前途多難

 誇らしげな笑みを浮かべながら、エルマは『蒸留水』を桶に移し入れシャルロッテたちの元へと運ぶ。あふれないよう、そして転倒してこぼさぬよう慎重な足取りで。


「みんな! お水できたよー!」

「ホント!? すごいじゃないエルマ!」


 彼女の報せを聞いたシャルロッテは表情を一変させ、両腕に抱えていたガラクタを地面に置き、近づくエルマへと即座に駆け寄る。ドラクンクルスやゾフィーも、彼女ほど感情を表に出していないものの、一安心だと言わんばかりに頬を緩ませる。


「えへへ。ちょっと時間かかっちゃったけど、味も臭いも問題なかったよ。絶対バッチリ、なはず!」

「はず、って何よ。もー、最後の最後に怖いこと言わないでよ! ま、いつも自信のないエルマがそう言うんだから、きっと大丈夫なんだろうけどさ」


 そう言ってまた少し笑ったシャルロッテは、エルマの持つ桶の中へと手を入れて蒸留水をすくい上げる。シャルロッテの指の隙間から零れ落ちた雫が水面を打ち、天幕てんまくの中へ柔らかな音色が響き渡った。


「おお……これ、村の井戸水より綺麗なんじゃない? このまま手にみていきそうなくらい、とっても肌触りが良いもん」

「でしょー? まぁ、今回は師匠が残してくれた素材を使ったから、素材の品質が良かっただけかもだけど。それはいいから、早く飲んでみてよ!」

「うん。じゃあ遠慮なく」


 エルマの自信にみなぎる表情を受け、シャルロッテは一切の不安を打ち消し、蒸留水を口へと運んだ。


「……」

「ど、どうかな?」

「うん、美味しい。とっても美味しい水だよ、エルマ! それに、なんだろ? 何かこう、体から疲れが飛んだ感じがするんだけど……」

「なんですって? ちょっと、そのお水を見せていただけますか?」

「え? あ、はい。どうぞ」


 シャルロッテの話を聞き、二人の様子を見守っていたゾフィーも身を乗り出すようにして桶の中を覗き込む。そしてじっくりと蒸留水を眺めた後、ゾフィーは懐から杖を取り出し、蒸留水に向けて呪文を唱えた。


「ふーむ……汝、其の性質を示せyhpa rgota morhc!」

「えっ、ちょ、先生っ!?」


 ゾフィーが急に呪文を唱えたため、二人の制止は間に合わなかった。彼女の杖先から放たれた光は蒸留水へと浸透し、清澄な真水は一転して光り輝く奇妙な液体へと様変わりしてしまった。


 突然の奇行にエルマはただ呆然とし、シャルロッテは戸惑いながらもゾフィーへ詰め寄る。


「何するんですか! 魔法なんか使ったら飲めなくなっちゃうじゃ————」

「いいえ。よくご覧なさい」

「へ?」


 ゾフィーの指し示す先へ、二人は一斉に視線を移す。すると、先ほどまで蒸留水を包み込んでいた光はいつの間にか蒸留水から離れ、その上空へと停滞していた。そしてゾフィーが軽く杖を動かすと光の塊は変形し、いくつもの文字を描き出した。


「なに、これ……」

「『汝、其の性質を示せyhpa rgota morhc』。この魔法は、対象の成分や効能を明らかとするものです。そうね、『』と言った方が分かりやすいかしら」

「分析、ですか?」

「ええ。非破壊、非汚染性の分析魔法ですので蒸留水自体に影響はありません。もちろん生体には使えませんけど、錬金術で創った品の鑑定には使えるでしょう。覚えていて損は無いと思いますよ」

「そ、そうだったんですか。もー、それならそうと早く言ってくれたら良かったのに! ビックリしたじゃないですか!」

「そうですよ……もう素材は無いのに」

「ごめんなさいね。それはそうと、結果が出たようですよ」


 不機嫌そうに口を尖らせるシャルロッテと、膝から崩れ落ちたエルマへ謝罪しつつ、ゾフィーは空中に漂う光の文字を読み上げる。


「ええと、不純物の含有量はゼロですか。素晴らしいわね。取引価格は一瓶あたり二クラム……なかなかの品質ですね」

「二クラム!? ロスマクレーレの干物二枚分じゃないですか! どうしてそんなに高く売れるんですか?」

「そうですね。単純に不純物が少ないことと、あとは……これが一番の要因でしょう」

「これ?」


 ゾフィーが指し示した先には、『』が記されていた。無論、一般的な蒸留水には効能などない。蒸留させて得ただけの水なのだ、強いて言えば喉の渇きを潤せるくらいである。


 しかし、エルマの創った蒸留水には特殊な効能が付与されていた。それはしくも、フォウレリとの戦いで魔力を消費したシャルロッテにとって、非常に有益な効能であった。


「『気力の補充』という効能が追加されているのです。これはとても貴重ですよ」

「気力、ですか……それって何ですか?」

「え?」

「は?」


 思いもよらない返答に、ゾフィーはすっかり硬直する。エルマとは長い付き合いであるシャルロッテも、さすがに呆れた様子を見せている。しかし彼女を叱るつもりで口を開いた矢先、シャルロッテは先週の出来事を思い出し、硬直し続けるゾフィーへとこっそり話しかける。


「そっか、先生。エルマは先週ずっと学校を休んでましたから、本当に何も知らないんですよ。忘れちゃった訳じゃなさそうです。、ですけど」

「あ、ああ……そういえばそうでしたね。ゴホン。では、改めて『魔法の行使』についてお教えしましょう。まあ、あなたにはなるべく魔法を使わせたくないので、知識としてですけれどね」

「は、はぁ……」


 気を取り直したゾフィーはガラクタの山にあった一枚の紙を手に取り、エルマにも分かりやすいよう杖を使って絵を描き、説明し始める。


「『気力』とは簡単に言うと、魔法の行使に必要な人間のエネルギーです。人間のエネルギーには、『肉体的なエネルギー』と『精神的なエネルギー』の二種類が存在するのですけれど、気力は主に精神的なエネルギーを指します。魔法の行使には、このエネルギーを使用するのです」

「魔力とは違うんですか?」

「ええ、厳密に言えば。気力を自然の呼吸に同調させることで生まれるのが『魔力』ですから、気力なしに魔力は生まれないと言えるでしょう。同じく、どれだけ強い気力を有していても、自然と呼吸を合わせられなければ魔力は生まれず、魔法は使えません」

「へぇー……」

「生まれた魔力は芯核にある鉱石により増幅され、杖先に凝縮されます。その状態で呪文を唱えることにより、魔力は『魔法』という形となって顕現けんげんするのです」

「はぁー……」

「……あの、エルマ? さっきから絵ばかり見ていますけど、私の話を聞いていますか?」

「ほぉー……」

「……炎よ、汝を燃やし尽くせFlammae ignis vos

「え? ほわぁっ!?」


 大きく溜息を吐いたゾフィーは、説明に用いた紙を一瞬にして灰燼かいじんへと変えた。じっと描かれた絵を凝視していたエルマは、その激しい炎をまともに見てしまい叫び声を上げる。


「あー! 目が! 目がぁ!!」

「まったく。分かりやすいよう、絵を用いたのが間違いでしたね。とにかく、そういう訳で気力の補充が可能な薬品というのは非常に貴重なのです。特に、私たちのような旅人にとって、気力の枯渇は死活問題ですから。だからこそ、蒸留水にも拘わらず高値が付いたのでしょう」

「あ、あはは……あの、先生?」


 身悶えるエルマを哀れな目つきで眺めつつ、シャルロッテはゾフィーへと問いかける。


「確か、トーチの炎で体力は回復できるって言ってましたけど、気力の回復は出来ないのですか?」

「良い質問ですね。トーチの炎による回復は、肉体的エネルギーに対してのみ作用します。気力を充実させるには、寝るか薬品による補充を行なう以外に手段はありません。なので、魔法の行使については慎重な判断が必要なのです。攻撃魔法のように気力の消費が激しいものについては特に、ね」

「なるほど……ということは、気力が尽きてトーチの元に辿り着いても、しばらくしなければ魔法は使えないんですね」

「それ以前に、トーチに炎をともす魔法も使えないことでしょう。最低限の気力は残しておかないと、それこそ魔物のエサになるしかありません。充分に気を付けなさい」

「はい。エルマも聞こえた? 注意しようね!」

「そ、それより目が……」

「それは自分が悪いんでしょ。まったくもう……」


 臨時講義はシャルロッテの苦言によって締められ、天幕には静けさが戻る。周囲の木々から聞こえる葉のさざめきと夕暮れを告げる虫の声が伝播したところで、ゾフィーは軽く手を叩く。


「さて! とりあえず水は確保できましたので、あとは食糧だけですね。ただ、エルマはもう錬金術の影響で気力が少なくなっているでしょうし、今日はとりあえず食べられる草でも採りに行きましょうか。シャルロッテはここで待機を。クルちゃんさんは同行をお願いします。よろしいですか?」

「やった、了解です!」

「わ、分かりました……うぅ……」


 シャルロッテとエルマは同意したが、ドラクンクルスは無言のまま、錬金釜の中を見つめていた。彼の不審な行動に眉をひそめ、ゾフィーは腕組みしながら彼の元へと近づく。


「クルちゃんさん。私の話は聞こえていましたか? 食糧調達に協力をお願いしたいのですが」

「んー? ああ、それは別に良いんだけどよ。草を食うってことは、水を使うんだよな?」

「え? まあ、そうなるでしょうけど……それが何か?」

「いや……」


 釜から視線を外したドラクンクルスは、ゾフィーと同じように器用に腕組みをしつつ、素朴な質問をぶつける。


「嬢ちゃんが創った水、そのだぞ。そんな無駄遣いして大丈夫なのか?」

「……え?」

「錬金釜の中には、もう調合液しか残ってねぇ。つーことは、あの桶にある分だけしか使えねぇんだ。料理なんかに使ったら、飲む分が足りなくなっちまうぞ」

「……」


 そう、エルマの錬金術で得られた蒸留水は、小さな木桶一杯分だけだった。量にしておよそ一斗缶いっとかんひとつ分、つまり十八リットル程度。女性三人が暮らすには、あまりにも心もとない量である。水浴びはもちろんのこと、洗顔すら困難だ。飲料水として活用する以外、選択肢は無い。


「ええと……そうなると、やはり……」

「ああ、獲物を狩るしかねぇ。ま、錬金術で飲み水をまかなおうって提案しちまった俺様にも責任があるからな、喜んで手伝うさ。早く行こうぜ、完全に暗くなっちまう」

「ああ、もう。ほんと、前途多難とはこのことですよ……」


 シャルロッテとエルマとは対照的に、暗い表情の二人は重苦しく、しかし足早に天幕の外へと向かっていった。水が足りないという事実は告げず、保護者としての責務を果たすために。

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