕の中には無いの?」

「中にあった素材は全部乾燥したものだったから、たぶん無いんじゃないかなぁ。まだ中を全部調べた訳じゃないけど、それっぽいのは無かったと思うよ」

「そうなんだ。残念」


 諦めて、六本ほどの小瓶を二人で抱えて運ぶ最中、ふとシャルロッテは小瓶へと視線を落とし、ポツリと呟く。


「案外、錬金術で創れちゃったりしてね」

「保管庫が? あはは、そんなの……あったかも!?」

「へっ?」


 シャルロッテの呟きに、思わず小瓶を水底へと落としてしまったエルマだが、小瓶を水底に置き去りにしたまま、顔を輝かせてほとりへと駆けて行ってしまった。残されたシャルロッテはエルマの行動を呆然と見つめ、唇を尖らせる。


「ちょ、ちょっと! 一人でこんなに持てる訳ないじゃん! もー……」


 当然、シャルロッテの声はエルマの耳に届かなかった。ブツブツと文句を言いつつも、底に転がる小瓶と持っていた小瓶を桶へ入れ直し、走り去ったエルマの後をゆっくりと追っていった。顔の端に、小さな微笑みを浮かべながら。

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