湖に向かって

 『黄昏の天幕』を片付けた三人と一匹は、ボレリア森林のさらに奥地へと向かって歩み出す。しかし当面の目標は、森の脱出ではなく飲み水の確保へ変更となった。


「さて。私の記憶が正しければ、こちらの道をまっすぐ進むと街道へ出るのですが……途中に川や沢はありません。つまり、最短ルートからは確実に外れてしまうことになります。そうなると私には道が分かりませんし、少々厄介ですね」


 トーチの火を消したゾフィーは、緊張した面持ちの二人と眠そうなドラクンクルスへ、困ったように告げる。これに対し、ドラクンクルスは大あくびをしながら返す。


「街道に出ちまえば、行商人から水も食糧も買えるんだろ? だったらそんな回りくどいことしないでも、三日三晩くらい飲まず食わずで耐え凌げばいいんじゃねぇか?」

「あのねぇ、クルちゃん……」


 あまりにも適当な返答に、ゾフィーではなくシャルロッテが口を挟む。


「一日だけでも辛かったのに、そんなの無理だよ! 森を歩いたら疲れるんだし、それに魔物が出たら戦わなきゃいけないんだよ? 安全な方法を取った方が良いに決まってるじゃない!」

「シャルロッテの言う通りですね。魔物と遭遇しない確率は低いでしょうし、魔力を消費した状態で森を進むのは困難です。あなたと私だけならばともかく、エルマやシャルロッテは旅に不慣れですから、安全策を取るべきでしょう」

「ふぅん、そういうモンかねぇ?」


 二人から集中砲火を受け、ドラクンクルスはやや不満げに首をかしげつつも、二人に背を向けて進み始める。


「ま、いいさ。そんで、水のある場所はこっちで良いんだな?」

「ええ。軽く上空を飛んで確認したところ、この先に小さな湖のようなものが見えましたから。しかし、もしかすると噂に聞く『ライム湖』である可能性もありますので、慎重な判断が必要でしょう」

「『ライム湖』?」

「え?」


 聞き慣れない単語に、エルマとシャルロッテは顔を見合わせ、同時にゾフィーへと問いかけた。しかし彼女たちの様子に驚いたゾフィーは、数回ほど瞬きをした後、彼女たちへ逆に聞き返す。


「あの、二人はライム湖のことを知らないのですか?」

「はい。この森のことは知ってましたけど、湖があるなんて聞いたことがないです。ねぇ、エルマ?」

「う、うん。わたしも、何にもない森だっていうことしか……でも、良かったぁ。これで水が手に入るんですね!」

「ええと……」


 嬉しそうに笑顔をこぼし小さくはしゃぐ二人へ、ゾフィーは少し気まずそうに口を開く。


「残念ですが、この先にある水源がライム湖だった場合は

「え?」


 ゾフィーの言葉に、二人は揃って目が点となる。それもそのはず、この状況で水源を見つけても何もせずに引き返す、というのは全く理に適っていないのだ。何か理由があると察したドラクンクルスは、呆然とする二人を横目にゾフィーへと訊ねる。


「そりゃあ、つまり……ライム湖は毒水の湧く湖、ってことかい?」

「いいえ、そのです」

「逆ぅ?」

「はい。ライム湖の水は非常に綺麗で魔力も含んでいるので、にとって魅力的なのです。そのため————」

「ははん。魔物が多い、ってことか」

「どちらかというと、街道沿いでも滅多に出逢わないような凶悪な魔物の巣窟そうくつとなっているのです。まあ、一体一体で比較すると、彼女たちが倒したという骨の魔物、アントラシスには劣りますが……それが群れを成しているのですから、どれほど危険なのかはお判りでしょう」

「……」


 ゾフィーからの情報を受け、ドラクンクルスでさえも言葉を失う。シュード・アレシェリア村を出発してからまだ二日目という状況で、そのような危険地帯に足を踏み入れる意味は無い。むしろこの情報だけ聞けば、そこへ向かうことすらも躊躇ためらわれる。


 とはいえ、このまま別の道を模索したところで、水源を見つけられるかどうかは定かではない。つまり、ここが一つの大きな分岐点であった。


 重い空気が包む中、この雰囲気を打破すべく、シャルロッテがいつになく元気よく声を上げた。


「どっちにしろ行ってみないと分かんないんですから、もう思い切って行きましょう! まだライム湖かどうか決まった訳じゃないですし、それに魔物だって偶然いないかもですし!」

「シャルロッテ……」


 どうみても空元気にしか見えないシャルロッテを一瞥いちべつし、フッと小さく笑ったゾフィーは彼女の意見に同意するように軽く息を吐いた。


「まったく、教え子に諭されるようでは教師失格ですね。シャルロッテの言う通り、行ってみないと何も始まりません。ついでに、エルマの錬金術に使用する素材も見つけられれば一石二鳥ですし」

「素材? ……あっ、確かに! 魔力を含んだ水があれば、ええっと……」


 ずっと不安げであったエルマも、その一言で活気づきアンネリーゼの本を広げる。そして、数ページをめくったところで、一つの項目を嬉しそうに指さした。


「そうそう、ブロート! ブロートが創れるんです!」

「ブロートですって? 錬金術で、ですか?」

「はいっ! 釜に素材を入れるだけで、発酵とかは必要ないみたいなんです!」

「釜……」


 ブロートとは、一般に言うところのパンである。エルマの話では、魔力を含んだ水を使用することでブロートも錬金釜で調合可能だという。その話に、ゾフィーとシャルロッテは途端に怪訝な顔となる。


「ちょっと待って。あの釜って、確か……砂とか変な木とか入れてませんでしたか?」

「そりゃあそうですよ、錬金釜ですもん。昨日までは変な汚れがついちゃってましたけど、もう綺麗になったので大丈夫です!」

「あ、あの釜でブロートを創るの? 食べ物だよ?」

「え? うん。えっとね、『魔力を含んだ水』と『柔らかい木』を加えてから、ちょっと熱して混ぜるだけみたい。蒸留水を創るよりずっと簡単だね!」

「そ、そう。、ね……」


 製法を聞き、二人はさらに表情を曇らせる。ドラクンクルスを除く二人は、錬金術で食糧を創る、ということに対しイメージが出来ていなかったようである。


 もちろん錬金術である以上、ブロートだろうと毒薬だろうと、同じ釜で調合される。昨日エルマの創った蒸留水も、もともとは得体の知れない植物をベースに調合したものだ。安全性に問題が無いことは、しくも全員がその身をもって証明していた。


 今さらになってその事実に気付いた二人は、先ほどまで無理に上げていたテンションをすっかり落としてしまう。


「……なるべく、食べ物は自分たちの手で調達しましょうか」

「……はい。私も手伝います」

「え、え? なんで? わたし、頑張って創るから安心してよ!」

「ははっ!」


 三人のやり取りを、意地の悪い笑みを浮かべながら見つめていたドラクンクルスは、ついに声に出して笑うと、仕切り直すように三人へ語り掛ける。


「いいじゃねぇか、そんなこと。今はまず、その湖に行くことだけ考えようぜ。邪念があると魔法も上手く使えねぇ、って聞いたことがあるしな」

「……はぁ、それもそうですね。目の前の問題を解決してからにしましょう。さて、ではクルちゃんさん。昨日と引き続き、先頭をお願いしますね」

「おうよ」


 こうして、僅かに見えたという湖に向けて全員は進み始めた。昨日と比べて雲の多い空の下、変わらず蒸し暑い森の中を、バラバラの歩調で。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る