湖畔での出会い
しばらく道なき道を進むと、不意に先頭を行くドラクンクルスは飛行を止め、低木に身を潜めだした。彼の行動から異様な気配を察知した三人は、彼と同じように身を低くし、じっと先を見つめる。
彼女たちの視線の先には
「着いた……のかな?」
「ああ。
「妙って、どういうこと?」
神妙なドラクンクルスの語り口に、エルマは怪訝そうに聞き返す。エルマの方へ振り返ることなく軽く唸り声を上げ、ドラクンクルスはより険しい表情で話を続ける。
「ここが噂のライム湖なら、魔物の一体や二体、こっからでも平気で見つかると思ったんだけどよ……何もいねぇんだ」
「何もいない?」
「
「ふむ。クルちゃんさん、ちょっとよろしいですか? 魔法を使って観察してみますので」
そう言って、ゾフィーは大きな体を器用に扱い、ドラクンクルスの位置へと入れ替わる。半ば跳ね除けられた形のドラクンクルスであったが、この異様な空気を察して怒ることなく押し黙ったまま、エルマの後方へと下がって行った。
入れ替わったゾフィーは先頭で伏せたまま杖を構え、小声で何か呟く。すると彼女の杖先に光が宿り、霧のように細かな粒となって周囲へ漂い始めた。
「よし。行きなさい」
そしてゾフィーが軽く杖を振ると、光の粒子は湖の方へと飛んでいき、やがて視認できないほどに散ってしまった。何が起きたのか理解の出来ていないエルマは、ポカンとしながらゾフィーへと小さく訊ねる。
「あ、あの。何をしたんですか?」
「え? ああ、ごめんなさいね、何の説明もなしに始めてしまって。さっきのは探索呪文の一つで、主に
「索敵ですか。でもそれって、敵が光っちゃうってことですか? ちょっとマズいんじゃ……」
「ふふ、いいえ。そんなことをしては、たとえ魔物であっても異変に気付かれてしまいますから。この魔法は敵の位置情報を収集し、それを別の場所、例えば紙や地面に反映することができる優れものです。『
「は、はぁ。要するに、便利な魔法ってことですか?」
「……後でまた説明しますから、今はそれで納得してなさい。さて」
エルマの反応に顔を引き
「クルちゃんさんの言う通り、確かに敵性反応は無いようですね。ということは、ここはライム湖では無いのでしょうか……」
「そうかもですね。でも、こんなきれいな湖に魔物がいないなんて、そんなことがあるんですかね?」
「お昼寝中とか?」
「どうでしょう。意を決して、もう少し先に進んでみる以外に無いかも知れませんね。……ん?」
紙切れを懐へ仕舞ったゾフィーは、何かの異変に気付き湖畔のある一点を凝視する。前に進むつもりで立ち上がったドラクンクルスとエルマは、彼女の様子に戸惑いながらも、また身を屈めて問いかける。
「どうした、先生。何か見つけたか?」
「魔物ですか?」
「静かに。……いえ、あれは魔物ではありませんね。人間、でしょうか」
「人間?」
ゾフィーの報告に驚いた二人と一匹は、彼女の言いつけ通り静かに、しかし興味深げに先を見つめる。そこには、確かに人影のようなものが湖畔に横たわっていた。軽く寝がえりを打っており、少なくとも死体ではないことは窺える。
人間が単独で深い森を散策する可能性は、限りなく低い。他にも仲間がいて然るべきである。そのため、エルマたちは周囲を見渡して人影を探し始めた。
「もしかして村の人かな? ほら、森林の管理をしてるドナルドさんかも」
「どうかなぁ。先生たちみたいな、州都からの調査隊だったりして。どっちにしても、味方になってくれたら心強いよね!」
「いいや、盗賊って可能性もあるぜ、嬢ちゃん。人間相手なら絶対に油断しちゃいけねぇ。あいつらは平気で嘘を吐くし、簡単に他人の命を狩る生き物だからな」
「あいつらって……わたしたちも人間なんだけどなぁ」
「でもエルマ、もし本当に盗賊だったらヤバいし、よく観察してみないと。先生が見た感じでは、どう————」
一通り周囲を確認し終えた二人と一匹は、湖畔を凝視し続けていたはずのゾフィーへと問いかける。しかし、彼女が先ほどまでいた場所には何もなかった。ゾフィーの体重で潰されてしまった雑草だけが、無残にも取り残されるのみであった。
「あ、あれ? 先生はどこに?」
「ええっ!? いつの間にいなくなっちゃったんだろ。おトイレかな?」
「んな訳ないでしょ」
「ん? ……お、おいおい! あそこを見てみろ!」
「えっ?」
ドラクンクルスは茂みに隠れることを忘れ、慌てた様子で湖畔を指し示す。彼の指す先へ視線を移した二人も、ドラクンクルスと同様に驚き、立ち上がってしまった。
そこには、湖畔を駆け抜けるゾフィーの姿があった。先ほど彼女が見つけた人影へ目掛け、
「な、なにしてんだ、あいつは!」
「もしかすると、本当に調査隊の仲間だったのかも。ここに敵がいないことは確認してたし、あの先生の様子ならその可能性が高いんじゃない?」
「そうは言ってもよ、相手は人間だぜ? 先生とは仲間でも、嬢ちゃんたちや俺様にとっては敵かも知れねぇだろ」
「うーん……私たちはともかく、クルちゃんは分からないね。
「竜だっつってんだろ!」
「ごめんごめん。どっちにしても、私たちも先生の後を追ってみるね。それで、あの人の素性が何となく分かったらクルちゃんを呼びに行くよ。それでいい?」
「……分かった。そんじゃ、この辺で隠れて様子を見てるから、安全そうなら合図をくれ。頼んだぞ」
「オッケー。それじゃ、エルマ。行こっか」
「う、うん」
エルマはシャルロッテの手に引かれ、茂みを抜けて湖畔へと進む。木々による日光の遮蔽はなくなり、雲間から注ぎ込む強い陽光を直接肌に浴びつつ、二人はゾフィーとは異なり、周囲を警戒しながら歩く。
ドラクンクルスの言っていた通り、美しい湖であるが魔物や動物の影は見当たらない。そのため、湖畔で横になっている黒衣を纏った男と、それに近づくゾフィーの大きな姿だけが妙に際立っていた。
「……不思議な感じ。本当に魔物も動物もいないし、すごく静かだね」
「うん。でも、ここはきっとライム湖で間違いないと思う。水もそうなんだけど、砂とか石もキラキラ光ってて、魔力に満ち溢れてる感じがすごくするもん。絶対に普通の湖じゃないよ、ここ」
光が差し込んでいる影響もあるが、何度か錬金術を行なってきたエルマは、素材となり得る物質の目利きも自然と習得し始めていた。それ故に、ただでさえ綺麗なこの湖も、彼女の目を通せばさらに輝くものへと変わっていたのである。
「へぇ……じゃあ、本当にどうして魔物がいないんだろうね。ま、いないに越したことはないんだけどさ」
「うーん、それは分かんないけど、あの男の人に聞いてみたら、何か分かるかも。でもあの人、こんなに暑いのによく黒い服なんて着れるよね。そういう趣味なのかなぁ?」
「どういう趣味なのよ。そうじゃなくって、あの服は多分……っと。あの人、目を覚ましたみたい。ちょっと急ごうか」
「う、うん」
周囲に危険性が無いと判断した二人は、すでに辿り着いていたゾフィーに続き、黒衣の男の元へと駆け寄る。一方で、目を覚ましたばかりの男は少し戸惑った様子で、呼吸を整えているゾフィーと、その後ろから駆け寄ってくる二人を交互に見つめる。
そして、彼は気を取り直したように笑顔を作り、肩で息をしているゾフィーに優しく声をかけた。
「ええと、僕に何か御用でしょうか?」
「ぜぇっ、ぜぇっ……あ、あのっ!」
「呼吸が落ち着いてからで構いませんよ。僕は特に急いでませんから、ごゆっくり」
「そ、そうで、すか。ふぅー……」
こうしてゾフィーが息を整えているうちに、エルマとシャルロッテも男の元へと辿り着いた。息を一切乱していない二人は、深呼吸するゾフィーを怪訝そうにチラ見しつつ、男へと問いかける。
「こんにちは。こんなところで何をしているのですか? ええと、退魔剣士様、でよろしいですよね?」
「こんにちは、聡明そうなお嬢さん。それと、そちらのお嬢さんも。……その通り、僕は退魔剣士のフリードリヒ・エルリキアと申します。気軽にフリッツ、と呼んでくれて構いませんよ」
「退魔、剣士……?」
そこにいたのは、痩身ながらも大剣を携えた好青年、退魔剣士であるフリードリヒ・エルリキアであった。
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