湖畔での出会い

 しばらく道なき道を進むと、不意に先頭を行くドラクンクルスは飛行を止め、低木に身を潜めだした。彼の行動から異様な気配を察知した三人は、彼と同じように身を低くし、じっと先を見つめる。


 彼女たちの視線の先には鬱蒼うっそうとした木々の無い、まるで森をくり貫いて蒼天を仰いでいるかのような豊かな水面が映る。その光景に確信した様子のシャルロッテは、やや緊張した調子でドラクンクルスへと訊ねる。


「着いた……のかな?」

「ああ。蜃気楼しんきろうとかじゃなけりゃ、きっとこれが目的の湖なはずだ。だが、ちと妙だな」

「妙って、どういうこと?」


 神妙なドラクンクルスの語り口に、エルマは怪訝そうに聞き返す。エルマの方へ振り返ることなく軽く唸り声を上げ、ドラクンクルスはより険しい表情で話を続ける。


「ここが噂のライム湖なら、魔物の一体や二体、こっからでも平気で見つかると思ったんだけどよ……んだ」

「何もいない?」

雑魚ザコの魔物どころか、動物の影すらねぇ。なんつーか、湖自体が死んじまってるみてぇに静かなんだよ。こいつはおかしいぞ」

「ふむ。クルちゃんさん、ちょっとよろしいですか? 魔法を使って観察してみますので」


 そう言って、ゾフィーは大きな体を器用に扱い、ドラクンクルスの位置へと入れ替わる。半ば跳ね除けられた形のドラクンクルスであったが、この異様な空気を察して怒ることなく押し黙ったまま、エルマの後方へと下がって行った。


 入れ替わったゾフィーは先頭で伏せたまま杖を構え、小声で何か呟く。すると彼女の杖先に光が宿り、霧のように細かな粒となって周囲へ漂い始めた。


「よし。行きなさい」


 そしてゾフィーが軽く杖を振ると、光の粒子は湖の方へと飛んでいき、やがて視認できないほどに散ってしまった。何が起きたのか理解の出来ていないエルマは、ポカンとしながらゾフィーへと小さく訊ねる。


「あ、あの。何をしたんですか?」

「え? ああ、ごめんなさいね、何の説明もなしに始めてしまって。さっきのは探索呪文の一つで、主に索敵さくてきを目的とした魔法なのです。あなたの使う、素材を探す魔法とは少しおもむきが異なりますが、原理としては同じですね」

「索敵ですか。でもそれって、敵が光っちゃうってことですか? ちょっとマズいんじゃ……」

「ふふ、いいえ。そんなことをしては、たとえ魔物であっても異変に気付かれてしまいますから。この魔法は敵の位置情報を収集し、それを別の場所、例えば紙や地面に反映することができる優れものです。『賢者の地図Tabula opportuna』というアイテムがあれば、より詳細に敵の位置を知ることが出来てもっと実用的なのですけど、今はとにかく魔物がいるのかどうか、それを知りたいだけですからね」

「は、はぁ。要するに、便利な魔法ってことですか?」

「……後でまた説明しますから、今はそれで納得してなさい。さて」


 エルマの反応に顔を引きらせつつ、ゾフィーはいつの間にか取り出していた小さな紙へと視線を移す。興味津々な様子でシャルロッテも覗き込むが、しばらく待っても紙には何の変化も生じなかった。


「クルちゃんさんの言う通り、確かに敵性反応は無いようですね。ということは、ここはライム湖では無いのでしょうか……」

「そうかもですね。でも、こんなきれいな湖に魔物がいないなんて、そんなことがあるんですかね?」

「お昼寝中とか?」

「どうでしょう。意を決して、もう少し先に進んでみる以外に無いかも知れませんね。……ん?」


 紙切れを懐へ仕舞ったゾフィーは、何かの異変に気付き湖畔のある一点を凝視する。前に進むつもりで立ち上がったドラクンクルスとエルマは、彼女の様子に戸惑いながらも、また身を屈めて問いかける。


「どうした、先生。何か見つけたか?」

「魔物ですか?」

「静かに。……いえ、あれは魔物ではありませんね。人間、でしょうか」

「人間?」


 ゾフィーの報告に驚いた二人と一匹は、彼女の言いつけ通り静かに、しかし興味深げに先を見つめる。そこには、確かに人影のようなものが湖畔に横たわっていた。軽く寝がえりを打っており、少なくとも死体ではないことは窺える。


 人間が単独で深い森を散策する可能性は、限りなく低い。他にも仲間がいて然るべきである。そのため、エルマたちは周囲を見渡して人影を探し始めた。


「もしかして村の人かな? ほら、森林の管理をしてるドナルドさんかも」

「どうかなぁ。先生たちみたいな、州都からの調査隊だったりして。どっちにしても、味方になってくれたら心強いよね!」

「いいや、盗賊って可能性もあるぜ、嬢ちゃん。人間相手なら絶対に油断しちゃいけねぇ。あいつらは平気で嘘を吐くし、簡単に他人の命を狩る生き物だからな」

「あいつらって……わたしたちも人間なんだけどなぁ」

「でもエルマ、もし本当に盗賊だったらヤバいし、よく観察してみないと。先生が見た感じでは、どう————」


 一通り周囲を確認し終えた二人と一匹は、湖畔を凝視し続けていたはずのゾフィーへと問いかける。しかし、彼女が先ほどまでいた場所には何もなかった。ゾフィーの体重で潰されてしまった雑草だけが、無残にも取り残されるのみであった。


「あ、あれ? 先生はどこに?」

「ええっ!? いつの間にいなくなっちゃったんだろ。おトイレかな?」

「んな訳ないでしょ」

「ん? ……お、おいおい! あそこを見てみろ!」

「えっ?」


 ドラクンクルスは茂みに隠れることを忘れ、慌てた様子で湖畔を指し示す。彼の指す先へ視線を移した二人も、ドラクンクルスと同様に驚き、立ち上がってしまった。


 そこには、湖畔を駆け抜けるゾフィーの姿があった。先ほど彼女が見つけた人影へ目掛け、まさしく全力疾走をしていたのである。……もちろん彼女にとっての全力なので、ドラクンクルスやシャルロッテが本気を出せば追いつけるレベルであるが。


「な、なにしてんだ、あいつは!」


 頓狂とんきょうな声を上げるドラクンクルスに対し、シャルロッテは少しだけ考えたあと、表情を明るく変えて意見を口にする。


「もしかすると、本当に調査隊の仲間だったのかも。ここに敵がいないことは確認してたし、あの先生の様子ならその可能性が高いんじゃない?」

「そうは言ってもよ、相手は人間だぜ? 先生とは仲間でも、嬢ちゃんたちや俺様にとっては敵かも知れねぇだろ」

「うーん……私たちはともかく、クルちゃんは分からないね。傍目はためにはトカゲの魔物にしか見えないし、人の言葉を喋る魔物なんて珍しいもん」

「竜だっつってんだろ!」

「ごめんごめん。どっちにしても、私たちも先生の後を追ってみるね。それで、あの人の素性が何となく分かったらクルちゃんを呼びに行くよ。それでいい?」

「……分かった。そんじゃ、この辺で隠れて様子を見てるから、安全そうなら合図をくれ。頼んだぞ」

「オッケー。それじゃ、エルマ。行こっか」

「う、うん」


 エルマはシャルロッテの手に引かれ、茂みを抜けて湖畔へと進む。木々による日光の遮蔽はなくなり、雲間から注ぎ込む強い陽光を直接肌に浴びつつ、二人はゾフィーとは異なり、周囲を警戒しながら歩く。


 ドラクンクルスの言っていた通り、美しい湖であるが魔物や動物の影は見当たらない。そのため、湖畔で横になっている黒衣を纏った男と、それに近づくゾフィーの大きな姿だけが妙に際立っていた。


「……不思議な感じ。本当に魔物も動物もいないし、すごく静かだね」

「うん。でも、ここはきっとライム湖で間違いないと思う。水もそうなんだけど、砂とか石もキラキラ光ってて、魔力に満ち溢れてる感じがすごくするもん。絶対に普通の湖じゃないよ、ここ」


 光が差し込んでいる影響もあるが、何度か錬金術を行なってきたエルマは、素材となり得る物質の目利きも自然と習得し始めていた。それ故に、ただでさえ綺麗なこの湖も、彼女の目を通せばさらに輝くものへと変わっていたのである。


「へぇ……じゃあ、本当にどうして魔物がいないんだろうね。ま、いないに越したことはないんだけどさ」

「うーん、それは分かんないけど、あの男の人に聞いてみたら、何か分かるかも。でもあの人、こんなに暑いのによく黒い服なんて着れるよね。そういう趣味なのかなぁ?」

「どういう趣味なのよ。そうじゃなくって、あの服は多分……っと。あの人、目を覚ましたみたい。ちょっと急ごうか」

「う、うん」


 周囲に危険性が無いと判断した二人は、すでに辿り着いていたゾフィーに続き、黒衣の男の元へと駆け寄る。一方で、目を覚ましたばかりの男は少し戸惑った様子で、呼吸を整えているゾフィーと、その後ろから駆け寄ってくる二人を交互に見つめる。


 そして、彼は気を取り直したように笑顔を作り、肩で息をしているゾフィーに優しく声をかけた。


「ええと、僕に何か御用でしょうか?」

「ぜぇっ、ぜぇっ……あ、あのっ!」

「呼吸が落ち着いてからで構いませんよ。僕は特に急いでませんから、ごゆっくり」

「そ、そうで、すか。ふぅー……」


 こうしてゾフィーが息を整えているうちに、エルマとシャルロッテも男の元へと辿り着いた。息を一切乱していない二人は、深呼吸するゾフィーを怪訝そうにチラ見しつつ、男へと問いかける。


「こんにちは。こんなところで何をしているのですか? ええと、退様、でよろしいですよね?」

「こんにちは、聡明そうなお嬢さん。それと、そちらのお嬢さんも。……その通り、僕は退魔剣士のフリードリヒ・エルリキアと申します。気軽にフリッツ、と呼んでくれて構いませんよ」

「退魔、剣士……?」


 そこにいたのは、痩身ながらも大剣を携えた好青年、退魔剣士であるフリードリヒ・エルリキアであった。

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