二日目の朝は空腹から
一夜明け、ボレリア森林に新しい朝が訪れる。小鳥の声が木々の隙間を縫い、エルマたちの眠っている天幕にも響き渡ってゆく。
この『黄昏の天幕』は内部の音は漏らさず、外部の音をよく通すという特殊な性質を有している。魔物から身を隠すには持ってこいの性質なのだが、時には大風の轟音すらも筒抜けとしてしまう。そのため清々しいはずの鳥の
「ん……」
そういう訳で、いつも寝坊ばかりだったエルマでさえも、その
「おはようシャル。はぁ、眠いなぁ……」
「あ、おはよ。珍しいね、エルマが自分から起きるなんて。先生に怒鳴られても平気で寝てたくらいなのに」
「えー、そんなことあったっけ? ちゃんと聞いてたつもりなんだけどなぁ……」
「きっと夢の中だったんじゃない? 私、授業をまともに受けてるエルマを見たことないし。逆に、叩き起こした記憶はたくさんあるけどね」
「そうだったかなぁ……」
「それも覚えてないのね。ホント、エルマを起こすの大変だったんだから」
そう言って苦笑したシャルロッテを、エルマはじっと見つめる。正確には、シャルロッテの目の下に出来ている
「シャル、もしかしてあんまり寝てないの? クマ、できてるよ」
「え? ああ、確かに寝付けなかったから……っていうか、こんなところでぐっすり眠れるのエルマだけだよ! 夜中はずっと周りからガサガサ聞こえてきて、全然寝れなかったもん。それに、やっぱりお腹が減っちゃうとどうしても、ね……」
「お腹かぁ。確かに、ちょっと少なかったもんね」
昨日は結局、ゾフィーとドラクンクルスが協力して捕らえた小動物一匹を、四人で分け合うこととなった。そのため、体の小さいドラクンクルスや小食なエルマはともかく、シャルロッテにとっては非常に物足りない食事となってしまったのだ。これで満足のいく睡眠がとれるはずが無い。
なお、言うまでもなくゾフィーの腹を満たすには程遠かったものの、彼女はこうした事態に慣れていた。そのため、ドラクンクルスと交代で夜の警戒が出来たのである。
「ごめんね。わたしが錬金術で食べ物を創れなかったから、こんなことになっちゃって……」
「へ? ううん、エルマのせいじゃないよ。むしろ、エルマは貴重な飲み水を創ってくれたんだもん。それだけでも大感謝だよ」
「でも、それも量が少なかったんだし……わたしが、もっとちゃんとしてたら……」
「もー! エルマったら、後ろ向きに考えちゃダメだよ。そもそも私たちは追放されたんだからさ、もう前を向くしかないんだよ。足りなければ、どうしたらいいか考えるべき。そうでしょ?」
「ええ、シャルロッテの言う通りですわね。エルマ、あなたは考えすぎですよ」
「えっ?」
その声に驚き、エルマは顔を上げ、シャルロッテは振り返る。すると二人の視線の先には、テントの入り口に立つゾフィーの大きな影があった。当のゾフィーは彼女たちの反応を意に介さず、普段通りに話を続ける。
「おはようエルマ。どうやら、しっかり休めたようですね。今日は昨日よりも長い距離を歩くことになりますので、体力の管理には充分注意してくださいね」
「は、はい……じゃなくって! えっと……」
あまりにも変わらぬ調子で話しかけてきたゾフィーに、エルマは戸惑い
「昨日はありがとう、エルマ。それにシャルロッテも、あのフォウレリの集団を相手に臆せず、よく戦いましたね。素晴らしい生徒を持って、私は幸せですよ」
「へっ? あ、あの……」
「さて、それはそうと」
急に二人を褒め始めたと思いきや、ゾフィーは即座に温和な雰囲気を一変させ、鋭い視線を彼女たちに向ける。
「エルマ、必要以上に後悔するのは止めなさい。今は自分にできることを、正確に見極めることが肝心です。そうやってくよくよしても、過去を変えることは出来ません。後ろを見るのではなく、前を見なさいな」
「前を……」
「そしてシャルロッテ。あなたは非常に器用ですが、体力的にはまだまだ。それにも拘わらず睡眠不足、ですか。これでは、昨日と同じような結末を辿ることとなりましょう。これでは、せっかくの絶対術感も宝の持ち腐れというものです」
「す、すみません。でも、一つ良いですか?」
注意を受け、少しだけ不満そうに頬を膨らませたシャルロッテは強い口調でゾフィーへと問いかける。
「私、先生とは違ってこういう生活に慣れてないんです。今後こういう事態が起きた時のために、対策を教えてくれると嬉しいんですけど」
「対策……空腹の耐え方、ということでよろしいですか?」
無言のまま大きく頷いたシャルロッテに対し、ゾフィーは腕を組みながら天井を仰ぐ。そして小さく唸り声を上げ、シャルロッテの質問に答えた。
「そうですね……気合です」
「はい?」
「空腹を耐えるためには、気合しかありません。空気を食べるとか、水を飲むとか、そういう対策もありましょうが……いずれも効果は薄かったので、結局のところ気合を入れて我慢するしか無いのです」
「えー……?」
まさかの返答に、シャルロッテとエルマは揃って呆然と口を開け、目を合わせる。一方のゾフィーも、良いアドバイスが出来ず後ろめたさを覚えたのか、目を泳がせながら彼女たちに背を向けた。
「ゴホン! とにかく。全員起きたのですから、早くここを出ましょう。昨日の水はまだありますが、さすがにこの森を抜けるには足りませんからね。どこかで水源を確保しないと大変な事態になります」
「えっと、朝ごはんは無しですか?」
「もちろん。今はそんな悠長なことを言っている場合ではありませんよ。ほら、早く用意をして。森林の散策は、陽が高くならないうちが最も楽なのですからね」
そう言うと、ゾフィーは二人の返答を待たず、妙に苛立った様子で外へと出て行った。普段は温厚なゾフィーの異変に気付いたエルマは、未だ戸惑いながらもシャルロッテへ心配そうに話しかける。
「先生、どうしたんだろ。昨日はあんな風にカリカリしてなかったのに」
「うーん、危険な状況だからっていうこともあるだろうけど……それ以上に、すっごくお腹が空いてるんじゃない? あの体だもん、きっとそうだよ」
「そうなのかな? あ、そういえばさっき、『空気を食べるとか、水を飲むとか、そういう対策はいずれも効果が薄かった』って言ってたような……」
「ああ、確かにそう言ってた! じゃあ、先生は今もそれだけ我慢してるってこと……?」
「……急ごっか」
「そうだね。先生には、早くいつもみたいな穏やかな顔に戻って欲しいもん」
そして二人は急いで身支度を整え、天幕の外へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます